第61話

 二月から大坂城の堀埋め立てが始まり、それが一月をかけて、内堀にまで埋め立てが及んだことから、徳川を攻撃するよう、吉興は諸将から突き上げをくらったが、よし、とは言わなかった。

 外堀を埋められた以上、早いか遅いかの違いだけなのである。

 ならば丸裸になるしかない。

 そこにしか生存の余地はない。


「関白の格式を維持することも適わなくなったと見るべきでございましょう」


 吉興は、秀頼に告げる。


「家康は我らを滅ぼしにかかっているということか」

「左様にございます」

「なれど和議では条件もこれといってなく」

「どうせ滅ぼす故、条件などはどうでも良かったのでございます。お袋様を差し出せと言われる方がまだしも良かったのです」

「いかがすればよいのか」

「徹底的に裸になるしか、活路は開きませぬ。四月に、尾張義直殿、ご婚儀おありとか。名古屋城にて諸大名集う手筈となっておる様子。大坂城のそれがし宛にも招待状が参りました。花嫁は亡き浅野幸長殿のご息女。

 豊臣にも招待が来ているはずでございます。まずはそれに右府様、お袋様、千姫様、国松君、秀姫様、常高院様、豊臣ご一族あげてご出席、その席にてこちらより国替えを大御所様に乞い願うのです。摂津一国ならびに大坂城、治めるは任にあらず、返上仕る故、五万石ほど隠居領をいただきたいと。

 国松君に家督をお譲りになられ、徳川よりの執政を願うのです。また、お袋様、江戸城にて、御台様そば近くでお暮しになりたいと」

「そこまでか」

「そこまでせねば、生きられませぬ」


 そこまでしてもどうなるかは分からないが、尾張義直婚礼と言う慶事において、そこまで思い切りよくすり寄れば、家康も体面上、否とは言えなくなるはずである。


「家臣らはいかがなる」

「五万石ではどのみち養えませぬ。股肱の木村重成以外の諸将らは、すべて召し放ちなされよ。浪人らをすべて大坂城よりまずは追い出すのです」

「後藤らもか。和議ではこれより新規の浪人を入れぬという話であったと聞いているが」

「幕府からは既に早々に大坂城より浪人を出すよう、指示が来ているはず。争ってはなりませぬ。何もかもを捨てねば生き延びられませぬ」

「そなたも去るか」

「すべてが終わりますれば。それがしは浪人にはあらず。羽柴の頃よりの股肱にございます。それがしの役儀は、見届ける側にございまする」

「ならぬ」


 吉興はいぶかしげに秀頼を見た。ただちに吉興に去れということか。しかしそうではなかった。


「家臣浪人、今いる者らを一人たりとて召し放つことは許さぬ」

「右府様、それでは」

「大して禄も与えられぬ中、命を賭けて豊臣のために働いてくれた者たちぞ。なにゆえ、おのれが生き延びるために恩を仇にできようか。たとえこの命潰えても。それだけは絶対に出来ぬ。余は皆の御大将なのだから」


 吉興はそれ以上は何も言えなかった。

 もっと言えば、感動すらしていた。

 さすがに、さすがに豊臣の人であると。

 秀頼がそう覚悟を決めているのであれば、もはやどうしようもない。どうしようもないが。ともかくも。足掻いて見せることにした。


 吉興は、軍首脳らを集める。


「正直に申せ。儂にも五十万石で誘いが来ておるのじゃ。そなたらにも勧誘が来ておろう」


 どう言ったものか、諸将は僚友らと吉興を見る。

 口火を切ったのは真田信繁であった。


「それがしは旧領沼田を中心に十二万石にございまする」


 下手に三十万石などではないところがやけに生々しい。


「それがしには黒田のかつての僚友を通して話がありましたな。播磨姫路にて、十万石とか」


 後藤基次が言う。


 明石全登には淡路一国六万二千石、ならびに八丈島島主として、宇喜多家の復帰。

 長曾我部盛親には、山内に伊予宇和島を与えたうえでの土佐半国十万石。


「それがしにはさような話はさっぱり来ておりませんが」


 と木村重成が言うと、


「なんじゃ、佐助公懐刀の木村殿を見落とすとは、徳川も見る目が無いの」


 と基次が言い、みなで笑った。

 笑いが収まった上で、吉興が言った。


「みな、その話を受けよ」


 途端に沈黙が下りた。


「ありていに申す。そなたらには大坂城にいて欲しくない。そうでなくば」

「大御所が豊臣を滅ぼすと」


 真田信繁が言った。さすがは、真田昌幸の子であって、政略の機微を理解している。


「右府様がそうお命じでございましょうや」


 長曾我部盛親が尋ねた。


「いや」


 正直に吉興は答える。


「吉興様御自らはいかがなさるおつもりか」


 明石全登が聞いた。


「それがしは、豊臣の軍師にて。そなたらとは立場が違う。それがしが靡けば、豊臣の誇りの根幹が揺らぐ」


 すかさず、真田が難じて言う。


「そは、ちとおかしいかと。脅威で言えば、我ららなど、吉興様には遠く及びますまい。豊臣の誇りの件、ごもっともなれど、我らにも、譲れぬ誇りはございまする」


 そして、後藤基次が話をつなげた。


「佐助公、おそらくは豊臣より兵力をすべて失わせ、徳川にすがって、豊臣を生き残らせたいのであろう。兵については右府様がご反対故、まずは軍令から解体にかかったと、そういうことでございますな。まこと理路が通っております。如水様もご存命であれば同じようなことを仰せでありましたでしょう。さりながら、こればかりは。豊臣のことを、最後の最後でご判断なされるは、右府様お一人にございまする」

「む」


「我らはすでにここを死に場所と定めております故」


 長曾我部盛親が言った。


「そなたら…」


「豊臣のために、佐助吉興様の差配で死ぬのであれば何ら悔いはありませぬ」


 木村重成が言った。


「ただ、我らもやられるつもりはありませぬ。あわよくば、家康の首をいただくつもりにございまする」


 真田信繁が言った。


「そうか」


 ならば、吉興ももはや何も言うまい。あとは交渉が紛糾し、行きつくところまで行くのを待つだけであった。

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