銀髪の少女

 次の日の僕の仕事は、専らうちのリザの欲しがる資材をアイラに要求することだった。

 船の修理には少なからぬ資材が必要になる。幸いというか、アストリアにはエオースの修理に使える資材がそれなりに残されていた。


 問題もある。

 ここアストリアの管理システムであるアイラと、僕らのエオースの管理システムであるリザは、同じロボットのくせに仲が悪いのだ。アストリアの安全を最優先で考えるアイラは、エオースの修理を進めたいリザに対して実に冷ややかだ。何を要求しても必ず渋る。

 そのため、何か衝突があると僕がいちいち出て行って、第二原則による命令権を使ってアイラを従わせる必要があった。

 困ったことにアイラに対して『大人しくリザに従え』とだけ命令して放っておくのは駄目なのだ。僕が直接干渉しないと、すぐに安全性にリスクがあるから嫌だと第一原則を盾に従わなくなる。そんなことが日に何度も起こるのだ。

 ロボットという奴らはなんて面倒なのだろう。どうやら彼女達の基準ではいちいち僕の心労を増やすのは第一原則に反しないらしい。


 食事があまり美味しくないことも問題だ。

 郷に入っては郷に従えで今日もここの食事を食べたのだが、昨日の『グリーン』がご馳走だったということを嫌でも認識させられる羽目になった。特に夕食に出た『ブルー』は控えめに言っても酷い代物だった。思い出して言葉に表現するのもまっぴらなほどに。

 こんな宇宙の辺境で贅沢な悩みだというのは分かってはいるが、食事が合わないのはやはり辛い。むしろ宇宙の辺境だからこそ食事は数少ない娯楽なのだ。

 明日からはリザにちゃんと食事を用意して貰おうと心に決める。


 ささくれ立つ心を抑えながら、僕はどうにか今日の活動記録を付け終わる。時計を見ると次の用事までには少し時間があった。

 僕は少し考えた後、ディスプレイ上に映像データを呼び出す。


『ライル君、お久しぶりです』


 銀髪の少女ミス・ウィットフォードが、ディスプレイから僕に微笑みかけてくる。

 この彼女の最後のビデオレターは、エオースの事故のあと僕が冷凍睡眠に入っている間に届いたものだ。あれからずっとバタバタとしていて、今ようやく見ることが出来た。その彼女は僕の知るいつもの見慣れた彼女だった。

 ミス・ウィットフォードはいつも通りの地球の文学のほかに、地球の自然や植物の話をしている。


 彼女は本当に地球のことが大好きだ。前回のビデオレターでは地球のお菓子のことに興味を示していた。

 いつか彼女に会える日が来たら、一緒に甘いお菓子を食べに行きたいな、とその時は思ったのだ。思ったし、僕からの返事でそういう話もしておいた。


 だが、アストリアの事故は一五七年前、管理システムのアイラが把握している範囲内で人間の全滅が確認されたのは一〇三年前だという。

 アイラがこれまでエオースに報告していなかったその事実を、僕が知ったのはつい昨日のことだ。

 ならばこのビデオレターで楽しげに話すミス・ウィットフォードは何者なのか。このビデオレターは人間が全滅したとされる時代より後のものなのだ。実は彼女は生きていたのか、アイラの作った合成映像なのか、はたまた彼女を装う別人なのか。僕がアイラを問い詰めれば彼女は答えたであろうが、僕は今の今までそれをせずにいた。

 僕はたぶんその答えを知っていたから。


 ミス・ウィットフォードのビデオレターを途中で打ち切り、僕は部屋に据え付けられた椅子にぐったりを深く腰掛けた。彼女のビデオレターを最後まで一気に見なかったのは今回が初めてだ。いつもなら通しで三回はループするところなのに。

