旅の始まり

 液状の栄養食は不味いというほどではないのだがやはり味気ない。

 僕がストローでちびちびと飲んでいる向かいで、レイシーが小さなボトルをテーブルに置くのが見えた。

 先ほどは何やら変な感じに取り乱していたようだったが、今は落ち着いている。

 ともあれ、彼女は明日から冷凍睡眠の準備に入るため、あの小さなボトルの飲料が最後の食事ということになる。次の食事は三〇年後だ。


「さて、今後のレイシーの処置の予定を確認するのです」


 そこを取り仕切り始めたのはリザだ。

 食堂の壁面にびっちりと表示されたのは、これからレイシーが安定した冷凍睡眠状態に入るまでのおよそ四日間に渡る予定表だ。

 薬剤投与など細かいプロセスが網羅されているため、見るだけで頭がくらくらしそうな量になっている。


「まあ明日の午前十一時の処置で意識はなくなるので、ここから後は気にしなくていいのです」


 リザが空中で軽く指を振ると、明日午後以降の予定が消えて残りが拡大表示される。

 一気に表がシンプルになり見やすくなった。


「食事は今ので最後。飲料水はこの後、午後二一時に一回、朝の七時に一回、の合計二回出すのです。一九時から定時検査ですが、シャワーを浴びるならその前なので、この後すぐに行くのです」

