第66話

 摂津の処理を幕臣たちに委ねて、大御所と将軍は、一端、二条城に入った。

 大坂城はなおも燃えている。


 秀姫の助命のことを、秀忠が切り出した時に、


「そなた得意の将軍の責務とやらはいかがなったか」


 と家康は嫌味を言ったが、すぐに諾と言った。所詮は姫である。家を継ぐわけではない。

 無論そのまま武家としては置いては置けぬ。

 これは調べたところ、誓願寺に預けてあったので、当面、千姫によって保護され、千姫、常高院ともども、江戸へ送ることとなった。

 日を置かずに、鎌倉の尼寺、東慶寺に門跡として送り込まれることになったが、鎌倉の領主は佐助吉興の三男の赤橋吉清であるので、秀姫を悪いようにはしないだろう。やがて落飾して、天秀尼を称す。


 幕府のしらみ潰しの捜索の結果、豊臣国松が発見されたのが五月十五日であった。町人として、養父の田中六左衛門と共に潜伏していたのだが、吉興の手配の者が接触するのを待っている状態であった。

 吉興が若狭の浦から舟を仕立てて、大陸へ国松を逃すつもりであったのも判明した。

 五月十六日、国松捕縛が市中に知らされると、逃亡中であった佐助吉興は、京都所司代、板倉勝重の元に出頭した。

 板倉にとっては京との人脈を教えて譲ってくれた師のようなものであり、まずは身を清めさせ、整った衣服を与えたうえで、輿に乗せて二条城に護送した。


 佐助捕縛の報せも、瞬く間に京洛を駆け巡り、その時から、在京していた佐助時康、佐助宗興、赤橋吉清の佐助三兄弟は揃いの死に装束を着て、二条城大手門にて、座して、請願状を上訴する姿が見られるようになった。

 吉興助命を求めてのことである。

 あれだけのことを仕出かした男であるから、助命を嘆願するのも命がけであった。しかし、縁者は無論、縁者の縁者からも助命嘆願は幕府に寄せられた。

 佐助三兄弟の嫁の実家として、公家の三条西家はともかくとして、内藤家、加藤家からも助命嘆願が寄せられた。外戚の黒田家、西本願寺の黒田家も同様である。更には、おそらくは加藤家を通した要請で、加藤家の姫の婚約者である駿府の頼宣も、助命に動いている。

 本多忠政は、吉興に直に討たれて、登久姫が佐助に恨み状を送ったにも関わらず、忠政の子の忠刻は、武門の極みの佐助と戦って果てたことを父の誉れとし、やはり吉興助命の嘆願を出した。

 どう扱うべきか、これには家康も対応に苦慮した。

 早々に処分を決めなければならないが、決まるまでは吉興にも会えない。

 やったことの凄まじさから言えば当然、処刑ではあるが、豊臣の家臣としては、当然のことをしたまでとも言える。

 秀頼を助命するのであれば、逆に責任を負わせるために、吉興を生かしておく選択肢は無いが、秀頼はすでにいない。

 豊臣のあの底力を、豊臣から切り離して、吉興個人の武勇とするためには、吉興を生かして称賛するという手もあるが、吉興がそう簡単にこちらの思惑に乗って踊ってくれるとも思えない。

 もし、もしであるが。国松助命と引き換えであるならば、吉興を今後、いいように使うことも出来なくもない。

 しかし、豊臣の血筋である。

 さすがに大坂を滅ぼしておいて、その遺児を生かすという選択肢は無い。伊勢平氏は、頼朝を殺さなかったためにまんまと滅ぼされてしまった。

 ああいうことはそうそう無いとは思うが、豊臣の危険を残しておくわけにはいかない。

 討たれた者が多すぎる。

 武家の論理は不思議なもので、親が殺められればその殺めた者を憎む、とは直線的にはならない。暗殺や謀略であれば話は別だが、戦でのことであれば、討たれた者の武勇を正当化するためには、討った者の武勇は計り知れないほど偉大に描かねばならぬのだ。

 池田輝政が、父、池田恒興が小牧長久手で討たれたことについて、恒興を討った徳川の将、永井直勝がさして重く用いられていないのを聞き、激怒し、家康に抗議して、永井を大名に引き上げたのと同じ理屈の話である。

 助命という形ではないものの、酒井、井伊、榊原からも、吉興を重く用いてはどうかとの具申が上げられている。

 何と伊達家からも同様の具申があった。

 老兵も青年もみな失って、伊達家は混乱の極みにあるはずだが、愛姫が摂政の立場に立ち、まずは忠宗への家督相続を幕府に認めさせた。

 次にしたのが、佐助吉興に対して、伊達家としては恨んではないという意思表示である。政宗を神格化せねば家中をまとめられないし、神を倒したのであれば吉興もまた神であらねばならないのである。


 佐助を赦すとしても。赦した後どう処遇すべきか。

 佐助三兄弟にも腹は立たないまでも、困ったものだ、と家康は思う。三家は徳川に加担し、時康は家康の本陣を守るという大功を挙げた。

 吉興との連座はしないことを家康は既に宣言している。

 ならば、時康らもそれで満足するべきなのだ。

 父の助命を願うなどと。

 家康はため息をついた。

 吉興個人への恨みは別にない。まあ、豊臣家臣ならば当然の行動ではある。では豊臣がいなくなってどういう行動を取るのか。まったく読めない。

 叡山にでも入れておけば大人しく仏道修行をするであろうか。

 そう言えば吉興は門徒になったのであった。

 では本願寺に、いや、その組み合わせは危なすぎる。


 家康が考え込んでいる時、その沈黙を、本多正純が破った。


「大御所様」

「なんぞ」

「大坂より早馬が届きました。片桐且元殿病死とのこと。嫡男の孝利殿より届けがあり、遺領相続願いが出ておりまする」

「そうか…」

「検死をなされるべきかと。明らかに豊臣への殉死。殉死となれば、これは謀反にて」

「無粋を言うな、正純。幕府より弔問を遣わせ。検死は無用ぞ。速やかに孝利への家督相続を認め、遺領を継承させよ。周辺より一万石見繕って加増いたせ」


 正純は何も言わずに、頭を下げ、退出した。


 家康は天守の一室に在る。


 南西の空を見れば、さすがに火の勢いはもはやないがそれでも燻って夜の際を時々光らせている。さすがに太閤の城と言うべきであろう。

 死ぬ時ですらしぶとい。


「豊臣に、石田在り、片桐在り、佐助在り、か。徳川が滅びる時には、誰が在るのかの」


 その言葉は残ることも無く、蛍のように夏の夜空に吸い込まれていった。

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