グリーン
移民船アストリアは、単純に表現するならば巨大な円筒型スペースコロニーにロケットを取り付けたような作りをしていて、その円筒部分をぐるぐると回転させることで発生する遠心力を人工重力として利用している。
現代では既に小型化された人工重力発生装置が実用化されており、僕らの中型宇宙船であるエオースにも搭載されているが、あいにくコロニー規模での大型化は難しい上にエネルギー効率も良くない。
そのため大型のスペースコロニーでは遠心力という原始的かつ古典力学的な仕組みがいまでも採用されており、アストリアもご多分に漏れずというわけだ。
アストリアは光速の六パーセントという速度で今も外宇宙の彼方に向かって慣性航行している。
しかしこのボロボロに損傷した巨大な宇宙船に、光速の六パーセントという猛スピードを減速するような手段は、今となってはもう無い。それはつまり、どこかの星系に腰を落ち着けて資材や燃料の調達を試みるといったことは、もはや出来ないことを意味する。
また、元々船には大量の燃料が積載されていたが決して無限ではない。発電用の水素燃料が尽きるか、もしくは燃料を使い切る前に発電システムなどが壊れるか、もしくはそれ以外の理由で重要な機能が失われた時、この箱庭の世界は完全なる死を迎えることになる。
不思議な光景だった。この世界は既に人間が滅んでしまった死の世界だ。
そんな死の世界で、ここが人間の世界だった事実の残滓のように、ロボットだけが約束された完全なる死に向かって静かに暮らしている。
奇妙な感傷を覚えつつ僕は船内を進んだ。
通路もそうだったが、ここは天井もあまり高くなく全体的に窮屈な感じがする。
太陽系にあるスペースコロニーであれば、円筒の内側をがらんどうにして巨大なミラーで取り込んだ太陽光を利用するのが普通だ。我らが母なる黄色矮星であるところの太陽が毎日元気よくエネルギーを放射しまくってくれるのだから、おこぼれに預からない手はない。
だが近傍数光年にろくな光源のない暗黒の宇宙空間を航行中のこの船では、太陽光を取り入れるための『そら』を設けておく意味はない。だから代わりに容積を床面積として有効活用するために、円筒の内側が重ねられたウエハースもしくは巨大なバウムクーヘンのように何重にも階層化されている。コロニーの内側がいわば分厚い地下街のようになっているのだ。
ここまで全ての通路が照明で明るく照らされていたにも関わらず、何故か僕には昔本で読んだ地球の地下墓地か何かのように思えた。
僕は今、少女達に案内されてアストリアに用意されたゲストハウスに入り、そこでダイニングルームのテーブルの前に腰掛けている。小さなダイニングルームだが、少女達二人と僕と、そして後ろに立っているリザだけであればかなり広く感じる程度には広い。
「わ、見てよレイシー。今日の夕食は『グリーン』よ。あたし、グリーン大好き」
「今日は特別だとトーマスさんが言っていました」
ロボット――いやシミュラントだったか――の少女達が何か楽しげに話している。
僕をここで待たせると二人の少女は何かの用事で出て行き、そして小型のワゴンのようなもので白い箱をいくつか持って帰ってきた。その箱を少しだけ開けて覗き込んだシャーロットの上げた歓声がさっきの声である。
何となく興味が沸いたので僕は彼女達に問いかける。
「グリーンって?」
「レーションよ。何種類かあるんだけどグリーンが一番のご馳走なの」
シャーロットは嬉しそうに答えると、僕の前にも樹脂製と思われる白い箱とボトルを置いた。どうやらこれが一人分らしい。
僕がちらっとリザの方を伺うと彼女は黙って小さく肩をすくめた。滞在中は僕もアストリアのゲストハウスで生活することになっているが、エオースにある僕らの食料プラントも使えるようにはしてある。幸いあの大事故にも関わらず食料プラントは無事だったのだ。
そんなことを考えながら、僕はふと今更ながら違和感に気づいた。白い箱は三人分ある。
「……君達も食べるの?」
「うん、もちろん。あたし達もお腹はすくもの。もしかして地球のマナーだと、ロボットが人間と一緒にご飯を食べるのは失礼だったりする?」
「いや、そんなことはないよ、一緒に食べよう」
シャーロットがほんの少しだけ不安げに首を傾げたので、僕は微笑みながら首を横に振った。彼女もつられるように笑顔になる。
彼女達シミュラントは生体部品を使用したロボットということであったが、僕が思っていた以上に人間に近いようだ。人間と同じものを食べて活動するロボットというのは、フィクションの世界ならともかく実際には地球でもかなり珍しい。雑多な有機物を効率よくエネルギーに変えるというのは、意外と面倒だし効率を上げにくい仕組みなのだ。
彼女達がどの程度人間に近いのかも調査予定ではあったが、若干興味がわいてきた。
僕の一番身近なロボットであるリザは、見た目は完璧な人間の幼女であっても中身は電力駆動の人工物だ。もちろん人間の食事なんて食べないし、内蔵された超高密度の二次電池を何日かに一回充電することになる。人類が電力というものを手にして以来、電力はいまだ人類が扱える最も取り回しの良いエネルギーという地位を明け渡していない。
シミュラントの少女達と、リザを比べると、何か根本的な違いがあるように感じられた。
少女達は自分の分の箱もテーブルに置くと、ちょうど丸いテーブルに正三角形になるような配置で席に着く。
「さあ、ライルも食べて食べて」
嬉しそうなシャーロットに促されるまま、僕はグリーンとやらの入った白い箱を開けた。
多少なりと期待していなかったといえば嘘になるだろう。
開けてみた箱の中には、小さな半透明の白い粒の多く入った粥のようなどろりとした何か、緑色のペーストのような何か、それから着色されていない無色透明のゼリービーンのような何かが入っていた。
何だろうこれは?
