第59話
彦根城は天下普請の城である。井伊に預けられていたが、畿内を抑える城としての役目を負わされている。慶長二十年、この年は年賀拝礼を排し、大御所と将軍は一月三日に、彦根城に入った。京大坂から距離を置いて、安全を確保するためであった。
今ここには、家康と本多正信がいる。
「大御所様、吉興殿が首を」
「ならぬ」
本多正信は家康に迫っていた。
今ならば、大坂は、先の三条件を受け入れるであろう。そのためには、戦の幕引きをしなければならない。
佐助吉興の首。
それ以外にはない。
「そなたがかくも吉興を憎んでおったとは知らなんだ」
「お戯れを」
苛立ちを込めて、本多正信は言った。
徳川と豊臣、立場は違えども、吉興と正信は友である。少なくとも正信はそう思っている。軍師が命を賭けて天下と言う作品をこしらえようとしているのだ。その道を整えるのが、正信の役目である。共に天下の軍師として、吉興と正信は共犯関係にある。
天下の軍師としては。
豊臣にとっては徳川が、徳川にとっては豊臣が存在することは悪いことではない。権威と権力において、拮抗する可能性がある者が存在することが、政治に緊張感をもたらすからである。
権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する。それを牽制する者が朝廷では駄目だ。朝廷は政治の現実から遊離しすぎている。遊離しなければ権威は保てないし、それによって権威を保てば、現実の政治は崩壊する。傀儡として利用されるならばともかく、その傀儡師には武家としての実力と権威が必要であろう。
本多正信はその役割を、豊臣家に求めた。
であるから、公武両頭制は、佐助吉興にとっては豊臣を生かすための次善の策であったかも知れないが、本多正信にとっては最善の策であった。
しかし家康はその最善の策を捨てようとしている。
吉興の首を取らないのは、他にもいろいろ事情はあるが、最大の理由は突き詰めて言えば、吉興の思惑には乗るつもりは無いからである。
つまりは。
豊臣を滅ぼすつもりであった。
「大御所様、公武両頭制を捨てるおつもりにございますか」
「そなたは十四万の損失を見ても何も思わぬか」
「しかしあれは ― 」
「佐助吉興の才が成したこと。そう言うのであろう。それは事実ではあろうが、吉興の才を豊臣という器が活かしたのもまた事実。吉興を殺せば当面の脅威は無くなろう。しかし世に天才は一人とは限るまい。それらが、豊臣を利用すればいかがなる」
それこそが、本多正信にとっては、公武両頭制の意味であった。
「そなたその危うさを分かっておったな?」
「政事を、清廉に保つが、結局は御家を長持ちさせることになるましょう。鎌倉北条氏も将軍の権威の下で他の御家人と折衝しつつ政事を進めていた頃は、良き政治を行っていたのです。それが敵を討ち果たし、王者のごとくとなってより、転落が始まりました。この故事、どうかお忘れなく」
「そなたにはそこまでの役儀を求めておらぬ。今まで儂を駒として用いていたな? 天下のことは儂が決める。そなたは徳川の軍師であれば良い」
正信は震えながら、平伏するしか無かった。
「豊臣は滅ぼす。少なくとも豊臣の家は滅ぼす。もし秀頼を生かすとすれば、徹底的に儂にひれ伏し、降伏すれば、宇喜多のように扱ってもよい。しかしこのことは取り敢えずは、ここだけの話。将軍にも言わずとも良い。当面、講和は行う。吉興からは牙を抜く。あれの首一つで収めさせてなるものか。そなたらの思惑には乗らぬわ。放っておけば豊臣と共に死ぬであろう。何も儂が時康から恨まれることもない。将軍を呼べ」
秀忠は、本多正純を伴って、その場に現れた。
「豊臣は生かす」
家康はさきほどと真逆のことを、秀忠には言った。
「それはなりませぬぞ、父上」
豊臣を残しておくことがいかに危険かを将軍は説いた。
「千姫のことはいかがするつもりか。救出はおそらくは出来まいぞ」
「他にも姫はございますゆえ。お千のことは諦めまする」
