リトル・リザ
部屋が完全な真っ暗になったのはほんの二秒ほどの間だったろうと思う。
それから照明システムが再起動したことはしたのだが、今や光量は半分以下で薄暗く、何らかの非常系に切り替わったのだと僕は直感的に理解する。
「停電……?」
思いついた言葉を思いつくまま口にして、僕は自分自身の呟きにぞっとした。
……停電だって?
宇宙において電力は全てのライフラインの土台となるものだ。食料プラントは電力で動き、浄水システムは電力で動き、廃棄物処理システムは電力で動き、そして空気循環システムすら電力で動く。この過酷な虚無の世界では僕らの命なんてそれこそ風前の灯火に等しい。電力がそれを支えているのだ。
電力なしに人間が宇宙で生きていくことはできない。
その電力が失われることは言うまでもなく重大な生命の危機を意味する。
「リザ、状況の報告を……リザ?」
僕は声の震えを抑えつつそばに控えてるリザにそう命じようとして、そしていつもならそれこそ打てば響くように返事をしてくる彼女の様子が、どうもおかしいことに気付いた。
背筋に冷たいものを感じつつ振り向くと、リザはガラス玉のような目でぽかんと放心している。
やはりおかしい。
彼女は一見人間的な喜怒哀楽があるようなそぶりはするが、あくまで量子頭脳と呼ばれる一種のコンピュータにすぎない。いざという時の彼女の判断力たるやまさしく人知を超えたものであり、彼女が放心状態にって僕に受け答えできないなどほとんど絶対と言っていいほど考えがたい。僕が何かを問えば文字通り一瞬で答えるのがリザなのだ。
僕が戸惑いながら片手で彼女の肩を揺さぶると、リザはまるで錆びた金属製の人形かなにかのようにギギギとこちらに首を回した。
「……ライル、さん。メインとの接続が、切断されました、なのです。今はサブ、システムで、動作してい、ます、のです」
「サブシステム……君は『リトル・リザ』なのか」
リトル・リザ。
エオースの管理システムであるR・エリザベスは大型の船舶用量子頭脳だ。
その本体はエオースの船内に納められており、エオースに内蔵されたあらゆるシステムを統括するのみならず、ローバーと呼ばれる多脚型のものからドローンと呼ばれる飛行型のものまで、多くの子機を遠隔操作することができる。
そして今僕の目の前にいるリザの幼女ボディもエオースから遠隔操作される子機の一つだ。
だがこのボディにはローバーと違う点があって、実は単なる遠隔操作されるだけの機械ではない。予備の小型量子頭脳が内蔵されており、緊急時には自ら判断を行いメインシステムに代わって周囲の子機に指令を出すことすらできるのだ。
このサブシステムを僕達エオース乗員はリトル・リザの愛称で呼んでいた。乗員が気まぐれを起こしたりすると時々呼び出されることはあったが基本的に表に出ることは少なく、人間との交流が少ないせいかメインと比べるとやや人格の形成がたどたどしいところがある。
ともかく、呼ばれてもいないのにリトル・リザが表に出てくると言うことは、すなわちそれが尋常の事態ではないことを意味する。
「何があったの」
「アストリアの通信網が、ダウンしたのです。本体まで中継、できない、のです」
宇宙船の中は見通しが悪く電波による無線通信が可能な範囲は限られている。そのためアストリアの中では基幹の通信網は有線のものが張り巡らされ末端だけが無線化されている構造になっている。エオースからここまで直接無線通信することはできないため、リザもアストリアの有線通信網に相乗りする形で中継することでこのボディを含む子機を遠隔操作していた。
つまりこの部屋の照明が故障したとかそういう話ではなく、中継システムがダウンするほど広域に停電しているということになる。
幸いリトル・リザの独立した超高密度電池と予備の量子頭脳は無事のようだ。彼女の存在が僕らの生命線になる。
「分かった。とにかく通信可能な場所まで移動しよう。レイシー、シャーロット、君達も」
「待って下さい、ライル様」
立ち上がりかけた僕を呼び止めたのはレイシーだ。
意外なことに彼女は停電という緊急事態に際しても慌てた様子はなく、むしろ僕が慌てていること自体に慌てているようにすら見える。
「ライル様、この程度の停電はよくあることです。少し待てば回復します。停電中は交通誘導システムが停止するため下手に移動する方が危険です」
「よくある?」
彼女の言葉はにわかには信じがたい内容だった。停電などという深刻な大事故がよくあるようなことであるはずがない。あっていいはずもない。少なくとも僕らのエオースでは停電が起こったら即座に命に関わる事態であると想定して行動する必要がある。
とはいえ全く取り乱す様子のないレイシーに、僕も少し落ち着きを取り戻した。レイシーは更に続ける。
「ここなら冷凍睡眠システムのためのバックバップ電源があります。四十八時間は持つものです。停電はいつも一時間とかからず回復しますから、下手に動き回るより待機した方が安全なんです」
「いつも一時間って……いつもなんてことが言えるくらい停電が頻発しているの?」
「年に数回というところでしょうか。大したことはありません」
「……それは、正常性バイアス、というもの、なのです」
レイシーと僕のやりとりに、横からリトル・リザが淡々と反論する。
正常性バイアスとは事故や災害の際に被害を過小評価してしまう心理的現象のことだ。つまり、慌てなければならない時に、落ち着きすぎてしまうことを意味する。これはパニック状態を回避するための人間の本能ではあるが、しばしばかえって被害の拡大を招くことも知られている。
リトル・リザの指摘は当然考えなければならない問題であった。
だが一方で、パニックを起こして問題を拡大させないこともまた重要なのである。
……立ち上がりかけた僕は、結局そのままゆっくりと椅子に座り直した。
「……待機して三時間以内に改善しなければ移動する」
「ライルさん、それは――」
「この船で彼女達は長年生きてるんだ、彼女達の流儀でやってみよう。まあ気密が失われたんじゃなければ三時間そこらで酸素がなくなったーなんてことはないよ」
「……分かりました、なのです……」
レイシーを横目で睨みつつ渋々頷くリトル・リザに僕は小さくため息をついた。頼むから仲良くして欲しい。
まあリトル・リザの言い分が分からないではない。メインから切り離されて把握できない不確定要素が増大したため、リトル・リザとしては早急に自力で管理可能な状況に戻したいのだ。例えばエオースの中であれば彼女はほとんど何もかも把握していると言って良い。人間的に言うなら、つまりリトル・リザはよく分からないこの状況が不安なのだ。
だが一方で、レイシー達はここで実際に長年暮らしていて危険についてもある程度把握しているはずだ。停電などという一歩間違えば破局的な事態がそんなカジュアルにポンポン発生されても困るのだが、そこに関する突っ込みはひとまず横に置くことにすれば、とりあえず彼女達に合わせておくのは理にかなっていると思う。
これだけの巨大な船だ、巨体にものを言わせたある種の慣性的なものは期待できる。短期的には空気、それから熱だろうか。最も危険なのは減圧、つまり空気の漏れであるが、気圧が少しでも低下すればリザがすぐ気付くはずだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます