最果てと僕たち

 減光フィルタの掛かったガラス窓の外に、赤黒く光る球体が見えた。


 この通称『展望台』と呼ばれているメンテナンス用エアロックは、エオースの船内から肉眼で外の景色を見ることのできる唯一の場所である。エアロックの中は窓から差し込む夕暮れ時のような明かりによって赤く染まっている。

 窓の外に見えるのは、地球のある太陽系のものと比べると赤く暗くかなり小さい、まだ正式名称も付いていない赤色矮星。仮の名前はカナロア2118-18754。

 僕が地球を旅立ってから四〇〇年近くもかけてようやく辿り着いた新天地。

 あれが僕達の新しい太陽となる恒星だ。


「ここからじゃ惑星までは見えないのかなぁ……」


 ほぼ地球に近いサイズの惑星があるはずなのだが、ここから肉眼で確認することはできない。

 などと思っていたら、不意に僕の腕に暖かく柔らかい感触が張り付いた。


「ちょっとー、あたしにも見せてよー」


 窓は十分な大きさがあるというのに、わざわざ僕を押しのけるようにシャーロットがやってくる。

 やれやれと思いつつ離れようとすると、逆に腕を掴んで引き留められた。


「ライルも一緒に見るの!」

「はいはい……」


 彼女と出会ってから実時間では一〇〇年以上が経過していたが、体感時間ではせいぜい一年そこら。子供っぽいところはあまり変わらない。

 僕の腕にくっつきながら窓を覗き込む彼女は好奇心で目を輝かせている。


「思ってたよりは大きくないのね。地球の太陽はもっと大きいんでしょ?」

「あっちの太陽の方が大きいけど、地球から見たサイズだとこれ同じくらいかな。でもあっちのはずっと明るいよ」


 地球の太陽と違い、この赤色矮星は反応も緩やかで光量も少ない。そのため地球の昼間ほどの光を得たいならば、もっと近づく必要がある。

 僕達が開拓予定の第二惑星も軌道はかなり、惑星から見た太陽は地球から見た太陽よりずっと大きく見えるはずだが、それでも地球と比べるとかなり低温である。

 そんな惑星なので、さしあたっては生身の人間がそのままで住めるような場所ではない。長期的には惑星全体の環境改造も努力目標的に検討されているものの、まずは密閉型のドームや地下施設として居住施設を作ることになる。


「はぁぁ……ここがあたしとライルの新しい愛の巣になるのね!」

「いや、ならないけど……」

「……むー!」


 もうこのやりとりもすっかりお馴染みになってしまっている。

 とはいえ、気まぐれなシャーロットは今日はそれ以上じゃれるつもりもないようで、思いのほか早く僕の腕を解放してくれた。

 ……かと思ったら今度は――珍しいことに――そばで控えていたリザにぴょんと抱きつく。


「ライルは意地悪だわ! リザ、一緒に見ましょ」

「私は船外カメラで見えているのです」

「肉眼で見るためにわざわざここに来たんでしょ!」

「私に肉眼はないのです。ああ、こら、引っ張らないのです」


 最近はすっかりシャーロットとリザも打ち解けて……というよりはリザがペースに飲まれつつある。

 まあ窓際に引きずられていくリザもまんざらではなさそうだし、本日のシャーロット係はリザに任せてしまおう。

 二人が窓際でああだこうだとやり出したのを見届けてから、僕はふうと息をつき狭いエアロックを見回す。

 そこにもう一人の姿はない。


「レイシー……」


 彼女は今、ここにはいない。

 僕は最後に見た彼女の姿を思い起こし、そっとため息をつく。


「君は一体……」


 僕が呟きかけたところで唐突にパカリと足下のハッチが開いた。

 そこからぴょこりと顔を出したのは握りこぶし大の緑色の物体だ。


「……何やってるのレイシー」

「すみません、遅くなりました」


 続いてハッチから出てきたのは銀色の髪の少女、レイシーだった。

 先ほど一緒に太陽を見ようとなった時に、少し用事があるから先に行ってくれと言いだして、今のこれだ。

 どうやらその原因になったらしい緑色の物体を指さしながら僕は訊ねる。


「それ、取ってきたの?」

「はい、サボテンちゃんにも太陽を見せてあげようと思いまして」


 レイシーが頭の上に載せるように持っているのは、小さな鉢植えのサボテンだった。僕が最初にあげたものから数えて四代目にあたる。

 この四代目はリザがいつの間にか用意していたのおかげで、今や僕達の長い旅の同行者としてすっかり馴染んでいた。

 彼女はハッチから這い出すとエアロックの中を見回し、そして感嘆の声を上げる。


「わあ、赤いです。これが太陽の光なんですね。ほら、サボテンちゃん、これが本物の太陽ですよ」

「地球の太陽は白っぽいんだけど、ここの太陽は赤いね」

「植物は太陽の光が大好きと聞いたので連れてきたんですけど、赤い太陽ってどうなんでしょう?」

「一応光合成には使えるはずだけど……」


 緑色植物の光合成色素であるクロロフィルは赤と青の光をよく吸収する性質がある。つまり赤色矮星の赤い光も光合成に利用可能ではある。

 ただ、赤色矮星はそのエネルギーの多くを赤外線として放射するため、そもそも可視光に乏しい。平たく言えばエネルギー量の割に

 実際問題この太陽光は農業に使うには力不足なので、僕達が設営予定の基地でも農場では人工光を主に利用する予定となっている。


「まあこれだけだと光量が足りないから別途ちゃんと光は浴びさせた方がいいよ。太陽の光はせいぜいってとこだね」

「……おやつ……おやつ……」


 僕は何気なく言ったつもりだったのだが、レイシーにはその『おやつ』という単語がどこか琴線に触れたようだ。

 彼女はその言葉を反芻するように繰り返したかと思うと、ふんわりと笑顔を浮かべ、窓の外を眺める。


「ライル様の言うとおりです。本物の太陽の光というのは、とても素敵なおやつだと思います。きっとサボテンちゃんも気に入りますよね」

「減光フィルタで赤外線はほとんどカットされてるから、たっぷり当ててやっても害はないと思うよ」

「はい」


 レイシーは頷くと、サボテンの鉢を窓の真ん中に掲げた。

 そんなわけで、初めての太陽の光を一番の特等席で楽しむのは、レイシーのサボテンということになった。

 掲げた鉢を嬉しそうに回したり傾けたりしているレイシーをそばで見ていると、なんだか僕まで嬉しくなってくる。

 しばらくそうしていると、僕の視線にレイシーが気付いたようで、こちらを見てぱちくりと数回目を瞬いた。


「ライル様……? ……あっ、そうですね。とても長い旅でしたからね」

「ん?」


 僕は、唐突にレイシーが言ってきたことが理解できず、首を傾げた。

 一瞬考え込んでから、レイシーが答える。


「えーと、その、ライル様がとても嬉しそうに見えましたので、今までの苦労が報われたからなのかと」

「……いや、今のはただレイシーが嬉しそうにしてるなって思ってただけだよ」

「そうなんですか? ライル様が嬉しそうだと私も嬉しいです」


 サボテンの鉢を頭の上に掲げた変なポーズのままでレイシーが微笑んだ。

 彼女が嬉しいと僕も嬉しいし、僕が嬉しいと彼女も嬉しい。うん、これはポジティブフィードバックというやつである。

 そのまましばらく、サボテンに満遍なく光を当てようと本人ごとくるくる回るレイシーを眺めたり、気まぐれにじゃれついてくるシャーロットをあしらったりして過ごす。


「……でも、確かに、随分遠くまで来ちゃったな」


 僕が地球を出発しておよそ四〇〇年、体感時間では五年ほど。当初僕と一緒に地球を旅立った仲間は、もはやリザ以外残されていない。そしてレイシー達と出会ってから、体感時間では一年あまり。

 窓の外に見える赤黒い星とそれを回る岩石の塊たちが、長かった僕の旅の終着駅というわけだ。


「まあ本当に大変なのはこれからなんだけどね。調査にしても基地の設営にしても」

「はい」


 太陽に向けて掲げていたサボテンを抱えるように戻しつつ、レイシーが僕に向き直った。

 彼女の瞳からは強い決意のようなものが見て取れる。

 故郷であるアストリアを離れ、僕とともに困難なミッションに参加したのは、三原則によらない彼女自身の意思だ。何が彼女をそうまでさせているのかは分からないが、それが彼女の意思であることは僕も疑っていない。


