イミテーション
僕とレイシーはなんだか言葉が続かず、無言のまま微妙な空気で見つめ合っていた。
テーブルに置かれたフルーツタルトはほどよく冷やされており、対照的に合成紅茶はまだ熱く湯気を立てている。
リザにシミュラントの一覧を見せられた時、僕はもちろん真っ先にこの目の前にいる少女のことを見つけた。僕がミス・ウィットフォードのことに気づかないはずがない。
だが僕の知るミス・ウィットフォードは正真正銘本物の人間のはずだ。彼女はアストリアで冷凍睡眠実験の被験者となっていると聞いていた。
少なくとも僕はずっとそう聞かされていた。
ならばこの少女は何者なのだ。
ミス・ウィットフォードと全く同じ外見で、全く同じ声を持ち、僕とやりとりしたビデオレターのことを覚えていて、そして人間ではないという、この少女は何者なのだろうか。
僕を見つめ返すレイシーの表情は微妙にすぐれない。
どうにか空気を変えようと、僕は少し息を吸い込み、そして吐き出し、微笑んだ。
「えっと、あのね、とりあえず食べようよ。ずっと君と一緒に食べたかったんだ」
「ですが、私は――」
「いいんだ、今はそういうの考えないことにして、全部後にしよう。せっかくリザに無理を言って作ってもらったんだから」
「……はい」
彼女は控えめに頷く。
フルーツタルトは食べやすいように、僕の分もレイシーの分も前もって切り分けられている。
レイシーはじっと僕の手元を見つめている。食べ方が分からないのだろうか。
「僕と君しかいないんだから、好きに食べていいんだよ」
僕はそう言うとフォークで自分のタルトを一口分だけ切り、ぱくりと口に入れた。
ややくどいほどの甘さは、複雑な酸味との組み合わせで不思議とほどよく感じられる。ビスケット生地は本物と比べてやや風味が弱く固めだが口に入れると脆く崩れる。特筆すべきはフルーツ部分の食感で、口当たりも歯触り舌触りも本当に本物そっくりだ。
このタルトのレシピを作ったユーリは、食感の物理的再現性にとにかく一家言ある男で、食感さえ完璧なら甘味料と香料だけで人は騙せるとまで豪語していた。しかしこのタルトはユーリにしては珍しく味の再現度にも妥協はない。
レイシーは僕の真似をするように、チーズ味のクリームの付いたブラックベリーを口に運ぶ。
「わ……」
小さな感嘆の声と共に少女の表情が和らいだ。
良かった、気に入って貰えたようだ。このタルトはアップルパイと比べると複雑な工程を必要とする。リザは文句一つ言わずに作ってくれたが、実は毎日好きなだけどうぞというほどお手軽なものでもない。
彼女と地球のお菓子でささやかなティータイムを楽しみたいという、僕の数十年来の願望を叶えるためにリザには少々無理をしてもらったのだ。
「美味しいでしょ」
「はい、とても……」
彼女の食べ方はとても丁寧だ。一口一口大事そうに食べる。昨日のシャーロットもそうだった。
レイシーは感情表現が控えめなタイプの少女であったが、食事の時だけには目に見えて表情が変わる。食事環境が悪いというだけでなく、食事以外に娯楽らしきものがあまりないのかもしれない。
マンゴー――のようなもの――を口に運び、はぁと少しうっとりするようにため息をつく彼女に、僕は続けて訊ねる。
「エオースの食料プラントには少し余裕があるんだ。良ければ明日の朝食もこっちで用意しようか?」
「本当ですか?」
ばっと身を乗り出すようにして顔を上げ、レイシーはそのまま数秒硬直し、そして顔をやや赤くにしながらすごすごと体勢を戻した。
礼儀正しく大人しい、というよりもそれを通り越して無表情の印象すらあった彼女が、ばつの悪そうな顔で俯いているのが妙に面白く、僕は小さく吹き出す。
「うん、じゃあそうしよう。もちろんシャーロットの分もね」
「……はい」
それから僕達は言葉もなく、ゆっくりと目の前のフルーツタルトを食べる作業に没頭した。
なにやら思っていたような談笑しながらのティータイムとは微妙に違うのだが、レイシーの顔が和らぐのを眺めているのは僕にとっても幸せな時間だった。
そして最後の一欠片がレイシーの口に消える。
彼女はそれを名残惜しげに味わい終わると、ゆっくりと息をついた。
「……ありがとうございました、ライル様。昨日シャーロットが戻ってきた時に機嫌が良かった理由も分かりました」
「気に入って貰えて良かったよ」
……実はシャーロットに出したものとは違うのだが、まあわざわざ言う必要もなかろう。
空になった彼女のティーカップに合成紅茶を注ぐと、僕は改めて彼女に向き直った。
「……それで、どういうことか、事情を聞かせてくれる? 君が、僕の知っている、ミス・ウィットフォードなの?」
「彼女は……」
僕の問いかけに対して、レイシーは何か言いかけて口ごもった。迷うような、困ったような、そんな表情だ。
ほんの一瞬だけ第二原則で命令して話させるというのも脳裏に浮かんだが、すぐにその考えは振り払った。
すなわち僕が期待していたのは、本物の人間である彼女が、何らかの手段で破滅を生き残り今僕の目の前にいるのだと、そんな答えだったので、本物の人間であればどうせ通じないはずの三原則のことは脳裏から追い出したかったのだ。
だが、彼女が発した先ほどの一言だけで、僕の中には既に悪い答えの予想はできはじめていた。
「……『彼女は』?」
