第49話

 大坂の陣の勃発を受けて、続々と大坂城に入った浪人のうち、一軍を率いての実戦経験がある者は、以下の四名に限られた。

 真田信繁、長曾我部盛親、明石全登、後藤基次である。長曾我部盛親は若すぎて、実戦経験はほぼ関ヶ原の戦いのみ、それも「率いた」というだけのことである。地位からすれば大大名であった長曾我部盛親が頭一つ抜けていたかのような印象もあるが、実は家督相続において長曾我部では元親死後、内紛めいたものがあり、豊臣政権からも徳川からも正式な承認を得られない内に関ヶ原に巻き込まれたという事情があった。

 中大名の真田の一門であり、上田城の戦いで秀忠軍を足止めした実績のある真田信繁、関ヶ原の戦いで西軍主力となって獅子奮迅の働きを見せた宇喜多家中にあって、家老として更にその中心となり八千の兵を率いた明石全登、そして黒田家の武の主力であり、朝鮮で数多くの実戦を経験した後藤基次、彼らが経験においても権威においても並んでいた。

 大坂城の面々はほぼ実戦経験が無いので、軍配はこの三名の内のいずれかに委ねなければならない。三名ともここで名誉を争って内部対立する愚かさを分かっていたから、年功序列で、最年長の後藤基次が実戦部隊の総大将と決した。


 佐助吉興が、大坂城に入った時、大広間において、右に豊家衆、左に浪人衆を従えて、秀頼が自ら対峙した。


「吉興殿。用件は手短に願おう。知っての通り、我らは戦支度の最中。そこもとが太閤殿下より軍配を賜ればこそこうして礼を尽くして居るが、今更和議など無用なこと。さような話ならばこのまま退城してもらおう」


 大野治長が言った。


「いや、治長殿。かの御仁は敵に周れば厄介ぞ。このまま留め置けば佐助への質にもなるはず」


 渡辺糺が言う。


「馬鹿を申すな。かの老人は仮にも豊家の軍師ぞ。豊家が左様な真似をして天下に恥をさらすか。下らぬことを申すな。用が済めばさっさと帰って貰えばいいのだ」


 木村重成が言った。なかなかに見どころのある将もいるのか、と吉興は木村重成を見直した。しかし、木村重成も主戦派であるようだ。

 と言うか、片桐且元ら講和派を粛清した今の豊臣には主戦派しかいない。


 浪人衆は口出しをせず、事の成り行きを見守っている。

 そっと横目で見れば、後藤基次、明石全登がうなづいた。彼らは、戦を求めて大坂に入ったのだから、戦になって貰わねば困るはずである。しかし、少なくとも、吉興の安全のためには戦うつもりであるようだった。

 思う存分に申されよ、との意が伝わってくる。

 考えてみれば、明石全登は、如水の母の親戚であり、如水にとっては従兄弟の子と言う立場になる。後藤基次は、如水に育てられたような武将だ。如水を敬うあまり、長政と折り合いが悪くなり、黒田を出奔してしまった。

 ここに如水の影がある。

 吉興はひとりではない。

 両兵衛として、しかと秀頼を見据えて、対峙した。


「勝てませぬ」


 まず、吉興はそう言い放った。


「戦はやらねばわからぬであろうがっ」


 渡辺糺が吼える。


「豊臣のことを思えば、徳川に打撃を与えて、有利な講和に持ち込むがせいぜいでござる。その打撃を与えることも楽ではござらん。万が一、有利な講和に持ち込めたとして、どうなるか。豊臣の脅威が徳川にとって増すばかりとなりましょう。そうなれば次は死に物狂いでかかって参ります。消耗戦になればこちらは六十四万石、あちらは八百万石。勝ち目はありませぬ」

「我らが決起すれば、徳川の暴政を快く思わぬ諸大名も、」

「決起しませぬ」


 大野治長の声を遮って、それでいて、ただ秀頼を見て、言い放つ。


「上杉、毛利は未だ疲弊の極みにあり、前田、島津、伊達、それらにとっては徳川の世が豊臣の世に戻っても何ら利になりませぬ。佐助ですら、倅を殺す覚悟でも無ければ七十五万石をそれがしの意では動かせませぬ。それがしが身ひとつで参ったゆえん。異国での無益な戦に駆り出され、政権の後継者とおおやけにされていた者と親しくしていたという理由で取潰しの危機にあわされ、それらを考えれば諸大名にとっては、豊臣の世よりも徳川の世のほうが遥かに暮らしやすうございます。わざわざ豊臣に加担する意味がございません。

