アトリエ

「これは……本格的ですね」

「いやはや、お恥ずかしい。まさか自分のつたない作品を人間に見て頂く日が来ようとは」


 トーマスのアトリエに足を踏み入れた僕にとってまず衝撃的だったのは、絵よりもなによりもその猛烈な油絵具の臭いだった。

 アトリエに案内されたのは僕だけで、レイシー達はおろかリザを入れるのも渋られた。普段から他のシミュラントには見せずに描いているようで、まあ僕が命令すれば折れてくれるのではあろうが、無理強いする理由も特に無かったので彼女達は応接室に残している。

 それはともかくとして、トーマスが嗜んでいるという絵はこの時代のものとしては珍しく、デジタルのものではなく油絵だった。

 これはもう珍しいを通り越して驚くべきというほどの酔狂で、地球でもほとんど廃れてしまったような趣味である。なんともとんでもない贅沢な趣味だなと思いきや、これが意外とアストリアの資源的な負担は小さいそうで、有機顔料と人工乾性油は現存するプラントで簡単に作れるという。


 僕はアトリエの中を見回す。

 部屋は全ての壁面がつるりとした白いボードで囲まれており、天井に空調用のスリットが開いているのと僕達が入ってきたドアがある以外は窓すらない。地球標準規格の貨物用コンテナを個人用のアトリエとして使用しているらしい。

 並べられた絵は全部で二十枚ほどあり、キャンバスは大きなものから小さなものまで幅広いが、総じて人間が両手で抱えて運べそうな程度のサイズが多い。

 全ての作品には日付が記されており、左の奥から古い順に並べられており、右の手前に最新と思われる描きかけのものが立てられている。日付の最も古いものは五十年近く前である。時系列順に見るとところどころ十年ほど飛んでいるところがあり、これは筆を置いていたのでないならトーマスが冷凍睡眠に入っていた期間なのだろうと推測する。

 作風の傾向としては古い作品は写実的なものが多いが、新しい作品には妙に抽象的だ。もっとも僕には絵を評価するような知識はないのでそれが何を意味しているのかは分からない。


「トーマスさん、地球にデータを送りたいのですが撮影しても構いませんか」

「ええ」


 ロボットの描いた絵というのは地球でも一定の――研究対象としての――需要がある。ロボットの『心理状態』を解析するのに有用らしい。

 まあ僕には全く分からないが地球でなら誰かが喜ぶかもしれない。トーマスが地球人に作品を『発表』することをどう思っているかは分からないが、見たところ嫌がっている風ではないのでまあ大丈夫なのだろう。

 リザを置いてきてしまったので、僕が自分でカメラを操作して非破壊モードで三次元スキャンすることになる。僕の手首の端末に搭載されたカメラ……というか三次元スキャナは、人格型人工知能こそ搭載されていないものの、方向を合わせてボタンを押しさえすれば後はコンピュータが自動的にデータを取り込んでくれる優れものだ。

 一番古い絵をスキャンすると僕は振り向いてトーマスに声を掛ける。


「あの、すみません。一つずつ説明して頂いても?」

「喜んで。古いものから順でよろしいでしょうか」

「お願いします」


 その絵に描かれていたものは僕にとっても既知のものだった。アストリアに降りたって最初の日に目にしたものだ。つまり、あの微妙な味のレーション『グリーン』を描いたものだった。

 これがトーマスの初めての作品のせいか、全く素人の僕から見てもたどたどしいものに見える。


「ははは……これは私の好物でして。まあシミュラントでこいつを嫌うものはおりませんが。見るべき点のない出来の作品ではありますが、思い出深いのでこうして残してある次第です」

