冷凍睡眠ポッド

 あたりには小さな低い振動音が響いている。コンプレッサーの動作音だろうか。どうやらアストリアでは圧縮式の冷凍機を使用しているらしい。

 エオースでは半導体で可能なことは何でも半導体で実現するというポリシーが貫かれており、冷凍機と言えば熱電素子を使用したものが普通だ。

 それからすれば冷凍のために機械的なコンプレッサーを使うというのは、古くさくそしていささか贅沢な話に思える。だが、アストリアほど大きな船であればこれはこれで何らかの合理性があるのだろう。

 シミュラントの居住区から少し離れた場所にある仮設区画に、この冷凍睡眠システムは設置されていた。システムそのものは人間が使うものとシミュラントが使うものは基本的に同じ設計だ。冷凍睡眠の前後に行われる医療処置はアイラが行っているというから、このあたりも僕らのエオースと似たような運用だ。


「そういえばレイシー。君達はアイラからは人間として扱われているんだよね」

「はい」

「例えば君達がアイラに対して第二原則を使って命令したりすることもできるのかな」

「試したことはありませんが可能だと聞いています」

「……そうなんだ。なるほどね……」


 そうかもしれないと思ってはいたが、なるほどやはりそういう仕組みになるのか。

 これは良いことを知ったかもしれない……。

 僕が物思いにふけりつつレイシーについて行くと、程なくしてえらく大きな気密扉の前にやってきた。


「入り口はこちらです」


 レイシーが軽く触れると気密扉はひとりでに開き、中からひんやりとした空気が漏れ出してくる。そこには大型の冷凍睡眠ポッドがずらりと並べられていた。

 ポッドは表面がややざらついたような白で塗られていて中の様子は窺えない。

 これで色が黒かったりしたら、いよいよ地下墓地か何かだ……

 僕の知る同タイプのシステムより一回りは大きく、エオースのものと比べて何世代か古いものであることが分かる。アストリアが地球から出発した後も、地球から最新技術に関する情報は継続して送られていたはずだが、それに基づいた改修はあまり行われていないようだ。

 僕がいまだ顔を合わせていない残りの十五人はここで眠っているらしい。


「レイシーもここで?」

「はい。あの奥の少し小さいものが私が使うためのポッドです。私のものはオリジナルと実験環境を合わせるために、地球の新しい設計が取り入れられています」


 レイシーのオリジナルつまりミス・レイシー・ウィットフォードは、地球からの情報提供によってアップグレードされた新しい冷凍睡眠ポッドの被験者だった。その実験を引き継いだレイシーにも同等のシステムが用意されているという。

 僕と同じ時間を過ごすために作られた冷凍睡眠ポッドだ。

 レイシーの隣ではシャーロットが興味深そうに部屋の中をきょろきょろと見回している。彼女は冷凍睡眠をしたことがなくこの部屋に入るのも初めてだそうだ。

 そういえば僕らの中ではシャーロットだけが外見年齢と生まれてからの年数が一致しているのか……

 リザは相変わらず僕の斜め後ろに控えている。

 トーマスは連れてこなかった。どうも彼はレイシー達の働きに不満を持っている様子だったので、彼女達がちゃんと僕の役に立っているような体裁にしておきたかったのだ。それに、ちょっと怖かったというのもある。

 そしてこの冷凍睡眠ポッドのある区画までは例のカートで数分といった距離だったが、レイシーは十分に案内役としての責務を果たしてくれた。


「そういえばミス・ウィットフォードもここのシステムを使ってたの?」

「いえ、彼女は研究室に併設されたものをずっと使っていたはずです。もっとも、研究区画はここからは遠くてアイラの管理区域外のかなり奥の方ですから、私達は見たこともありませんが……」