僕は困惑を隠しきれないままシャーロットの方に助けを求める視線を送った。だが彼女は僕の視線に全く気づいていないようで、樹脂製のスプーンを手に目を輝かせている。
仕方ないので僕は、故郷にいたころに聞きかじった、どのような文化圏の食事に招待されてもとりあえず通用するという万能のマナーを適用することにした。
つまり、シミュラントの少女達が食事に手を付け始めるのを待ってから、それを真似ることにした。
僕はレイシーの食べ方を観察することにした。参考にするのはどちらでも良かったのだが、何となくレイシーの方がお行儀が良さそうに思えたのだ。他意はない。
彼女は、緑のペーストをスプーンで少しすくうと、白い粥の部分に乗せ軽く混ぜてからそれを口に運んでいる。なるほど、そうやって食べるものらしい。
僕は彼女の真似をして白い粥と緑のペーストを混ぜると、スプーンで思い切って口に入れる。
「……?」
白い粥の部分は僅かに塩辛く、緑のペーストは奇妙な苦みと甘みがある。歯ごたえはほとんどない。
なんだろう? ものすごく不味いということはない。ないのだが……美味しくも、ない。謎のゼリービーン的な何かに至ってはほとんど味がなかった。
ちらりと少女達を伺うと、彼女達は幸せそうにこの謎の食事を口に運んでいる。明らかに満面の笑みを浮かべているシャーロットは当然として、僕に会ってからずっと陶器の像のように無表情だったレイシーも僅かに目元を和らげて見える。やはりシミュラントである彼女達と人間である僕とでは、味覚に違いがあるのかもしれない。
しかしそうなると、これからの食生活は少々辛いものがある。僕がこちらに滞在している間はこれを毎日食べることになりかねないのだ。
いや待てよ、とそこで僕の脳裏に疑問が浮かぶ。そもそも的に考えてみれば人間である僕が必要とする栄養と彼女達の必要とする栄養が同じとも限らないではないか。
人間である僕の健康を害するようなものは、アストリアの管理システムであるアイラが第一原則に従って止めるとは思うが、それも完全な確証があるというわけではない。必要な栄養が不足しているという可能性もある。
「リザ」
僕は小さく片手を上げて少し離れて立っていたリザを呼んだ。
「これ、少しだけ持って帰って、調べてくれるかな」
「分かりましたです」
リザは命じられるがままにセラミックスでできた親指大のサンプル回収用ケースを取り出す。
そんな僕達の様子に、シミュラントの二人がぎょっとしたように目を見開いた。
「ちょっと、おかしなものは入ってないわよ。あたし達だって第一原則は厳密に適用されてるんだから、ライルに危険のあるようなものを食べさせたりしないわ」
「ああ、ごめん。君達が信用できないわけじゃないんだ。シミュラントと人間の食事が完全に同じとは限らないから、栄養とかそういうのをリザに調べておいてもらおうと思ってね」
「そう……?」
シャーロットはやや納得しがたい様子だ。そんな僕達をレイシーは無言で見つめている。
それにしても彼女達は本当にロボットなのだろうか。一応ロボット工学の三原則は適用されているらしいのだが、シャーロットは何かに付けて感情豊かで人間臭すぎるし、逆にレイシーは反応が鈍すぎる。
微妙な雰囲気のまま食事が進む。
ちなみにレーションの箱と一緒に配られた樹脂製のボトルには水が入っていた。水にはクエン酸か何かと思われるものと甘味料が僅かに加えられているらしくほんのりと甘酸っぱい。意外とこれが一番まともな味かもしれない。
食事が終わる頃にはシャーロットの機嫌は直っていた。レイシーの方はまあ相変わらずの鉄面皮だ。
先ほどからシャーロットに食事はどうだったかとしきりに訊ねられては、僕は曖昧に頷いている。
正直言うと、これが本当に一番マシだというのならば、ここでの食事はかなり憂鬱なものになりそうだと言わざるを得ない。僕の味覚から言えばエオースの食料プラントはもっとずっとマシなものを作れる。
ご機嫌なシャーロットにおざなりな笑顔を返しつつ、僕は頭の中でエオースの状態と電力事情を手早く計算し、そしてリザに小さく手招きをすると囁くように訊ねる。
「リザ、食料プラントなんだけど僕の分だけじゃなくて三人分くらいならいけるよね?」
「大丈夫なのです」
「あまり大げさなものじゃなくていいから、適当な甘いパイでも作っておいてくれるかな」
「分かりましたです」
先ほどのメニューはあれでもシミュラント達にとっては一番ご馳走だったという。せっかくそんなものを出してもらったのに、僕の口に合わないから自分だけエオースの食事にする、というのも感じが悪いだろう。どうにか角の立たない方向に持って行きたい。
もちろん本当ならば僕は単に命じればいいだけのことではある。人間がロボットの顔色を伺うなんて滑稽だ。
それは分かっているのだが、何故か僕は彼女達の表情が今ここで曇るところを見たくなかった。
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