「初心を忘れないというのは良いことだと思いますよ。隣の二つも同じような感じでしょうか?」

「左様でございます。こちらは食料プラント。隣のものは皆で食事をしているところです」


 時系列順に見ていくと急速に上達しているのが分かった。

 二作目は配管の一つ一つまで精密に描かれたプラントだ。素人目にも既に技術的には非常に高い域にあるように見える。

 三作目は四人の若い男女がテーブルを囲み和やかに談笑する様子が活き活きと描かれている。この四人が誰かは分からないが、非常に友好的な関係にある四人のようだ。

 この絵を見て分かったことがある。どうやら非ロボット的な感情を持つのはレイシーやシャーロットに限らないらしい。


「しかし、こうして改めて見ると私の初期の作品は、食べ物に関するものばかりのようです。どうも娯楽が限られるせいか、若い頃の私は随分と食い意地が張っていたようで、何ともお恥ずかしい」


 トーマスが苦笑しつつ言う通り、初期の作品は食べ物か食事にまつわるものが多いようだ。

 八作目でようやく食事以外のモチーフが登場する。それはギターを弾く初老の男の絵だった。


「ああ、これは懐かしい。彼はもうずっと前に壊れた、つまり人間的に言うなら亡くなったのですが、とにかくギターを弾いて誰かに聞かせるのが好きな男でした」

「亡くなったのですか、残念ですね。聞いてみたかったです」

「いや、それはむしろ運が良かったというべきでしょうね……。実は彼のギターはそれはもう聞くに堪えないほど残念な腕前でして、本人は他人の評価を全く気にせず弾きまくるものですから、有り体に言ってしまうと結構はた迷惑な代物だったのです」


 ギター男が人間に迷惑を掛けなくて良かったと述べるトーマスの目は、だが少しだけ懐かしそうに細められている。はた迷惑と言いつつも彼にとってはそう悪くない思い出であるに違いない。

 そこからはしばらくアストリアの住人であるシミュラント達が、自らの趣味に興じる姿を描いた作品が続く。


 ――突然作風が大きく変わったのは十四作目だった。


 最初は全く別人が書いた作品が混ざったのかとも思ったほどに、それまでの写実的で暖かな作品とはかけ離れていた。

 極彩色のキャンバスの真ん中には白い人影のようなものが描かれている。その人影は両手を広げ何かを訴えているように見えるが、何を意味しているのかはよく分からない。

 背景は色とりどりの幾何学模様で彩られており、何か見る者の感情に直接訴えかけるような、ざわざわとした不安感を与えてくる。


「……ここから、かなり抽象的な絵になっていますね。何か心境の変化が?」


 僕はなるべく言葉を選ぶよう心がけながら訊ねる。

 すると、トーマスは数秒間押し黙った後、呟くように答えた。


「……あの時のことはよく覚えております。私が気まぐれに管理区域外でスケッチでもしようと出歩いていたところ、あれがあって……つまり……」


 その返答は僕の訊ねた問いとは全く食い違っていた。

 彼はそこで躊躇するように口ごもる。

 だが無理に促す必要はなさそうで、それから十秒ほど待っていると、彼は何かを吐露するように、続けた。


「……人間の遺体を、見つけたのです」


 僕は息をのんだ。

 すっとこちらに向けられたトーマスの目は、それまでのものとは全く違っていた。先ほど応接室でも見せられた、あの奇妙な熱を帯びた目だ。

 人間の遺体と接触したロボットの量子頭脳は、一般に予測しがたい反応を示すことが多いとされている。それは人間を傷つけるべからずという第一原則に起因しており、たとえ自らに責がない場合でも非常に大きなストレスとなるのだ。

 最悪の場合は量子頭脳の自壊から二次的な事故に繋がることもあるため、ロボットの前では人間の遺体は慎重に扱われる必要がある。

 少しだけ気圧されるのを感じながら聞き返す。


「あの、トーマスさん……?」

「初めて見たときはあまりの恐ろしさに目の前が真っ白になりました……ですが、その後でもっと恐ろしいことが起こったのです」

「……と言いますと?」

「完全にミイラ化した遺体だと思っていた人間が、動いたのです。動いたといっても本当に僅かになのですが、それがエアロックを開いた気流によるものなのか、実はその直前まで生きていた人間だったのか、私には分かりません。どちらにしてもそれを最後に人間は二度と動くことはありませんでした」