「調査は……難しい?」


 僕の問いは半分レイシーに、残りの半分はリザに向けたものだ。ちらりとリザの方に視線をやる。

 少しだけ期待を込めて。

 それはリザであればそこまで行けるだろうかという問いだったが、意図は正しく伝わったようでリザは腕を組んで眉を寄せた。


「ライルさんが一緒に行くのは危ないですが、私だけなら行けなくはないと思うのです。ですが今すぐにというのは少々難しいのです。一応調査予定には入っているですが、急いだ方がいいですか?」

「ああ、いや……無理はしなくて良いよ。出発するまでに調査できるならそれで構わない」

「そうですか。では無理のない程度に急ぐのです」


 まあリザに任せておけば悪いようにはしないだろう。

 それから僕は事前に目を通して置いた資料を脳裏に浮かべつつ冷凍睡眠ポッドを見て回った。

 アストリアでのことは一通り地球向けの報告書を書く必要がある。

 もっともこの区画では立ち入れるような場所は少なく、中で眠るシミュラント達に影響が出ても困るので僕としても無理に弄る気はない。見て回るのは本当に上っ面だけだ。

 エオースのものと比べると、ずいぶん大型で音がうるさいシステムだな……

 とはいえ、報告書の内容がそれだけというわけにもいかないのでもう少し何かネタが欲しいところだ。


 結局冷凍睡眠ポッドの見学は二十分ほどで飽きたので、僕達は併設された小さな休憩室に移動しテーブルを囲んで一息つく。

 客人であるはずの僕が少々退屈さを感じている一方で、案内する側であるはずのシャーロットは冷凍睡眠ポッドの見学を十分楽しめたようだ。聞けば、この区画は冷凍睡眠ポッドを使う時以外は立ち入りが制限されており、ゆっくりと見て回るようなチャンスはそうそうないらしい。

 貴重な機会だったと喜ぶと同時に近くで見られなかったことを残念がるシャーロットに僕は肩をすくめる。


「エオースのものならすぐに見られたのに」

「そうなの?」

「僕らの冷凍睡眠ポッドはモジュール化されてるんだ。ゲストハウスそばに置いてあるあの医療コンテナの中にも一つ、僕が使ってた奴があるよ。今度見せてあげようか」


 僕がこのアストリアでの最初の一歩を踏み出した例のコンテナだ。あれならゲストハウスから徒歩で行ける程度の場所に置いてあるし、誰も使っていないので近くで見ても多少触っても何なら開けて中を見ても問題ない。


「地球の機械! 見たい!」

「あの、ライル様、参考までに私も……」


 シャーロットは僕の提案にぱっと目を輝かせ、その隣でレイシーが小さく声を上げた。

 僕は首を傾げる。


「基本的にレイシーが使ってたのと同じ型式だから見ても面白いところは無いと思うけど」

「……はい、確かにそうですね……」

「いや……」


 あからさまにレイシーが落胆の表情を浮かべだしたので、僕は慌てて取り繕うように首を横に振る。


「うん、そうだね、レイシーにも見て貰おうかな。君が見比べて気づいたこととかあれば、それも報告書に書くネタに使えるからね」

「……はい、頑張って見比べます」


 僕が無理矢理口実を作ったことには気づいているのか気づいていないのか、レイシーは少しだけ表情を和らげた。こういう時、レイシーはすぐに自分の考えを押し殺そうとしてしまうので、こちらから引っ張ってやった方が良いようだ。少し彼女の扱い方が分かってきた。

