第56話

 吉興にとっては必要な戦闘は終わったも同然であったのだが、もうひとつ仕掛けようと思った。そのために築造させていたのが真田丸である。

 これは講和となれば破却されるであろう。

 真田丸を破却することが、徳川にとって成果となるようにするためには、その威を示しておかねばならないのである。

 十二月十三日の朝、吉興は、真田勢より伏兵を城外へ出して、前田勢を急襲させた。

 前田は既に豊臣恩顧ではない。旧恩に悩む段階ですら無い。

 前田利長は既に没し、二十歳を過ぎてようやく数年の若い利常が後を継いでいる。芳春院の子ではない。秀忠の娘の珠姫の夫であり、徳川に馴染むよう、利長がこしらえた継承者であった。

 婚姻以外にも、利長はひとつ手を打っていた。それは筆頭家老として三万石の知行でもって本多政重を家中に迎えることであった。

 政重は、正信の次男であり、正純の実弟である。徳川中枢と結びつくことで、利長は前田家を保とうとしたのである。

 政重は、気性が荒い武辺者であり、父にも兄にも似ていなかった。家庭人としては、本多正信もこの息子の扱いにほとほと手を焼いている。早くに徳川を出奔している。

 関ヶ原ではなんと宇喜多の一画として奮戦し、明石全登の下で獅子奮迅の働きを見せたが、処刑されなかったのは、正信の子であるからだろう。その後福島に仕え、米沢三十万石となった上杉に移り、直江兼続の娘婿、かつその養嗣子となった。

 直江との縁は妻が子を残さず逝去したため切れたが、直後に、前田に仕官することは本多正信が斡旋している。それをして、上杉に手を出さない交換条件としたのであった。

 政重はかくして、正信の手として前田に送り込まれた。

 大坂の陣の頃には三十半ば、性格もかなり落ち着いては来ている。

 政重はあからさまに幕府の間諜同然であったのだが、当人の豪傑めいた性格と、むしろ西軍方を渡り歩いた経歴によって、前田家中でも信を置かれるようになっていた。

 今、若い利常に代わって事実上、前田百二十万石の総大将として、政重は前田勢を率いている。

 しかし真田に挑発されて、若い頃の武辺者の血が一気に蘇ったようであった。


「おのれ、真田めが! 捻りつぶしてやるわ!」


 真田信繁はそもそも上杉に出された人質であったが、上手いことを言いくるめて逃れ、真田は上杉を裏切って徳川についた。上杉家中では真田の評判はすこぶる悪い。直江の厳しい倫理観を、婿養子であった時に政重は叩き込まれていた。この男は、本多正信の息子と言うよりは直江の養子であった。

 当然、わざわざ引き込まれてのことであるから、前田勢は一万五千の損失を出し、後方に撤退するよりなかった。


 この勝利に大坂城は沸きに沸いた。

 淀殿は緒戦からの大勝の連続に気を良くしている。

 吉興を直々に称賛しようと思ったが、吉興は会おうとはしなかった。

 勝利とは麻薬のようなものである。

 眼下に敵が敷き詰められる中、勝利だけが淀殿の不安を癒した。

 吉興は次は何の手を打つつもりなのか。それを聞きたい。

 しかし吉興はもはや、何らするつもりは無い。十分な勝利は達成した。後は講和にどう活かすかだけである。これ以上勝てば、逆に徳川も退けなくなる。

 淀殿は待ったが、それから更に十日を過ぎて、吉興が何ら動きも見せなかったので、大野治長に、真田丸と同じことをするように命じた。


「吉興殿ばかりが功を上げては豊臣直臣の面目が保てないでしょう。そなたも功を上げねば」


 そうそそのかされて、大野治長もその気になった。


 船場へ至る抜け道がある。その先には山内忠義が布陣していた。

 山内忠義はびくびくしていた。土佐国内の一揆鎮圧の経験はあったが、対外戦は初めての経験である。父の山内康豊からは、余計なことをするな、と厳命されていた。いるだけでいい、手柄をたてようなどとするな、と。佐助吉興の恐ろしさを山内康豊は知っていた。織田信忠に仕えていた康豊は、与力として羽柴勢に与えられ、吉興の山陰攻略も実地に見ている。兄、一豊ともども、あのような相手と戦場であたるべきではないとつくづく話し合っていたのである。

 これまで同じ陣営にいたから佐助吉興とあたらずに済んでいたが、此度は敵味方に分かれてしまった。忠義には、絶対に佐助の視界に入らぬようにせよと言ってある。

 十分に離れたつもりでも、抜け穴などを利用して奇襲されるかも知れぬ。つねに密集陣を敷いて警戒せよ、と康豊は忠義に命じていた。


 大野勢が二百の手勢を率いて、抜け穴を通して城外に出たと吉興が知ったのは、すでに追うことが出来なくなってからである。


「治長自らが行ったか」


 呆れて、吉興はそう声を上げた。


「放っておくが最善にございましょう」


 木村重成が言う。


「いや」


 手柄を上げるならばそれでもいいが、おそらく逃げ帰ってくるであろう。元の抜け穴を使うには、距離が出来るはずである。元の抜け穴は勝った時にしか使えない。船場に行けばおそらく山内とあたる。