 その時、部屋のドアの方から小さなビープ音が鳴った。


「ライル様、レイシーです。お呼びでしょうか」

「どうぞ、入って」


 僕は身を起こしつつ答える。時間通りだ。小さな音を立ててドアが開いた。

 入ってきたのはここ最近の悩みの種である銀髪の少女レイシーだ。僕を見つめるグレーの瞳は何の感情も映し出していない。


「……御用は何でしょうか?」

「一人ずつ話を聞いてるんだ。ああ、リザ、モニタリングはもういいよ」


 天井に向かってそう言い、この部屋のシステムと接続していたリザを切断させる。これで昨日と同じくこの部屋は誰からもモニタリングされていない状態になった。

 僕は昨日とは少し違う保温容器と、昨日と同じ純水のボトルを取り出す。


「今日はシャーロットではなく私なのですか」

「うん? そうだね、日替わりだよ」

「日替わり、ですか」


 レイシーはそう小さく呟くと僅かに眉を寄せた。

 はて特に困ることや恐ろしいことはないはずなのだが、何かあっただろうか。そりゃあまあ……面倒なことを訊ねるつもりではあるのだが。

 とはいえ、昨日の例を考えるならば例の保温容器に入っているものを出せば彼女の機嫌も良くなるはずだ。彼女はシャーロットのように驚いてくれるだろうか。それともこの無表情を続けるのだろうか。少し悪戯心が沸いて笑みを浮かべながら訊ねる。


「シャーロットから昨日のことは聞いてる?」

「いえ、ライル様から口止めされたと」

「そう、彼女はちゃんと守ってるんだね」

「あの子、隠し事は下手なのですけど」


 彼女はごくわずかに表情を和らげた。レイシーが僕に見せた初めての表情は、友人への気遣いを感じられる優しい笑みだった。

 シャーロットだけが特別なのかとも思ったが、レイシーにもやはり人間臭い何かがある。あまり表だって感情を表さない彼女だが、決して何も思わないわけではないのだ。

 会ってからずっと僕に向けられる凍ったような表情も、今わずかに見せた年頃の少女らしい表情も、どちらも人間的なある種の非合理性を感じさせる。


「それで、私はこれからどうすれば良いのでしょうか」

「どうって?」

「ですから例えば、服は自分で脱ぐ方がいいのでしょうか? ライル様に脱がせて頂く方がいいのでしょうか? ご要望に合わせてどのような行為でも対応いたしますが……」

「ちょっと待って」

「もしかして着たままの方がいいのでしょうか?」

「もの凄い勢いで変な方向に話が飛躍してるよ!」


 服を脱ぐ?

 一体どこからそんなところに発想が飛んだんだろう。

 僕は慌てて突っ込みを入れるが、レイシーは首を小さく横に振りながら続ける。


「理解できます。ライル様は健康な人間の男性ですから」

「違うから!」


 心外だ。なにより彼女にそういう類いの誤解をされるのは心外だ。

 僕は大きく嘆息すると片手で彼女の言葉を制し、もう片方の手でテーブルの前の椅子を指さした。


「……はぁ。まあとりあえず座って。そんなんじゃないよ。本当に、話が聞きたいだけなんだ」

「……?」


 レイシーは少々拍子抜けしたような表情で、僕の命令に従って椅子に座る。

 僕は昨日シャーロットに出したのと同じ紅茶もどきをカップに注ぎ、昨日シャーロットに出した物とは違う保温容器の中身を慎重に取り出して皿の上に並べた。

 レイシーの前に一つ、僕の前に一つ。


「それは……」


 皿に並べられたものを見て、レイシーが息をのんで目を見開いた。

 それはビスケット生地の上に色とりどりの果物が載せられた、宝石箱のように綺麗なフルーツタルトだった。

 もちろんフルーツは全てイミテーションだが、マンゴー、ブラックベリー、パイナップル、メロン、チェリー、など全てが見た目も食感も本物そっくりに出来ている。味の再現度もかなり高い。

 エオースの食料プラントをいじくり回してお菓子を作るのを趣味にしていた巨漢のプログラマー、ユーリが開発した傑作だ。


「知ってる?」

「……知っています。地球のお菓子、フルーツタルトです。あの……」


 彼女は逡巡するように、そして勇気か何かを振り絞ろうとするように、僕の目を真っ直ぐに見つめた。


「……覚えていらしたんですね」

「もちろん、君との約束を忘れたりしないよ。それに、ずっと冷凍睡眠していた僕にとってはついこの間のことなんだ」


 僕はそこで一呼吸置いた。その名前を呼ぶのには覚悟を決めてなお若干の勇気を要した。


「……ミス・レイシー・ウィットフォード。姿も名前もそのまんまなのにそんな態度だから、どう切り出していいのか迷った。えっと……君に会えて嬉しいよ」

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