 代々の主筋というならばいざしらず、所詮は太閤殿下が百姓身分からのしあがって作った家。左様な家に滅亡覚悟で加担する義理はどの大名にもありませぬ」

「ならばどうしろと言うのだ!」


 発言を遮られたこともあって、大野治長が苛立ちを抑えきれない声を上げた。


「どうするべきか、どうしたらいいかは元より分かり切ったこと。第一に右府様が江戸に参勤すること。第二にお袋様を江戸へ質として送ること。第三に国替えを受け入れ大坂城を手放すこと。これら三か条すべてを受け入れ、ひたすら恭順の姿勢をとるよりありませぬ。諸大名にとっては、加担は出来ないまでも、一度は主と仰いだ御家。丸く収まることを願ってはおらぬ者はひとりたりともおりませぬ。であれば、恭順の姿勢さえとれば、将軍家はその恭順を受け入れざるをえません。堪え難きを堪え、御家を残すことこそ肝要かと」


 秀頼は叱られている子のように、微妙に震えていた。何もかもを射抜くような、吉興の視線を逸らしたくもあり、それでいて亡き慈父の声と重なるようで、目をふせることができなかった。


 なにをしている、命が大事ぞ、死ぬな、秀頼。亡き秀吉がそう言っているように思えた。


「…なにをすべきかは、最初からわかっている」

「そうでございましょう。右府様が分かっておられることは分かっておりました。分からぬは、右府様が、なにをなさりたいかです」

「余が、何をしたいか?」

「そうです、なにをすべきか以上になにをしたいか、です。人はなにかせねばならぬことをするために生きているのではありませぬ。したいことをするために生きているのでござる。右府様の人生は右府様の物。太閤殿下の物でもなければ、お袋様の物でもありませぬ。そのお命をかけて、右府様は何をなさりたいのです!」

「余は、余は。徳川を殴りたい。生まれて以来、大坂城から出ることもままならず。囚われの身であった。余を愚弄し、豊臣を虐げ、亡き父の遺言を足蹴にし、今またこうして兵を向ける。かような者ら、家康、秀忠に屈するのは嫌だ。絶対に嫌だ」

「たとえそのせいで豊臣が滅ぶとしても?」


 その問いかけに、秀頼はしばらく目を閉じ、答えを自らの胸の内に探し求めた。見開かれたその両眼には迷い一つない確信があった。


「余は何を犠牲にしたとしても、家康に屈することはない! 余は豊臣秀吉の子であるのだから!」


 その威を受け、誰もが、吉興を含め、誰もがしばらく息もつけなかった。これだけの人数がいながら、大坂城大広間は奇妙な静寂に包まれた。

 誰もが動けぬ中、佐助吉興ひとりが、居住まいをただし、静かに、深々と頭を下げた。そして懐から軍配を取り出す。


「なれば、豊臣の意思を具現化することが、豊臣の軍師たるそれがしの役目。二度と、二度と、徳川に膝を折れとは申しませぬ。我が主、豊臣秀吉公が威を引継ぎし秀頼様の意思を叶えんがため、命を賭して働くが我が任にて我が望み。

 おのおのがたっ! この軍配を振るいし時が来たっ! 豊臣が軍師として、只今より、この佐助吉興が、豊臣の兵権を預かる。よいな、基次」

「はっ」


 自分よりも年長の後藤基次に向かって、吉興が、総大将として呼び捨てにした。

 後藤基次、真田信繁、明石全登、長曾我部盛親の四名は立ち上がり、吉興の後ろに並んで着座した。吉興を大将と認める意思表示である。


「よいな治長、糺、重成」


 吉興は圧倒的な上位者として、既に振る舞っている。


「あ、ああ」


 大野治長はどうこたえていいかわからない。そもそも治長が幼少の時から、吉興は軍師として圧倒的な高みにいたのである。豊臣の冢宰なれば、対等以上に振る舞っていたが。


「吉興、頼むぞ」


 秀頼のその一言で決した。

 大坂城内にはなおも、徳川の手の者がいる。それらを通して、佐助吉興が、豊臣軍総大将に就任したことが、数日かからず、家康に知らされた。


 家康は激怒し、次いで、恐怖した。

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