「はい」


 エオースでの冷凍睡眠は初めてになるレイシーだが、基本的なプロセスはアストリアでのものと変わらないはずだ。

 リザが一つ一つ確認するたびに、レイシーも行儀良く返事をしている。

 ここ最近はレイシーも人間として扱われることに慣れたようで、最初のような奇矯な行動は――まあそんなには――取らなくなった。

 そして一通り確認したところで「それからもう一つ」とリザが人差し指を立てる。


「シャワーを浴びた後でサボテンをここに持ってくるのです」

「……サボテンちゃんを……ですか?」


 予期しない指示だったか、レイシーは困惑したように聞き返す。

 リザが言っているのは僕がレイシーにあげた例のサボテンのことだろう。

 そういえば、これから三〇年眠り続けるにあたって各人の私物は既に片付けられているのだが、あのサボテンはレイシーの部屋に置かれたままだったのか。


「あのサボテンは食用の品種で寿命は十年ほどしかないのです。なので、三〇年後には、持って行けないのです」

「あ……」


 レイシーは何故かそのことに全く思い至っていなかったようだ。

 僕達は普通とは違う時間の流れの中で生きている。僕達以外の世界は、時間が全てを容赦なく押し流して行ってしまう。

 彼女が宝物のように大事にしていたサボテンとは、今日でお別れしなければならないのだ。

 レイシーもすぐにそのことを理解したのだろう。下唇を噛みながら、眉を寄せている。


 しかしリザはあのサボテンをどうするつもりなのだろうか。

 レイシーがあれだけ可愛がっていたのだ。用が済んだので処分します、というのは少々もの悲しい。

 そんな懸念が僕の顔にも表れていたのだろう。リザはちらりと僕の方に視線をやったあと、再びレイシーに向き直って続けた。


「まあ仕方ないのです。あのサボテンは寿命で枯れるまでレイシーのポッドのそばに置いて、私が面倒をみてやるのです。花が咲けば種も取って保存しておいてやるのです」

「……はい」

「サボテンの種はどうしたいですか。次に目覚める時に合わせてある程度育てておくこともできるのですよ」

「……自分で、蒔いてみたいです」

「ではそうするのです」


 レイシーにはやはりまだ心残りがあるようだが、後のことはリザに任せるしかあるまい。


「……それでは、私はシャワーを浴びてきます。ではライル様、また後ほど……」


 一通りの予定確認が済んだレイシーはそう言い残すと食堂を出て行った。

 リザはドアが閉まるまでそれを見送り、そして僕の方に振り向く。


「レイシーが眠ったら付き合う必要もないですし、ライルさんは何か固形物食べるですか?」

「ははは……もういいよこれで」


 苦笑しながらストローに口を付ける。

 シャーロットが食事制限に入る前の夜、次に目覚めるまでの最後のまともな食事ということで、僕達はごちそうを並べて簡単なパーティのようなものをした。

 今更それを二人の目がなくなったからといって裏切るのも気が引ける。


「さてと。僕の方は何か積み残してることあったっけ。アストリアの報告書は一通りできたし、人員の変更によるミッションプランの修正も提出したし……」

「地球とアストリアから通信が入っているので、ライルさんに確認して欲しいのです」

「ん、何?」


 アストリアについては基本的に現状維持という形になっているが、トーマスとエレインには市民権を付与した上で、第一級宇宙船損壊罪による禁固刑を申し渡すことになった。

 とはいえ僕達がアストリアに滞在している間は、適当な空き家を一つ確保して二人を外出禁止とし、食事の世話などはサミー任せにして放っておいたというのが実態だ。

 更に僕達がアストリアを出発してから七日後に恩赦を出すよう僕が署名してきたので、実質彼らは五〇日ほど謹慎しただけということになる。


 残りのシミュラント達をどうするかについてはトーマスとエレイン次第としてある。

 その先はもう彼らの自治の問題であって僕の知ったことではない。

 一応アイラから三日置きに定期報告が来ているので、リザが言っているのもそれだろう。


 地球からも定期的に全外宇宙の船や拠点に対して様々な情報を送られている。

 それは新技術であったり新作の映画や音楽であったり太陽系の政治情勢や法改正であったり様々だ。量が多いので精査するのはリザ任せになっており、僕は適当に人気の新作映画なんかをつまみ食いする程度でしかない。

 レイシーが冷凍睡眠に入ってしまうと僕もかなり退屈になるので、僕の番が来るまで数作適当に見繕っておいてもいいだろう。


「後で一通り目は通すけど、注意しなきゃいけない点はあった?」

「いくつかあるのです。まずアストリアの分なのです」


 わざわざ取り上げる必要があるような、何らかの問題があったということだろうか。

 アストリアとはもうかなり離れてしまったことだし、僕としてはどうでもいいし勝手にしろというのが本音ではある。

 ただ、出発までにサミーと同型のロボットを更にいくつか修理してやったり、それなりに便宜を図ってきたので、早々に全滅しただのと言われるのも寝覚めが悪い。


「何かあったの?」

「エレインが妊娠したそうなのです」

「……は?」

「エレインが妊娠二ヶ月なのです。父親はトーマスなのです」

「……あ、うん、そう……」


 ……そんなことが可能なのか。

 あまり考えたことがなかったが、なるほど理屈の上では可能なのであろう。

 シミュラント達の繁殖を抑制していたのはニューロチップだ。それは先天的にニューロチップを持たないシミュラントが生まれて三原則を破ることを防ぐためであり、つまり正式にニューロチップが解除されたのであればその制限は必要ないことになる。

 ドクター・ウォーカーは最終的にチップを解除することを念頭において、繁殖機能を不可逆的に破壊するのではなく、ホルモン制御による一時的な停止にしていたのだ。

 それにしても、エレインは例の事件ではあわやトーマスに殺されるところだったのに、結局よりを戻したということなのか。


「そうだね、じゃあ一応、お祝いのメッセージでも送って……って二ヶ月?」

「なのです」


 いやいや、ちょっと待て。

 僕達がアストリアを出発したのは三〇日前で、トーマス達のニューロチップを解除したのはそこから四〇日ほど前だ。

 その間、彼ら二人は名目上の禁固刑として、適当な住居――僕に用意されていたゲストハウスと同じようなやつ――に謹慎させていた。

 つまり時期的に考えて、投獄されて早々にということだ。


「……何なんだあいつら……」


 最後の最後までやりたい放題ではないか……

 僕は大きくため息をつく。


「……まあいいや。もう好きにやってろって気分だよ。でもタイミングが悪かったね。シャーロットが冷凍睡眠に入る前なら良かったのに。とりあえずレイシーも呼んで何かメッセージでも……」