「レイシー、これからもよろしくね」

「はい、頑張ります……ライル様とフットボールチームを作るまで……!」

「う、うん」


 何故か妙に熱意のこもった眼差しが返ってきたので、若干たじろぎつつ僕は頷いた。

 何だろう。

 彼女を駆り立てているものは、基地が完成した後に約束しているフットボールなのだろうか。

 しかも僕達たった四人でチームとは随分な意気込みである。

 スポーツが得意とは言いがたいはずのレイシーが、どうしてそこまで楽しみにしているのかは想像も付かない。

 と――


「ライルさん」


 ――そこで小さな手が僕の袖口をくいくいと引っ張った。

 見るとリザが片手で僕の袖をつまみ、もう片方の手で窓の方を指さしている。


「見えるのです」

「ん?」

「太陽の左上なのです」


 リザの指先は太陽の左上あたりを指している。

 地球の太陽と比べるとここの太陽は暗い。肉眼で見ても目を焼かれるというほどではない。

 しばらく目を凝らして見ていると、ようやく太陽の隅に張り付くように黒い小さな点があるのが分かった。


「……太陽面通過トランジットだ……」

「はい、第二惑星なのです」


 目的地である第二惑星が、ちょうど太陽とエオースの間に入ったのだ。

 これはいわば惑星による日食である。

 まだ距離が遠い上に太陽と比べると惑星は非常に小さいので、辛うじて丸いことが分かる程度の黒い点にしか見えない。


 僕達は息を飲むようにして窓の外を見上げていた。

 いつもは騒がしいシャーロットまでもが今は言葉を失っている。レイシーは割とマイペースにサボテンを太陽の方に掲げ直している。


 リザも僕達と同じように太陽を見つめている。彼女が何を考えているのかは僕には分かり得ない。

 あのちっぽけな黒い点が僕達の旅の終着点ではあるが、僕達の冒険はまだまだこれからだ。

 そしてそれは何百年にも渡る大事業であり、人間である僕らはそのほとんどを冷凍睡眠で過ごすことになるので、実際には大半をリザ一人に委ねざるを得ない。


「リザ、ごめんね」

「……いきなり何なのです?」

「また独りぼっちで頑張って貰うことになっちゃうからさ……」


 これまでの長い旅でも、リザはほとんど一人で何もかも切り盛りしてきた。

 彼女は何十年何百年と一人で働き続けることになったとしても、決して孤独を感じることはない。そのように作られている。数百年の孤独ですら、僕達がほんの数時間ほど一人で仕事する程度の気軽さで、彼女は耐えきってみせるだろう。

 だからといって、彼女のそんな姿を僕が何とも思わないかどうかと言えば別だ。

 しかし僕に振り向いたリザは無表情のまま小さく首を傾げる。


「ライルさんがいつもそばにいるので、独りぼっちではないのですが?」

「だって、僕は大体寝てるし……」

「目覚めたら、喜んだり褒めたりしてくれるのです。それが無かったらこんな仕事やってられないのですよ」

「……そっか」

「そうなのです。なので目覚める度に、私の仕事ぶりに元気よく喜ぶのです」

「善処するよ」


 リザの心は人間のものとはいる。それは心がことを意味しない。だけなのだ。

 僕はぽんぽんとリザの頭をなでてから、再び窓の外に視線をやる。


 あそこに基地を作るためには大量のプラントやローバーが必要であり、それはエオースに搭載された量を遙かに上回る。

 つまり、まずはプラントやローバーを作る必要があり、それに先だってプラントを作るためのプラントが必要になる。

 そのためには大量の資源が必要であり、それらは各惑星や衛星で調達しなければならず、つまりその前に各地にどんな資源があるのかを調査することになる。


 その長い長い道のりに何があるのか、僕はもとよりリザにすら予想はできていない。

 きっとこれからも僕達は様々な困難に直面するだろう。

 だが僕達はそれを乗り越えて、もしくは乗り換えられなかったら適当に迂回したりして、先に進むのだ。

 そのことを考えるのは、不安だとか恐怖よりも、そう、心躍るような何かに満ちている。

 この冒険は僕にとって――


 ビー!

 ビー!


 ――そんなことを考えていたら突然船内に警報音が鳴り響いた。


「太陽フレアなのです」


 前途多難だ。


――――――――――――――――――――――――――――――


 本編はここまでとなります。

 最後までお付き合いいただきありがとうございました。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死者の船と最果ての少女 ほげ山くん @insane

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