第48話

 その日は、吉興は京からは動かなかった。

 京四条の町の顔役に頼んで、浮浪児六名を集めさせた。年の頃は十二から五というところである。彼らの身体を洗わせて、思うが存分、飯を食わせた。庶民の普段着を用意させ、儂についてくれば今後も飯を食わせてやるがと言えば、子らは即座に承諾した。

 その翌日早く、を伴って、吉興は京から大坂へ向かった。二日かけて、大坂に到着し、数十名が残る佐助屋敷に入り、子らを休ませ、風呂に入れ、身なりを整えさせた。

 佐助家臣に命じて、大坂でも七名の浮浪児を集めさせ、総勢十五名の集団となった子を率いて、愛宕丸に乗り込んだ。

 浮浪児たちはさまざまな国の出であった。山城、摂津、近江、大和、丹波、越前。その中に若狭の者がいても、さして目立ちはしない。

 

 潮の流れが良く、二日の航海の後に、船は門司湊に入った。

 子らは一端、浄蓮寺に入れられた。

 浄蓮寺は英姫の大谷家降嫁を記念して造営された、豊前豊後における新たなる浄土真宗総本山であり、総執事と呼ばれる寺の長は、佐助の任命に寄っていた。この時の総執事は、吉興が直々に京より招いた珠光師である。

 とりあえずは十五名の子らを、珠光に預け、時康の下知がなされるまでは寺の小僧として扱うことを依頼した。


 その足で、吉興は小倉城へ向かった。

 小倉の町は戦支度のさ中であった。そう言う中、供もつけずに徒歩で城へ入ろうとする吉興を見とがめて、ひと騒動あったのであるが、その老人が佐助吉興であると知って、衛兵は切腹しかねない勢いであった。


「衛兵の務めを十分に果たしたと褒めておきましたが、父上、下の者らをからかっていたぶるはおやめくださいませ」


 時康は、苦い顔をして、吉興に苦言を呈した。


「からかったわけではないが。しばらく小倉を離れておったからな。さりながら、まさか佐助家中に儂の顔を知らぬ者がいるとは思わなんだ」

「新しく仕官した者らもおり、世代も変わっています。父上の顔を知っている者など、半分もおらぬでしょう」

「そうか」


 小倉城本丸の書院、吉興の他には、時康と橘内長久のみがいる。城下を見下ろせば、戦に向けて人々が忙しく走り回っていた。


「京に使いを送ればもぬけの殻、肝を冷やしましたぞ、大殿」


 橘内長久が言う。


「時康、長久、あれは誰相手の戦支度か」


 吉興の指摘に、時康らは言葉に詰まった。


「そなたら、豊臣に弓矢を向けるつもりか」

「幕府より出陣の命が下りました。武家は将軍の命に従うが筋にございます」


 吉興、時康、両名の視線が火花のごとく絡み合った。


「佐助宗家六十八万石、支藩を含めれば七十三万石にございまする。佐助の当主として、豊臣に加担する無謀を犯すわけにはいきませぬ」

「儂が、そなたの父がそうせよと命じてもか」

「命を賭ける時には賭けるが武士の務め。さりながら不義をなすそれがしを、許せぬとお思いならば」


 時康はおもむろに左胸をあらわにし、短刀を、吉興に差し出した。


「この胸、どうぞお突きくだされ」


 吉興は溜息を吐いた。そしてふいに、時康を頭を抱えて抱きしめた。


「な、なにをなされますか」

「たわけが。家康殿がそなたにどれほど執着しようが、親が子にかける思いに勝るはずがないではないか。二度と儂に左様な真似をさせようとするな」

「も、申し訳ありませぬ、父上」

「さすれば、大殿。此度は大殿もご静観なされるのでありましょうな。いや、よかったよかった。殿もそれがしも、万が一大殿が大坂城に入れば、いかがしようかと、そればかりを案じておりました」

