振動
……それにしてもこの微妙な空気のまま三時間もこの休憩室で顔を突き合わせているというのは結構な苦行だ。レイシーによると一時間ほどで回復するとのことだがそれにしても厳しい。
僕は指先で頬を掻きつつ少し逡巡すると少女達の顔を見回した。
「シャーロット」
「……なんであたし」
流れを変えるのに槍玉に挙げやすそうだったから、とはわざわざ口にしない。
僕は何となく思いついたことを訊ねてみる。実は以前から密かに気になっていたことだ。ちょうど良い機会である。
「あのさ、レイシーはミス・ウィットフォードの実験を引き継ぐために作られたわけでしょ。そのために専用の冷凍睡眠ポッドも用意されてる」
「そうね」
「シャーロットの元になった人はどんな人で、君は何を引き継いだのかな」
「え?」
僕の問いにシャーロットはきょとんと目を丸くする。
彼女はそのままぽかんと口を開き、しばらくしてから「あー」と小さく声を上げた。
「えっとね、あたしには元になった人間はいないわ。というか、オリジナルの人間がいるシミュラントで現存しているのはレイシーだけよ。あたしは目的に合わせてアイラが遺伝子を一から組み立てる形で作られたの」
「目的?」
「そうよ、以前言わなかった? あたしはライルのために作られたの。地球の船にはもうライルしか生存者がいないことは連絡を受けてたし、ライルについての情報も十分送られてきてたから、肉体的にも精神的にもライルと最高に相性のいいライルにぴったりの女の子を用意しておいたってわけ。嬉しいでしょ」
「相性ねぇ……」
僕はやや白けた声で呟く。
まあシャーロットとはそんなに相性の悪い方ではないと思う。
ただそれは友達や仲間にするにはという意味であって、男女の関係として相性がいいかというと……むしろそんな気には全然ならないというのが正直なところだ。彼女を作ったのがアイラだというのなら、アイラは一体どういう基準で作ったというのだろう。
シャーロットは僕の怪訝な視線をどう解釈したのか、ぴっと両手の人差し指を立てると自慢げに自らの胸元を指した。
「アイラの計算だと初めて出会った時点でライルがあたしに一目惚れする確率は一七パーセントだったそうよ」
「それはまた……低いね」
「高いわよ。一目惚れなんて滅多に起こらないことを有意な確率が見積もれるだけでも凄いんだから」
「どちらにしても八三パーセントの方だったみたいだけどね」
「……そうね。でも一ヶ月以内でなら四一パーセントだそうよ。頑張るから楽しみにしててね」
「僕が何を楽しみにするのさ」
そんなことをあっけらかんと言われてもリアクションに困る。とはいえ幸いというかなんというか彼女と馬鹿話をしていると少し空気が緩んだ。その点は助かるのだが、僕の価値観で言えばシャーロットの境遇は楽しげに話すようなものではないように思える。
どうも僕を籠絡するために作られたらしい彼女ではあるが、彼女の方は別段僕のことが好きだとかそういうわけではないのだ。つまり任務として好きでもない男に言い寄ることを強いられていることになる。良い境遇とは思えない。
僕が肩をすくめて息をつくと、横から僕を見つめる視線に気付いた。
「どうしたの、レイシー」
「いえ、ライル様は……」
レイシーは何か言いかけたが、そこで言葉を濁すように視線を逸らした。彼女は彼女で何を考えているのかよく分からない。
もう一つため息をつこうとしたところで、僕は次の異変に気付いた。
足下から金属が唸るような低い音が響いてくる。
……何だろうか?
徐々に大きくなっていく謎の振動音に、僕は直感的に何かまずいことが起きていると思った。部屋全体が低周波で振動しているようで、近くで何かが起こったというよりは、遠くで発生した振動が響いてきているような感じだ。もしそうなら、規模が大きい。
「……レイシー、シャーロット。この音もよくあることなのかな?」
「え、あの、その……はい」
やや責めるような口調で問い詰めたせいか、レイシーは少し怯えた様子で頷く。
「これもか……」
「アストリアは常時回転していますが、電力がダウンすると軸がぶれるんです」
「それ大ごとじゃないの」
「それは……そうですが」
このアストリアは巨大な円筒状のコロニーを回転させて遠心力を発生させることで人工重力を作り出している。理屈の上では一度回転させてしまえば放って置いても慣性で回り続けるはずではあるが、実際には発生する摩擦などで回転には不規則な抵抗が掛かる。そのため安定して回転させ続けるには常にずれを補正し続ける必要があった。
停電したアストリアは少しずつ回転軸の安定を失い始めている。その軸のぶれは船体の各所に負荷を掛け、そして船体の歪みによる抗力は回転軸の更なる不安定化を招く。この振動は僅かに捻られた船体が悲鳴というわけだ。
レイシーの話では少なくとも数時間やそこらで重大な破壊を招くほどではないというが、宇宙船というものは基本的にはこのような類の負荷に対して非常に脆弱だ。一見大丈夫そうに見える状態から破断限界を超えた途端一気に大規模な破壊に繋がってもおかしくはなく、レイシー達がこれまで大丈夫だったと言っても次の瞬間この船がグシャリと砕けないとは限らない。
船全体が破壊するまで行かなくとも、外壁が破れればそこから空気が漏れることになる。
「はぁ。まあじたばたしても仕方ないか。二人とも一応いざという時のために酸素マスクは使えるようにしといてね。あれでも短時間ならないよりマシだから」
「酸素マスク……ですか」
「意外と役に立つこともあるからね……って……」
僕は自分の腰につり下げられた小さなシリンダーを指先で軽く叩きながら、そして眉をひそめた。
見習い的な身分とはいえ僕はこれでも訓練を受けた正規の航宙士であり運用技術者だ。アストリアに滞在しているのもお遊びなどでは決してないし、様々な事態に対応できるよう応急修理用の工具から救急キットまで、幅広い装備品を常に持ち歩いている。このやたらポケットの付いた制服は単なるファッションではない。
折りたたみ式のマスクと酸素発生装置の小さなシリンダーも、そんな僕らの標準的な装備品の一つだ。全身を防護する船外服とは違うので長時間の使用には耐えないが、それでも適切に使用すれば最大で三時間ほど真空下で救助を待つことができる。
そんな僕にとっては当然の装備品を、レイシー達が携帯しているようには見えなかった。初めて会った時と同じブレザーとスカートは今から通学でもするかといういでたちで、およそ宇宙でのサバイバルなんぞ考慮している様子はない。ここは人工重力が働いているとはいえ、そもそも論としては宇宙でスカートということ自体が僕にとってはかなり非常識に思える。
「……リザ、予備の酸素マスクを配ってあげて」
「これは、ライルさんのための、予備、なのですが……」
「いいから」
「はぁ」
その圧倒的な膂力によって重量をあまり気にしなくて良いリトル・リザは、持ち歩いている装備品も僕のものよりずっと充実している。酸素マスクもいくつか予備があるはずだ。
促されたリトル・リザは渋々腰の大きなポーチから予備のマスクを二つ取り出す。僕はそれを受け取ると立ち上がり、一つをシャーロットに放り投げ、もう一つをレイシーに差し出した。
「あの、ライル様。私達にお気遣いは無用です。予備はライル様のために……」
「いいから持っておいて。メンテナンスが行き届いたコロニーならともかく、こんな状態で何の準備もしていないのは自殺行為だよ。ほら、使い方説明するから立って」
「でも……」
言われるがまま立ち上がるも酸素マスクは受け取ろうとしないレイシーに少々苛立ってきた僕が、そろそろ三原則によって命令しようかと思い始めたところで、再びの異変が起こった。
ぐらり
横向きに二度往復するように急激な加速度を感じ、慌てて足を踏ん張る。レイシーがバランスを崩したのが見えたので、咄嗟に彼女の袖を掴むと、そのままその身体はぽすんと僕の両腕に収まった。柔らかい感触が腕に伝わってくるが役得だなどと考えている場合ではない。
一体何があったのだろうか?
衝撃そのものはさほど大きなものではなかった。現にシャーロットとリザはなんともない。
――などと思っていると、薄暗かった室内の照明がゆっくりと数回明滅し、ぱっと停電前のように部屋中が明るく照らされた。
「直……った……?」
電力は復旧した、のだろうか。だが先ほどの衝撃は危険な予感がする。宇宙船が揺れること自体は別段珍しいことではないのだが、
「リザ、通信は?」
「復旧したみたいなのです。今アイラに抗議しているのです」
既にエオースとの通信も回復したようで、いつの間にかリトル・リザは引っ込んでいたようだ。リザはいつもの口調に戻っている。
アイラへの抗議はリザに任せ、僕は目下の疑問を解消することにする。
「今の揺れもよくあること?」
「……よくある、というほどではないですが、何年かに一回くらいは」
「設備は大丈夫なの、これ。冷凍睡眠とか」
レイシーの返答はなんとも微妙なものだった。
数百年スパンでの旅が前提となる外宇宙航行船では、何年かに一回というのは「しょっちゅう」ではないにしろ「それなりにある」と言える水準である。
宇宙船というのは加減速がつきものではあるが、瞬間的な衝撃に対しては比較的弱い。機械によってはそれこそ人体よりもデリケートなものも少なくなく、重要な設備である宇宙用の小型核融合炉も大きな衝撃によってダメージを受けやすい。先ほどくらいの衝撃であれば問題ないとは思うが、それも状況による。
それ以外で衝撃に弱い設備の最たるものといえば、例えばそう、今ここにあるやつ、つまり冷凍睡眠ポッドなんかがそうだ。
人間の身体は基本的に『柔らかい』ので多少の衝撃があってもすぐに元に戻る。だが冷凍中の人体はそうはいかない。もし強烈な衝撃で『潰れて』しまったら解凍するまでずっと潰れたままだ。
もちろん冷凍睡眠から起きた時に冷凍中のダメージを確認し治療を行うプロセスは存在するし確立した技術ではあるが、回復できるダメージには限度がある。
「大丈夫だと、思います。私が……平気ですし……」
「本当に? こんなの何度も食らって後遺症出たりしない?」
「はい……あの、ところでそろそろ放して頂けると……」
「あ、ごめん」
僕の腕の中で窮屈そうにしていたレイシーがついに抗議の声を上げたので、僕は慌てて手を放す。すると彼女は、すすすっと僕から離れて、ちょっとだけ大きめのため息をついた。ちらりと僕を見る目がなんだかセクハラを非難されているようで居心地が悪い。
「それで、電力は回復したっぽいけど、もう動いても大丈夫なのかな?」
「大丈夫のようなのです。さっさと移動するのです」
僕はレイシーに訊ねたつもりだったが、返ってきたのはやや苛立ったようなリザの声だった。ともかく僕達はカートまで移動を開始する。
それで結局酸素マスクのことは有耶無耶になってしまったが、僕の中で要検討事項の上に一つ積まれることになった。
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