 となれば、北西の方から城に向かって潰走するはずである。


 念のため、抜け穴を封鎖し、大野勢が戻ってきた場合のみ入れてやれと指示を出し、城の北西にやぐらを急ぎ作るよう命じた。縄梯子の幾つも用意させ、堀も越えられるよう、舟橋も上から落とし、浮かべた。


 案の定、大野勢がその方面から潰走してきた。先頭には治長、怒り狂った山内勢がそれを追う。


「いかがなさいますか!」


 木村重成の制止を振り切って、吉興はその姿を敵に見せつけた。


「あぶのうございます!」


 吉興はその声を無視して、猛りくる山内勢を睨む。

 山内忠義は、吉興の顔を知らないが、同家には大勢、知った者がいる。


「あれは、佐助吉興にございます!」

「む、なれば鉄砲にて」

「いや、これは佐助の策でございましょう! 引くが得策かと」


 佐助を舐めてはならぬ。佐助に関わってはならぬ。震えるようにそう言った父の言葉を忠義は思い出す。同じことを一豊も言っていた。


「む、まんまと佐助の罠にはまるところであったわ! 退け! ひけえーっ!」


 山内が撤退する中、ほうほの体で大野治長は石垣にへばりつき、なんとか城中に入った。

 肩で息をする治長の前に立ち、吉興は睨んだ。


「おぬし、このままで済むとは思ってはおるまいな」


 ただちに緊急の軍議が開かれ、秀頼、淀殿、大蔵卿局、常高院も出席した。


「勝手な行動をとり、軍規を乱し、御家を危地に追いやった治長が罪、許せぬ」


 皆の前で、吉興は鞭を振るい、何度となく治長を打った。そのたびに、治長は血を流す。


「おやめください! おゆるしを!」


 母の刑部卿局が思わず、治長におおいかぶさる。


「おのれ、そなたも軍規を乱すか、容赦せぬ」

「ひぃっ!」


 刑部卿局が悲鳴を上げる。


「おやめなさい! 老婆に手を上げるとは、あなた様は鬼ですかっ!」

 

 淀殿がそう難じた。


「姉上。治長はそれだけのことをしたのです。軍規違反は御家の大事。軍中の差配は吉興殿が委ねられていますので、姉上といえども口出しなされぬよう」

「お初っ!」


 淀殿は裏切られたような思いで常高院を見る。


「わたくしがっ! わたくしが治長にそうせよと命じたのですっ! 治長は従ったまで。罰するならば私を罰しなさい!」


 下の者をかばう高貴な振舞いに見えたが、しょせんは自らは安全地帯にいる者のたわごとであった。


「ほお。いかに茶々様のお言葉とは言え、容赦は出来ませぬ。それがし、太閤殿下より軍配を預かりし者。治長が罪をご一身に負うと仰せならば、負っていただきましょう」


 鞭を振るい、音を響かせながら、吉興は淀殿の方へ歩いて行った。


「ひぃ!」


 悲鳴を上げるのは今度は淀殿であった。


「待て!」


 秀頼が制する。


「待ってくれ。こたびのこと、母に代わって余が詫びる。この通りじゃ」


 秀頼が頭を下げた。


「お詫びになられるだけにございますか?」

「こたびだけは、頼む。かようなことは二度とさせぬ。同じことがあれば、いかに母上と言えども余が斬る」

「ならば収めましょう。二度とかようなこと、無きように。またあれば、それがしも豊臣を見限りまする」

「誓って」

「治長が処分はそれがしの一存に委ねられるのでありましょうな」

「無論」

「ならば、赦しが出るまで謹慎処分とする。自室にて監禁いたす」


 処分が案外軽かったので、刑部卿局は安堵した表情になった。


「では」


 秀頼もいぶかしげな表情になったが、すぐに察して、驚いた表情になった。

 しかし、詳細に答えるよりも前に、吉興は大広間を後にした。


「あれでよろしかったのでございますか。いかにも処分が軽すぎるようですが」


 追って来て、木村重成がそう言った。


「大野治長はまだ入用でな」

「は? それがしが言うのも何でございますがさしたる人物ではございませんぞ」

「分かっておる。さしたる人物は先々の豊臣のために残しておかねばならぬ。そなたのようにな」

「吉興様…」

「泣くな、これしきのことで。そなたは本当にわらべのような」


 そこは道崇先生、子をあやすは手慣れたものであった。よいよい、と言いながら、手ぬぐいで、重成の涙を拭ってやった。

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