第46話

 京都御所の一画、今は仙洞御所になっている辺りに、豊家御所があった。聚楽第破却後、秀吉が豊関白家の京屋敷として造営したもので、歴史的には京都新城とも呼ばれている。関ヶ原の戦いの後、家康の命でこの御所は縮小され、書画や建材が二条城にかなり流用されていた。

 京における秀頼の宿舎は、この場所となった。

 夕刻に到着してそのまま逗留し、翌日早朝、歓迎使として、十歳の徳川義直と九歳の徳川頼宣が派遣されて来た。

 この時点で家康の子息の内、存命なのは三男秀忠、六男忠輝、そして今回派遣されて来た二名と末息子の頼房のみであった。年齢から言えば忠輝が適任なのだが、以前、忠輝が大坂城に派遣されたおり、秀頼と意気投合しすぎて、家康から警戒されている。

 幼い少年二人を見て、秀頼が残念そうな表情を浮かべたのは、この際に忠輝に会えるのではないかと期待していたからであった。

 いくら家康の息子とは言え、まだ十かそこらの子を遣わすのも、失礼であるのかも知れなかったが、その軽さを家康は数で補っている。一人ではなく二人差し出したのだから、豊臣の面子もたったであろう、というのである。


 二条城へ付き従ったのは、佐助吉興、佐助時康、佐助宗興、赤橋吉清、加藤清正、福島正則、福島正之、片桐且元の八名であった。浅野は、洛外にて万が一に備えて兵を率いている。

 まず駿府老中筆頭の本多正純と江戸老中筆頭の土井利勝が、一同に付して挨拶を行い、本多正純が言うには、


「大御所様、昵懇の面談をお望みにて、供回りはお一人とさせていただきたく。こちらは本多佐渡守が付き添いまする。小姓らも一切排しまする」


 ということであった。


「なればこちらは吉興を」


 秀頼が即答した。


「頼みまするぞ」


 加藤清正がそう、吉興に囁いた。

 二条城奥へと進めば、なんとそこには、上座から降りた家康と本多正信が着座して、待っていた。秀頼の入室を認めると、家康が頭を下げる。

 これは試されている、と即座に吉興は気づいた。

 下座に座るか、上座に進むか。

 何とか伝えたいが、それができる態勢ではない。

 そのまま上座へ座れば、叛意を疑われてもやむを得ない所業である。

 吉興の焦りを知ってか知らずか、秀頼はただ真っ直ぐに歩んでゆく。


 おもむろにぴたりと止まった。家康の目の前である。

 おもむろに、家康に対面して、秀頼は着座した。

 脂汗が流れるのを感じながら、吉興は安堵し、みずからも本多正信に対面する。豊臣と徳川、それぞれの軍師を伴っての面談であった。


「前右大臣豊臣朝臣羽柴秀頼にござる」

「太政大臣源朝臣徳川家康にござりまする。おお、大きゅうなられました。爺でござりますぞ。ささ、上座へお進みくだされませ。豊臣家なれば」

「いや、こたびは、千姫のお爺様に会いに仕った。千姫を頂きながら、挨拶が遅れましたこと、伏してお詫び申し上げる」


 そう言いながら秀頼は軽く頭を下げた。

 そう宣言することによって、上も下も無い、ただの身内の会合であると秀頼は宣言したわけである。豊臣が徳川に膝を屈したわけではないと。


「いやいや、ご丁寧なごあいさつ痛み入りまする。どうであろうか、そうよの、吉興殿」

「はっ」

「豊臣と徳川は天下の両輪、増して和合せねばならん。そうであるの」

「いかにも」

「さて秀頼殿。そなた様のお考えはいかに」

「豊臣と徳川の縁深き事。切っても切れるものではござらぬ。叔母上は家康殿の御内室。別の叔母は、将軍家御台所にござる。千姫は将軍の娘。豊徳争えば、だれ一人無事ではいられませぬ」

「よくぞ、申された。なれば、天下和合の御意思ありと」

「無論」

「ああ。こたびは上洛してまことようございました。この家康めも六十八にござりまする。思えば信長公四十八、秀吉公六十一にて身まかりし。この耄碌もいつ死んでもおかしくはありませぬ。天下のことのみ気がかりにございました」