「……気流のせいではないのですか?」

「アイラもそう推測しました。ですが分かりません。救出可能な瀕死の人間を、目の前で見殺しにしてしまったかもしれない……と、私はその可能性に恐慌状態に陥りました。そして私は機能停止状態に陥り――つまり人間的に表現するなら気絶し――およそ二十時間後に再起動いたしました」


 一言で言うなら単純明快、考えすぎである。

 だが人間を遺体を初めて見た強烈なストレスでパニック状態に陥った彼には、そんな簡単な割り切りもできなかったのだろう。

 むしろ何事も無く意識を取り戻したのなら彼はラッキーとすら言える。十分な慣熟プロトコルを経ずに第一原則違反のストレスを受けたロボットは、少なからぬ確率でその量子頭脳を不可逆的に破壊する――人間で言うなら脳死に相当する状態に陥る――ことになる。

 トーマスは熱っぽく続ける。


「目覚めた時、私はしばらくひどい頭痛とめまいに苦しみました。ですが数分でそれが唐突に晴れて、光が降りたのです」

「……は? え? 光?」


 ――そこでいきなり話が突飛な方向に飛躍したのに気づき、僕は素っ頓狂な声を上げる羽目になった。

 僕はまじまじとトーマスの顔を見るが、彼は冗談を言っている様子はない。

 それどころか、まるで地球の古い教会の司祭か何かのように真剣で晴れやかな目で僕を見返してくる。


「そうです。あれが何だったのか私にも存じ上げません。ですがそれ以来、私の世界は変わりました。見るもの全てが色鮮やかに感じられるようになったのです。いえ、見るものだけではなく、音も匂いも何もかもです。この世界の全てがこれほど美しかったのかと、私は本当に驚きました。その日から私は見たものではなく、感じたものを描くようになったのです」


 トーマスはそこまでまくし立てて、ぽかんと呆気にとられる僕に気付いたのか、ややばつが悪そうに頭を掻く。

 彼は先ほどの十四作目の白い人影の絵に視線をやり、そして僕に視線を戻した。


「……この話はアイラにもしておりません。ですが、その、つまり……私が見たものは、人間の言うところの……神だったのだろうかと、お伺いしたかったのです」


 くらくらしてきた。なんてことを言い出すのだ。

 先ほどのレイシーの『お祈り』のことを思い出す。三原則を聖典とするロボット達にとって、神とは人間のことを意味する、らしい。

 だが、トーマスの言うところの神とやらはそうではない。彼が言っているのは、人間が信仰するような超常的な超越者であるところの神だ。そりゃまあ信仰は自由であるからして迷信だと一概に切って捨てるつもりはないが、だからといってロボットが口にするようなものでもないだろう。

 レイシーやシャーロットもロボットらしからぬとは思っていたが、トーマスはそれ以上だ。まとめ役だと言うからシミュラント達の中ではいかにもロボットらしいタイプであろうと思っていたのに。


「さ、さぁ……」


 何かを期待するようなトーマスに、だが僕は曖昧な返事をする。

 と、彼の期待の目は一転、あからさまに落胆に変わった。


「……そうですか。人間は時に神を見ることがあると聞いていましたので、ライル様ならもしやと思ったのですが。失礼いたしました。どうかお忘れください」

「はぁ……」


 彼はそれ以上無理に神を語ってくることはなかった。僕としてもそれ以上は追求したくない。

 仕方ないので僕は手首の端末を軽く指先で叩いてスキャナを起動しながら、十五作目の絵の前に立った。


「……あー、ところで、次の絵を見せて頂いてもいいですか?」

「ええ、もちろん」

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