「今はレイシーには伝えなくていいのです」


 シャーロットはともかくレイシーがトーマス達をどう思っているのかは判然としないところではあるが、それでもレイシーから祝いの言葉の一つでも掛けたいかもしれない。

 僕はそう考えたのだが、リザはそれを制止してきた。

 首を傾げつつ聞き返す。


「なんで?」

「……めんどくさくなるのです」

「めんどくさいって?」

「……」

「リザ?」


 リザにしては珍しく歯切れが悪い。いやそうでもないか。最近稀にだが彼女はこんな態度を取ることがある。

 そして、彼女に限ってそんなことはあろうはずもないのだが、何やら微妙にふてくされているようにも見える。

 そのまま彼女はじーっと僕の方を無表情で見つめていたが、ややあって――何故か渋々といった様子で――口を開く。


「つまりですね、冷凍睡眠はデリケートな処置なのです。心理的な安定度は大切な要素なのです。このタイミングであまり驚かせるのは良くないのです」

「そうなの?」

「……そうなのです」

「ふーん、リザが言うならそういうもんか」

「……」

「リザ?」

「……そうなのです。他意はないのです」

「いや他意とかは疑ってないけど……」


 まあレイシーもニューロチップを解除して二ヶ月あまりしか経っていないのだ。心理的にも完全に安定したとは言いがたい。リザの言うことにも一理あるだろう。

 それに、トーマス達を一番心配していたシャーロットは冷凍睡眠に入ってしまったことだし、レイシーにだけ伝えるのも不公平かもしれない。二人が起きて落ち着いてからまとめて伝えればいいだろう。


「オーケー、リザ。他には?」

「地球から通達なのです」


 その言葉とともに壁面ディスプレイの表示が切り替わり、宇宙船の設計図らしきものが映し出された。

 見慣れない宇宙船だ。

 アストリアに匹敵するほどの大型宇宙船のようだが内部構造はかなり違う。アストリアの特徴である遠心力で人工重力を発生させる円筒状の構造はなく、むしろ全体的にエオースの方によく似ている。


「なんだかものすごくでっかくしたエオースみたいな船だな……」

「その認識は正しいのです。この船は全員分の冷凍睡眠装置を備えたタイプの移民船なのです」

「ふーん? で、この船が?」

「アストリアに限らず、コロニーを備えた世代型の移民船はトラブルが多いので、冷凍睡眠をメインに据えてプランの見直しが始まったのです」

「なるほど……?」


 世代船での人生は、各世代の個人単位で見るとただ生まれて子供を作って死ぬだけになりがちだ。

 当初は人間の社会的基盤をそのまま維持して行くのが最良と考えられていた。だが、結果としてそれが裏目になり、むしろその閉塞感が社会的問題に繋がることが少なくない。新プランの解説にはそう書かれている。

 なるほどアストリアの事例を考えてみても、一定の説得力があるように思える。

 一方で冷凍睡眠に関しては長期の実用性が実証されてきているし、個々人が進捗を実感できるので士気が維持しやすい。そのため、一世代で冷凍睡眠をメインに据えた方が安定的である、というわけだ。


「それで新型移民船の送り先を、既存の各調査船から選ぶことになったのです。この船には後続する移民船がないので、候補になるのです」

「そういうことか。意外と早かったね」


 僕達は目的の星系に人類の橋頭堡となる基地を築いたら、そこで後続の移民船を待つことになっている。本来であれば僕達はアストリアと再合流するはずだったのだが、それは不可能になった。

 つまり、新しい移民船が計画されるまで、僕達は冷凍睡眠の状態で半永久的に待つことになるはずだった。

 正直に言うと僕達が移民船と合流することは期待薄だったのだ。

 それがどうやら地球側の予定変更で、予想外に早くチャンスが回ってきたらしい。


「でも考えてみれば僕達ちょっと不利だな。一度事故を起こしているし、メンバーも三人しかいない」

「その代わりアストリアから得た資材があるので、私達の作る基地は他より多少良いものになる予定なのです。それに星自体の条件も悪くないのです。差し引きすればそこまで不利でもないのです」

「なるほどね。何か僕達のミッションを変更する必要はある?」

「現地調査にいくつか追加要求が出ているですが、到着までは現行通りなのです」

「分かった」


 ともあれ良いニュースだ。

 現地で待つ時間が数百年ならともかく数千年となると、冷凍睡眠装置だって僕達の身体だってどの程度持つか分かったものではない。

 仮に新しい移民船の送り先として僕達が選ばれたとしても合流は何百年も先になるだろうが、せっかくの新天地でただ無為に待ち続けるのとは雲泥の差だ。現地基地を作るモチベーションも違ってくる。


「入植者かぁ。どんな人達が来るんだろうなぁ」


 まあ実際に船が出発するのもずっと先のことだから、僕達が出迎える入植者はきっとまだ生まれてもいないのだろうけれども。

 想像してみるだけで――


「ライルさん、これもわくわくするですか?」

「まあね。って、さっきのやりとり、盗み聞き……」

「廊下で立ち話するのが悪いのです」


 共用スペースの全てを自由に盗み聞きする権限を持つリザが、全く悪びれた様子もなくそう言った。

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