「家康殿はまだまだお元気であろう」

「いいえ、さほどは。秀頼殿もまこと立派になられて。亡き太閤殿下にも申し訳がたつというもの」


 いや、これは、と家康は涙を拭って見せた。


「老いれば涙もろくなりましてな、許して下されよ」

「それがしも家康殿と会えて有意義であった」


 秀頼は、吉興に目配せして、立ち上がった。退出する意である。

 余りにも早いと言えば早いのであるが、確かにそれ以上話しても、何がどうなるものではないだろう。

 対外的には、秀頼が家康に拝礼するために大坂から京へ赴いたという事実があればいいのだから。


 秀頼はただちに豊家御所へ戻り、その足で大坂へ立った。夜半にはなってはいたが、日付が変わらぬうちに、秀頼一行は大坂に到着した。


「ああ、あれは」


 二人きりになった広間で、家康が本多正信に呟いた。


「鷹にございまするな」

「そなたもそう思うか」

「さすがは太閤殿下のお世継ぎかと。殿下の才、そのまま引継ぎし如しにございまする」

「豊臣を残して、秀忠が天下を保てると思うか」

「普通に考えれば徳川は盤石。しかしながら、普通に考えれば豊臣の天下も揺らぐはずがありませなんだ。徳川にも弱みは御座いまする。上様がさほどの人物ではあらせられませぬ」

「はっきり言うのであるな」

「お許しを。しかしながら、糊塗していては軍師の任、務まりませぬ。今は大御所様がおわしまする。さりながら、その先は。越前、忠輝殿、幼いお三人方。上様に抑えられますかどうか。さすれば、伊達、前田、島津、上杉、毛利もうごめきましょう。その時に豊臣が残っていれば」

「天下がひっくりかねないと」

「佐助は五十過ぎ。まだしばらく生きましょう」

「佐助が、天下の乱れを許すか?」

「畢竟、誰かが天下人がいればいいのでございます。それはもう、佐助にしてみれば徳川よりは豊臣の方がいいに決まっておりまする」

「なれば」


 家康は目をつむった。


「秀頼を生かしては置けぬか」


 本多正信は何も言わなかった。ただ平伏するだけであった。決断するのは軍師の任ではないからだ。

 それは王者の権であり、王者のみが負わねばならない責務であった。


 一方。

 豊臣は安堵するばかりであった。大手門まで出張っていた淀殿は、秀頼の無事を見るや、すがって泣いた。


 その夜遅く、禁中より征夷大将軍が二条城に戻った。

 家康と秀頼対面の概略を、土井利勝から報告を受ける。


「そうか」


 秀忠の声はさりげなかったが、握る扇子が捻られて折れそうであった。

 秀頼は、将軍不在の機会を狙って、二条城を訪れたのである。徳川としては、豊臣が頭を下げた、という実績が得られればいい。

 しかし、秀頼の行為は、家康には頭を下げられても、秀忠には下げられぬと言ったも同然であった。実際、そういう意図であったのであるし。


「余は義父ぞ」


 誰もおらぬ部屋で、秀忠はそう言う。


「余は将軍ぞ!」


 秀忠は歯ぎしりをした。物心ついて以来、事実上、徳川の嫡男として育てられてきた。いまだかつてここまで愚弄されたことはない。


「待て」


 心が激昂へと走るのを制するように、秀忠はそう言う。

 あれを殺せばお千が悲しむ。千姫は秀頼には初めての子である。豊臣へ嫁がせるという重荷を負わせたこともあって、かたじけなくも愛おしい。

 秀頼を殺せば、淀殿も無事ではいられないであろう。そうなればお江も悲しむ。

 悲しむくらいで済めばいいが。


「堪える。これしきのこと、余は堪えられる」


 秀忠は自らを落ち着けようとした。しかし、とも思う。

 自分はただの自分ではない。将軍である。

 秀忠は良くても、将軍はそれでいいのだろうか。

 いつ傷つけられるかとびくびくしていて、将軍の権威は守られるのであろうか。将軍の権威が侮られれば。つまるところそれは室町将軍家の二の舞になる。


 将軍であらねばならない、と秀忠は思う。

 秀忠である以前に将軍であらねばならないと二代将軍は怨念のように自らを鼓舞する。

 秀忠としてではない。

 将軍として考えねばならない。

 今日の秀頼の振舞い、許すべきか許さざるべきか。


「大御所様がいかがお考えか。それ次第であろう。しかし将軍として余は」


 秀忠はこぶしをにぎりしめた。


「この屈辱を忘れまいぞ」


 誰にと言うのでもなく、秀忠はそうつぶやいた。

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