そう、今の秀忠は将軍として、一人の子の命など諦められると思っている。そうでなければならないのだと。しかしその考えこそが、家康には甘く見える。本当の地獄を知らない者の、しょせんは机上の空論だ。
「お江が壊れるであろうの」
「背負いまする。それがしがすべて背負いまする」
その無限の重さも知らず、秀忠はそう言い切った。この頑固なまでの責任感があればこそ、家康は秀忠が後継者に相応しいと思ったのだが、その責任感が暴走するかもしれない。秀忠は将軍であろうとしている。しかし人としての部分を断ち切った為政者は、責任感の暴君となるのではないか。
徳川家は大きくなりすぎたために、家康は危うさを感じずにはいられない。
なるほど、と気づく。
であればこその、備えとしての豊臣か。
天下のことを想うのであれば、おそらくは、本多正信が正しい。しかし徳川は家康の家なのである。手駒ではない。築山殿と信康を殺してまで守り抜いた家なのだ。
本多正信は、本多家が今の徳川家と同じ立場にあれば、果たして本多家を手駒として扱えるのだろうか、と家康は思った。そして、正信ならばやりかねないとも思った。軍師とはおかしな生き物である。
佐助吉興もそうだ、と家康は思う。佐助七十五万石。すでに立身出世の極みである。守りに入って不足はないだろう。しかし、吉興は、佐助を抵当にかけている。豊前を巻き込まなかったとはいえ、吉興が豊臣に加担すれば、普通に考えれば豊前佐助も連座を免れない。
家康は軍師ではないから、天下よりはまずは自らの家が大事であった。
家康が大前提として示した方針は、豊臣の責任を問わないということであった。
第一に大坂城の外堀を埋め立てる。
第二に浪人を仕官させない。
これだけであった。損害請求も、責任者の処罰も、淀殿を人質にすることも、大坂城から退去することも、武家として秀頼が徳川に臣従することすらも求めなかった。
両軍の間であっさり講和が成ったのは言うまでもない。大坂城内は沸いたが、佐助吉興は呆然となった。
すべてこれ ― 。
近々、豊臣を滅ぼすので細かいことに拘らなくてもいいという話であったからだ。
落としどころとしての公武両頭制が消滅したことを、吉興は察した。
彦根城では、豊臣の戦力低下を目指して、有力諸将の寝返りを促す工作をなすことを、秀忠から提案としてあった。
家康としては無意味だと思う。どうせ遠からずして豊臣は無力化される。それに佐助吉興はもちろんのことながら、他の諸将も吉興の眼鏡にかなった者たちなのである。禄につられて転ぶようならそもそも大坂城には入ってはいないだろう。
しかし将軍も何かをしている気にはなって貰わねばならない。やったからと言って特に害は無い。
家康は秀忠に、「ならばそうせよ」と命じた。
「父上、上様のあのお話は、今更無意味であると思うのですが」
軍議が終わり、二人で廊下を歩きながら、本多正純が、本多正信に聞いた。時に交代しながら、一方が大御所付き、一方が将軍付きである本多父子は、幕政の潤滑油として、些細なことでも齟齬が無いよう、少しでも疑問に思ったことは詰めておかねばならない。
「むろん大御所様もお分かりのこと」
「ならばなにゆえ、さような無意味を大御所様はお許しになったのでございましょう」
「ひとつは上様に働き場をお与えになるため。もうひとつは」
いや、これは、と本多正信は思った。
「そなた自身学ばねばならぬようじゃ。そなたも答えを考えて見よ」
おそらくは佐助吉興の説得のためには、コウ姫が派遣されるだろう。時康かコウ姫であろうが、時康については吉興に取り込まれるのを警戒して、家康が許さないだろう。
家康は、敵ではあるが孫娘の婿に、長年の友人に、妻と過ごす最後の機会を与えたかったのだ。
人は機械ではない。
正信はこの頃、よくそんなことを思うのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます