第30話

 平野氏は元は尾張の国人であり、元を辿れば、鎌倉北条氏の庶流、横井氏に発する。系図は信頼性があり、由緒正しいものである。そもそも、鎌倉北条氏については、後醍醐天皇により朝敵とされたが故に、朝敵の末裔を詐称する者は少ない。

 佐助とは同族であり、しかもより得宗流に近い。

 その末裔である平野長泰を、佐助吉興は「宗家」としてたて、古くから親しく交際していた。

 平野長泰はその父の代から秀吉に仕えていた、豊臣家臣団の中では限りなく最古参に近い家系である。

 当人も武勇の人で、賤ヶ岳七本槍の一人として、武名を誇り、若い時には豊臣中核として出世を期待された。

 しかし、七本槍の中で、長泰のみが大名になっていない。知行は大和国に五千石である。

 これは当人の偏屈な人柄のせいで、いかに才があっても、人品の誠を気に入らなければ、長泰は家臣には取らない。そのせいで平野家の処理能力は著しく低い。大名とは行政官でもあるので、その能力が無ければ、とりたてようがないのである。

 ただ、秀吉はこの頑固極まりない股肱を愛し、憐れんで、この小禄に対しては異例ながら、豊臣氏の姓を下賜している。

 官位も従五位下、遠江守と、この石高に比して異常なほど高い。

 

 大名とならぬことを、当人が気にしていないのもあったが、秀吉が無理強いしなかったのは、豊臣本家の中にこのような、確たる信じられる男を残しておきたかったからかも知れない。

 大名には大名の事情がある。

 大きくなった家は、家臣が大名化し、いずれ本家の統率が利かなくなる。室町幕府もそうであったし、織田家もそうであった。

 秀吉が織田信雄を追い込んだ時など、織田家に残っていた家臣と言えば、聞いたこともないような者たちばかりだった。丹羽も池田も前田も蒲生も、そして無論、羽柴も、織田家臣団の中にはその名は無かった。

 豊臣もいずれはそうなるかも知れない。その時に平野があれば。

 平野はおそらくはそうした事情で豊臣本家に残っていたし、であれば、大名以外の豊臣直臣の中では、平野は相応の影響力があった。それらの中に在っては、経歴においても家筋においても官位においても、元々抜きんでているのだ。

 いわば豊臣の心臓である。

 誰が豊臣の冢宰となっても、無視できる相手ではない。


 家康による命を受けてから、実に四日後という急ぎ足で、平野長泰の次男で、この時は嫡男であった長敬ながともと、佐助吉興の次女、東姫の結婚が執り行われた。東姫は、数えで十二、相手の長敬は十八である。

 元々、あってなきがような軽口の約束で、吉興と長泰は互いの子を夫婦にしようと言ってあったのだが、今回、吉興からの急な申し出で、この婚儀が急ぎなされた。

 平野長泰は上杉征伐には従軍する予定であったが、長敬は大坂に残る予定である。


「分かっておる。別にかようなことはせずとも、同じ北条氏、佐助のことは平野が手を尽くして守るものを」

「さりながら、ちょうど良い機会でもあったのです。徳崇大権現様(北条高時)の御霊をお鎮めするためにも、良きことでございました」


 この両名は、小田原北条征伐の際に、連れ立って鎌倉に出かけている。何もかも荒れ果てた村落にあって、旧跡をたどるのも難渋したが、ついには祇園山の中腹に、高時腹切りやぐらを見つけ、共に先祖供養を成した。


 天下の趨勢を見つめ続ける吉興と、天下のことなど天に任せきった諦念を持つ長泰、人となりは正反対であるように見えて、その在り方はどちらも、かつては天下を総攬した家の末裔であるという矜持から端を発していた。

 

 調度類は、急な話であったので、何もかも間に合わず、佐助の家にあったものをそのまま用いたが、平野の家は元々質実剛健、手鍋一つで良い、と言ってくれるのは決して比喩ではないだろう。

 父親としてはそういうわけにもいかないので、豊前国中に、東姫の化粧料を千石設定して、それを持参金とした。


 東姫は子らの中で最も聡い子である。

 吉興に似ている。

 ぼんやりとした母や姉を持ち、しっかり者になり、時康でもたまに家中のことを相談していたりする。

 吉興は、一人くらいは外に出さずに、残す姫がいてもいいかと思っていたのだが、本来は溶姫を橘内に嫁がせるつもりだった。それが潰れて、では東姫を、とも思っていたのだが、平野との義理もあり、こういう機会でもあり、東姫を出すことになった。

 東姫ならば、小禄でありながら立場は重いという平野家の難しい家政を預かって、遺漏はないだろう。長泰も長敬も、誠実の塊のような人柄、人間関係での不安は微塵もない、なにはなくともそれが一番である。

 平野との縁組についていえば、時康や次男三男に平野の姫を迎える手立てもあったのだが、あいにく、長泰には姫はない。

 それに。家康のあの執着ぶりをみるにつけ、時康らの嫁とりが、小禄の家の姫であるならば、家康が納得しないだろう。

 家康には関係がない話ではあるのだが、当人が首を挟めば、追い出せる相手ではない。


「お溶は、大丈夫でしょうか」


 出陣を控えて、東姫の婚儀も終えて、夫婦二人きり、コウ姫は振り絞るようにして言った。


「如水殿は先に国元にお戻りとか。九州でひと働きなされるおつもりであろう。黒田の武威を示して、内府が侮れぬようにするおつもりか。ご内室も大坂に留まるよう。如水殿にぬかりがあるはずがない。溶姫のことは、如水殿に任せて何ら不安は無い。そなたらは言いつけをしかと守るように」

「分かっておりまする。何かあれば長敬殿を頼って大坂城に入りまする」

「お袋様のそば近くにあれば、悪いようにはなされぬ。当家は浅井の旧臣ゆえな。そなたとも織田の縁者同士。まかり間違っても死に急いではならぬ。誇りなどどうでもいい。万が一にもさようなことにはならぬとは思うが、万が一、武者狩りにあって、体を出さねばどうにもならぬなら、出せ。そんなことでそなたが汚れることは一切無い。地を這ってでも生き抜くことが肝要ぞ。生きてさえいれば、必ずこの吉興が助け出す」

「はい。あなたさまのことはよう存じております。生き抜くことこそ肝要と、むやみやたらに誇りなどで死に急ぐことなきよう、心がけます。だから。あなたさまも無事で戻ってきてくださいね」


 コウ姫は、吉興の肩にしなだれかかった。


「そなたが迂闊なままでは死んでも死に切れぬわ。少しは娘めいたことは無くなったかと思えば、童のように甘えん坊よの」

「意地悪ですね。あなたさまが死にきれないなら迂闊なままでいますわ」


 愛おしい。みな、愛おしい者のために生きているのだ。それを思えば、吉興は誰をも恨むことは出来ない。誰もが誰かを愛おしみ、誰かの愛しい人なのだから。

 その愛しさが無残に断ち切られぬことが無い世を作るのが、吉興の任である。他の誰にも出来ない、天下の軍師の天命であった。


「子らのこと、見星院様のこと、頼むぞ、おコウ」

「あなたさまも時康のこと、お願い申し上げます」


 大坂の蒸し暑い夜は、ただの夏の日の夜であるかのように、過ぎて行った。

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