僕がその一言を反芻すると、レイシーは意を決したように視線を上げる。
「彼女は、オリジナルのレイシー・ウィットフォードは、もういません。私はオリジナルの代わりに彼女の実験を引き継ぐために作られた代役に過ぎません」
「彼女の……代役」
「長期間の冷凍睡眠での耐久実験。それから、冷凍睡眠と超長距離通信を併用したときの心理的影響の調査、ライル様との交信実験です」
彼女の言葉を頭の中で吟味する。
なるほど、代役。
そして、僕は自分の間抜けさを笑いたくなった。笑って、笑って、もうなにもかも冗談ということにしたかった。
つまり、ミス・ウィットフォードは、やっぱり既に死んでいて、目の前のレイシーはその偽者で、恐らく前回かそのもっと前のビデオレターから彼女とすり替わっていて、そして、僕はそのことに気づいていなかったのだ。
やっぱり僕は間抜け野郎だ。
僕は一体彼女の何を見てきたというのだ。僕にとってミス・ウィットフォードは、偽者に入れ替わっていても気が付かない程度の人だったのだ。
こんな間抜けを騙すのはさぞかし容易だったことだろう。それこそ食感さえ完璧に再現すれば甘味料と香料だけで人間の味覚は簡単に騙せるんだぞと言わんばかりに。
そんな風に自嘲しつつも僕がそれなりの平静を保っていたのは、多分元からどこかで薄々気づいていたからだ。それと、僕の目の前にいるミス・ウィットフォードそっくりの少女が、僕をじっと見つめていたせいもある。
苦笑を浮かべつつ質問を続ける。
「君は、いつから入れ替わっていたの? 笑っちゃうでしょ。僕は全然気づいてなかったよ」
「私が代役を務めたのは二回です。ライル様が傷つくことを回避するために、アイラの提案を受け入れました。ですが、問題の誤った先送りだったと思います」
「……そうでもないよ、あの事故の時に知っていたら、僕は生き延びようと思わなかっただろうから」
僕は自嘲しつつ首を振った。
一昨日リザからあの写真を見せられた時に、そんな気はしていたのだと思う。今もまず真っ先に、やっぱりなぁと思ったのだ。レイシーの尋問を今日まで先送りしたのも、きっと問題を直視したくなかっただけだ。
アイラとレイシーの判断は、僕が傷つくという観点だけで言えば正しい。あの時もしミス・ウィットフォードが既に死んでいると知っていたら、生きる気力を欠いた僕はきっと真っ先に死んでいただろう。
でも、もし今生き残っていたのが他の仲間、例えばフレッドやマリーナだったら僕が生き残るよりマシだったかもしれない。
……僕はどうして生き残ってしまったんだろう。仲間達から全てを託されたことが、なんだかひどく煩わしいことのようにすら思えてくる。いっそ最初に僕を騙すことに決めたのなら、僕がアストリアを離れる最後の最後まで騙し通してくれれば良かったのに。
僕は大きくため息をついた。良くない心理状態だ。何か区切りを付けたい。
「ねえ、レイシー。明日でいいから、ミス・ウィットフォードのお墓に案内してくれないかな?」
「ライル様、残念ながら彼女の遺体は回収できていません。この船でアイラが管理出来ている場所は極めて限られています。住人がどこでいつ亡くなったのかも厳密には管理出来ていないんです」
「……ちょっと待って。じゃあ、アイラの管理区域外に生存者がいる可能性も……」
「二十年以上、船内の環境維持システムは停止状態にありましたから」
僕の微妙な期待だかそうでないのか分からない言葉は、ばっさりと否定された。
レイシーによると、住人同士の内戦によって船殻と環境維持システムが破損して以来、船内は人間が生存可能な状態ではなくなっていた。全ての区画で空気が失われ、資源を循環するシステムも停止していた。
アイラによって一部が復旧されるまでの二十年ほど、船内は人間が暮らせる場所がなかったのだ。通信がダウンしているためアイラが把握できない区画も多く存在するが、電力網も寸断されているためそこでの生存はなおさら絶望的だった。
第一原則に従って人間の保護を最優先しなければならないアイラが、諦めて人間が全滅したと判定したのには相応の理由があるのだ。
「ライル様、シミュラントの居住区に犠牲者のための慰霊碑があります。そちらで良ければご案内します」
「うん、そうだね……他のシミュラントとも顔を合わせておきたいし、明日はそっちを見せて貰うよ」
レイシーと目を合わせづらい。
外見は全く同じ、声も同じ。だが、ビデオレターで見る彼女と目の前の彼女は、よくよく見ると雰囲気が全く違う。ミス・ウィットフォードは大人しく控えめな少女だったが、見た目よりはずっと意志の強いタイプだった。少なくとも僕の認識ではそうだった。
目の前のレイシーは違う。彼女は淡々としていてとにかく従順だ。自分の意思というものを感じない。感情を表すのは食事の時くらいだ。ビデオレターでは僕のためにわざわざミス・ウィットフォードを真似ていたわけだ。大した名演技である。そして気づかなかった僕にとっては情けないことこの上ない話だ。
だが、彼女が悪いわけではない。
「……ごめん、色々あって疲れた。今日はもうお開きにさせて貰っていいかな」
結局何となく話が続かず、僕はレイシーと目を合わさないままそう言った。
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