第62話

 尾張義直の婚儀は、少なくない者たちに衝撃を与えた。

 それは、否応なくその苗字が示されたからである。尾張候、尾張家中と呼ばれることが多く、苗字が何であるのかは曖昧であった。


 徳川義直。

 婚姻の儀を通して明示されたその名は、徳川家の面々に、静かなる怒りと懸念をもたらした。


 この時に、「家」が存続している家康の息子の家系は、


 越前松平家(秀康系)

 将軍家(秀忠)

 長澤松平家(忠輝)

 尾張家(義直)

 駿府家(徳川家康隠居領相続者としての頼宣)

 水戸松平家(頼房)


 の六家であった。

 将軍家以外は「松平」を称するという慣例がここで破られたことになる。無論、それぞれの松平が松平であるのは、それぞれの事情がある。そもそも、家康の苗字が徳川である以上、家康の子息たちは、特段の事情が無ければ、自動的に苗字は徳川になるはずであった。

 長男の信康は、後世においては松平信康と呼ばれるようになったが、生前時は、敢えて苗字を示される機会が無かっただけで、徳川信康であったはずである。

 次男の秀康は、養子となって結城を継いだことから、本来の苗字は結城であるが、松平の苗字を下賜された、という形で、松平を名乗っている。「他家」の者に徳川の苗字が与えられることはないので、越前家が松平を名乗るのも筋は通っている。

 四男の忠吉と、六男の忠輝は、それぞれ松平一門衆の別家を相続している。養子として松平であるのだ。

 五男の武田信吉は武田に養子に入った形になるが、これも松平の苗字を与えられている。その死後、同家を十一男の頼房が相続した形になるので、頼房家は松平であった。


 こうした詳細を見れば、将軍家以外は徳川を名乗らない、という慣習は実は無い。本来は徳川であった者たちが、それぞれの事情があって、松平を名乗っていただけだ、と形式上は言うことが出来る。

 しかしそんなのものは無論、建前である。徳川の名は宗家のみが継ぐ。家康がそう言う方針であると誰もが思っていた。

 だがここに来て、尾張義直が徳川義直となった。

 成人のうちでは、家康と秀忠を除けば、ただ一人の徳川である。頼宣も、徳川になるのだがこの時点ではまだ明示されていない。

 秀忠を排し、義直を将軍に立てるつもりなのではないか、そうした動揺を招くには十分な措置であった。


 豊臣を排すこの段階になって、家康は将軍家への抑えとして、義直を擁立したわけである。将軍家にとっても、不快な措置ではあったが、それ以上に不快であったのは、松平忠直と、松平忠輝であった。

 竹千代が生まれる以前、忠直は、疑似的な将軍家世子、暫定継承者と事実上見なされていた。家康の次男の男系であるから、竹千代、国千代がいない場合、最有力の継承候補になる。その立場を強化するために、秀忠は、最愛の姫である勝姫を忠直に嫁がせてもいる。

 忠輝にとっては、義直は弟に過ぎない。

 その義直が自分たちより重く扱われて、納得できるはずが無い。


 いたずらに乱を招きかねない、と本多正信は、この措置に強く反対したのだが、家康は強行した。

 本多正信は影響力の低下を実感していた。家康には明らかに暴走の気配が見える。信長の苛烈、秀吉の残虐を思い出して、正信は強い懸念を覚える。

 豊臣と言う重しが無くなれば、数代後どころではなく、家康自身が暴君化してしまうのではないか。


 名古屋城に諸大名が集う中、家康は、浪人召し放ちの約定違反を名目として、再度の大坂征伐を布告した。


 大坂夏の陣である。


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 千姫、気鬱ということで、吉興は千姫を見舞っていた。

 伝えなければならないことがあったからでもある。


「気分は、いいとは申せませんね。再び豊臣と徳川が、戦うことになって」

「千姫様には、豊家に嫁いで気苦労の多いことでありましたな。あなた様が一番苦労をなされて」

「勝てますか」

「勝てませぬ」

「豊臣は生き残れますか」

「無理でございましょう」


 容赦ない吉興の言葉であった。


「母からはもしもの時にはあなた様を頼れと言われています。もしもの時があれば佐助は必ず豊臣家にあるはずだから、と。けれども私は」

「生きねばなりませぬ」

「私は前右大臣豊臣秀頼の室です」

「同時に将軍家総領の姫であらせられまする。秀頼様亡き後、秀姫様を守れるはあなた様のみにございます」

「国松は?」

「無理に御座いましょう。しかしながら、それがしが御身を預かり、とつ国へお逃がしする手配を進めております」


 外国へ逃げるとすれば、朝鮮が最も近いが、朝鮮が豊臣の子を保護するとはとても思えない。若狭より日本海を抜けて、沿海州に達し、後金に委ねるが最善策であった。


「私に生き恥を晒せと?」

「豊臣の遺臣、御口添えいただけば、助命が叶う者もいるやも知れませぬ」

「無理です。私も豊臣の女です。江戸のことなどもう、さほど覚えておりませぬ。数えで七歳で大坂に来てより、大坂での暮らしの方が長くなりました。たとえ豊臣が滅びるとしても。豊臣家御台所が共にしなければ後世への恥辱となりましょう。私は覚悟を決めています。秀姫のことは常高院様に委ねます」

「それでもお聞きください。死ぬは易く、生きるは難し。さりながら、あなた様はその難事をせねばなりませぬ。歴史にはさような役目を負った人が稀に現れるのです。豊臣のためだけではありません。天下人の家となる徳川にとっても、戦とはどういうことであるのか、一族が分かれて争うとはどういうことなのか、しかと伝える人が必要にございます。竹千代君は江戸城奥にて、世の憂いも知らずに育てられるのですから。あなた様にしか出来ぬことです。

 生きられよ。いかなる惨めな姿を晒しても生きられよ。世情はおそらく、夫を捨てたとあなた様を良くは言いますまい。しかしそれでもあなた様は生きねばなりませぬ」

「ひどいことを仰せになられる!」


 千姫は泣き伏した。


「あなた様はお強い。豊臣の誰よりも、徳川の誰よりもお強い。天は、背負えぬ重荷を人には与えぬのです」


 そう言い残して、吉興は立ち去った。

 千姫は後に、この時の吉興の言葉を何度となく思い返すことになる。


 

 


 

 

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