「大坂城には入らぬとは誰も言っておらぬ」

「なんと」

「佐助の家は時康のもの。なれば、時康も、長久も好きにすればよい。儂は別に時康の臣下ではないからの」

「父上、なんと無体な」

「儂は用をすませば大坂に戻り、大坂城に入る」

「大殿。いえ、吉興様。さすれば佐助の家が敵味方に分かれますぞ」

「さようなことにはならぬ。何も戦に加勢しに参るわけではない。将軍家に恭順するよう、最後の説得を試みるつもりよ」

「父上、大坂がそれを受け入れねばあいなりましょうや」

「その時はさすがに儂の奉公もそれまで。を見限る」


 その言葉を受けて、時康は安堵の表情を浮かべた。


「いいや、殿。安堵なりませぬぞ。大坂がおめおめと大殿を解放するはずもありませぬ。佐助にとっては人質になりましょう」

「そ、そうであるな。父上、大坂入りはおやめください」

「嫌じゃ」

「ちちうええ」


 時康は父に振り回されっぱなしである。

 どこの家でも隠居と当主の関係は難しい。

 吉興はことさら、藩政に介入することはなかったが、個人として余りにも独自行動が多すぎる。


「そなたも父に向って、そなたを殺したうえで好きにせよと申すほど、譲れぬものがあるように、儂にだって譲れぬものはある。この話は仕舞じゃ。言っておくが、邪魔するならばそれこそ腹を切るからな」

「まったく誰が育ててさように頑固におなりあそばされたか」


 長久が頭を抱える。


「そなたであろうが。いや、此度小倉に来たは、さようなことを言うためではない。実はの。秀頼様の一子をお連れした」

「は。はあっ?」


 今度の衝撃は増して大きかった。

 驚きのあまり、声も出ない当主と宿老を置き去りにして、吉興は淡々と事情を話す。今枝に偽物を預け、奥州へ送ったことも。

 当人は、豊臣とのかかわりを一切知らぬこと、当人意外にめくらましとして十四人の少年を連れてきたこと。


「慧生様は真宗の僧侶といたす。珠光師の下で新たなる名を賜ろう。真宗であるから妻帯が可能である。決してお血筋が絶えること無きよう、代々の当主が目を光らせよ。十四人の替え玉は、半分を武士とし、半分を浄土真宗の僧侶とする。若狭より連れて来た慧仁は、替え玉中の替え玉とし、武士とせよ。こちらの血筋を絶やすことなく、重視せよ。

 万が一、万が一、大坂の豊臣一門が絶家することがあっても、佐助の家でお血筋を守り通すのだ。そしていつの日か、良き世が来れば改めて豊臣をお名乗り頂く。

 これは佐助絶対の秘事とせよ。当主、成人した嫡子、真岡宗家の当主の三名が口伝で伝えよ。二人が欠ければ残りの一人が、新たなる者に伝えよ。

 この命に背く者、佐助の家を継ぐ資格無し。一人が反すれば、残りの二人で排除せよ」

「父上」


 本音を言えば、時康はかような劇薬を内に抱えたくなかった。


「長久」


 吉興は長久に声をかける。


「はっ」

「そなたは儂の臣か。それともお家の臣か」

「吉興様の臣にございまする」


 長久は即答した。時康を支えているのも、吉興の子であるからである。浅井滅亡後のみじめな暮らしを、吉興と長久は互いに手をとりあい、生きて来た。その絆は生半可なものではない。


「ならば儂の意に沿って、橘内の家を鍛えよ。時康、そなたも忘れるな。一時の事情で大坂に弓矢を向ける。それはやむを得ない。さりながら、当家は何処まで行っても豊臣の臣。大事なるは太閤殿下のお血筋をお守りすること。これに背くようならば親でも無ければ子でも無い。そのこと、子々孫々に必ず伝えてゆくのだぞ」


 時康と長久は、額が畳につくほどに平伏した。

 何という置き土産を残してゆく隠居であることか。


 十月の朔日。

 佐助吉興は、大坂に到着し、佐助屋敷に寄ることもなく、単身で大坂城に入った。

 豊臣の軍師が、単身とは言え、大坂城に入ったことは、天下を震撼させた。

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