 そしてそこにリザが無造作に水を差す。


「ライルさん、あのコンテナならもう回収して片付けてしまったですが?」

「えっ?」

「ライルさんが私の仕事をどれだけ遅いと思っているのか理解に苦しむのです。ついでに言うと毎日の作業報告は出しているはずなのですが?」

「ご、ごめん、忙しくて作業報告に目を通す時間が……」

「まあいいです。ともかく」


 リザはそのままレイシー達に無慈悲に告げる。


「お前達は諦めるのです」


 リザはシミュラントには優しくない。上げて落とされた二人が哀愁に満ちた目で僕を見つめてくる。

 ……まあ、僕もそんなこともあろうかと予想はして……いたわけではないが、善後策はある。


「じゃあ今度君達がエオースに来た時に見せるよ。どうせ今は誰も使ってないし」

「えっ、船に入っていいの? それなら冷凍睡眠ポッドなんていいから船の中が見たいわ」

「それでもいいよ」

「ライルさん? こいつらを船に入れるのですか?」


 僕がシャーロットのおねだりにあっさり頷くと、横からリザがあからさまな抗議の色を込めた目で僕を睨む。彼女のシミュラント達に対する信用度は低い。自分の聖域であるエオースの中に立ち入らせたくないというのを言葉の端々から意思表示してくる。

 そういえばそうだ。先ほど思いついた件は前もってリザとすりあわせておく必要があるのか。


「あー、リザ。その辺のことで後で相談があるんだけど」

「なんなのです。今ここで……いえ、いいです。こいつらに聞かせたくない話なら後で聞くのです」

「う、うん、まあ後にしよう」


 それはレイシー達に関わることではあったが、今ここで僕が勝手に決めてしまうわけにはいかないし、リザに準備をして貰うこともある。僕はその問題をひとまず棚上げすることにした。

 軽く息をついて何となく部屋の中に視線を巡らせる。

 そのとき僕はふとこの休憩室に見覚えがあることに気づいた

 もしかしてこの部屋は、ミス・ウィットフォード……いや、だったか、つまり今ここにいるレイシーが僕に送ってきたビデオレターで――


「レイシー、僕この部屋に見覚えがあるんだけど。以前のビデオレターで」

「あ……」


 僕が切り出すとレイシーは少し驚いたように僕の視線を受け止める。そして彼女は黙考するとややおさまりの悪い様子でうつむいた。


「……申し訳ありません、ライル様」

「いや別に何も責めてないけど、っていうか僕は何を謝られたの」

「この部屋でビデオレターを撮影したことがあります。ここで私がライル様を騙したんです」

「そういう話をしたいわけじゃないんだけど。そっか、なるほど。ここがね」


 どうもレイシーはオリジナルであるミス・レイシー・ウィットフォードを装って僕を偽ったことに、少なからぬ後ろめたさがあるようだ。だが、僕としてはとりあえずアストリアに到着するまで生きる希望が保てたのは彼女のおかげだし、ミス・ウィットフォードの死に関してそのずっと後に生まれたレイシーに責任があるわけでもない。思うところが全く無いと言えば嘘になるが、どちらかというと彼女には感謝しているくらいだ。

 僕はあらためて休憩室の中を見回す。

 殺風景であまり特徴のない部屋ではあるが、資源の逼迫した宇宙船の中はどこも大体このようなものだ。ああ、だが、そうだ。だから僕はこの部屋のことを記憶していた。ミス・ウィットフォードがいつも使うような部屋と違っていたのだ。彼女は植物を世話するのが好きだったようで、ビデオレターにはいつも何かしら植物が映り込んでいた。大きな観葉植物から手のひらサイズの鉢植えまで様々だ。それに対してこの部屋には本当に何もない。

 ミス・ウィットフォードが生きていた時期と比べても、今のアストリアにはそれだけ余裕がないのだ。


「それにしても報告書に書くネタが少ないなぁ……」

「技術資料などは私がまとめているですから、ライルさんは人間の目で見ての感想を適当に書けばいいのですよ。旧型で何一つ見るべき点のないシステムであったとか素直に書いてもいいのです」

「リザは割とこの船に手厳しいよね」


 端末のディスプレイに向かって唸る僕に掛けられたリザの言葉は淡白だ。誇り高い彼女は自分よりも二百年以上も旧型のアストリアを少々下に見ているふしがある。


「あのさ、せっかくなんだからもうちょっと仲良く……」


 僕がそう言おうとしたところで、突然視界の全てが音もなく暗転した。

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