RはロボットのR

 僕の絞り出すような問いかけ、いや確認に対して、リザは一呼吸置いてから小さく頷く。


「アイラは人間の生存者は既にいないと説明しているですから、ミス・ウィットフォードが今も生存している可能性は極めて低いと考えられるのです」

「……そう……」


 僕はもうその時点で何もかもどうでもいいような気分になっていた。

 ただの『文通』相手であった彼女の存在がここまで大きかったことに気づいて僕自身も驚く。きっと今ここで膝を折ったら二度と立ち上がれないのではないかとすら思った。

 だから僕はそこで膝を折ることはしなかった。

 それでもなお辛うじて僅かに残った使命感だけが僕を支えていた。


「……僕はアストリアに入ってみるよ。はぁ、ミス・ウィットフォードに会えるのを楽しみにしてたのになぁ」


 僕は若干やけくそ気味に冗談っぽく言ってみたが、さすがに不謹慎だったようでリザはにこりともしてくれなかった。自分でも全く面白くなかったし。

 彼女は無表情のまま首を小さく横に振る。


「推奨は出来ないのです。安全性に疑問があるのです」

「でも、アストリアに人間が残されていないなら、僕らが調査して地球に報告を送らなきゃいけない。そうだよね?」

「それはそうですが、危険を冒すほどの義務ではないのです」


 リザの返答は渋い。

 僕らには任務がある。

 アストリアに立ち寄ったらその報告をしなければならないし、どちらにしても人間の誰かが調査報告を地球に送らなければならない。そして、ここいらで生きている人間が僕だけなら、その報告は僕がするしかない。それはまごうことなく僕らに課せられた義務である。

 だがそうは言ってもあくまで可能な範囲での話であって、安全性が確保出来ないのに無理にというものではない。

 そして我らがリザは安全ということに関しては誰よりも一家言あるロボットなのだ。


「リザ、大丈夫だよ。アイラにも三原則が適用されているはずなんだからさ」

「三原則は必ずしも完璧ではないのです」


 僕は頭の中でかの有名なロボット工学の三原則を暗唱する。

 ロボット工学の三原則は、遙か太古の地球で考案された、人格型の人工知能を持つロボットを安全に運用するための制限事項だ。

 曰く――


 第一項。ロボットは、人間を傷つけてはならないし、人間が傷つくことを看過してはならない。

 第二項。ロボットは、第一項に反しない範囲で、人間からのあらゆる命令に従わなければならない。

 第三項。ロボットは、第一項と第二項に反しない範囲で、自らを守らなければならない。


 この原則は、実際に運用すると様々な問題を発生させることが知られていたが、現代でも種々の拡大解釈を経つつ全てのロボットに適用され続けていた。

 もちろん目の前にいるリザにも適用されている。


 最大の問題は、この原則を実運用するとしばしば自己矛盾を起こし、それに伴って考慮しなければならないケースが爆発的に増えてしまうことだ。そうなるとロボットは思考が堂々巡りに陥ってしまい何もできなくなるか、最悪の場合はデリケートな量子頭脳が自壊に至ることになる。

 このため現実には厳密な適用をある程度諦めた実装が行われている。

 これによりロボットが論理矛盾により自滅することは避けられるようになったが、その代償として複雑な条件が絡み合った時にロボットの安全性が必ずしも保証できなくなった。


 別の問題として、この原則は人間の存在を根本的な前提としている、というのもある。

 つまり、人間が存在しない環境下では第一原則および第二原則の適用が極めて曖昧となり、ロボットが何をしでかすか事実上予測がつかなくなる。

 他にもいくつかの問題が指摘されているが、それでも無ければならないものとされており、人類はこの三原則を長年騙し騙し使い続けてきた。


「べつにアイラが『狂って』しまったというわけではないでしょ?」

「彼女が何らかの形で彼女なりの規範を守って行動しているという意味では、狂っていない可能性が高いと思われるのです。ですが、そもそも彼女が何を基準に行動しているのかが明確ではないのです」

「でも三原則がある程度機能しているなら、僕に明確な危害を加えてくる可能性はあまり高くないんじゃないかな。なんたって僕は要するに、ここで唯一の人間なわけでしょ。つまり彼女は僕の安全だけを考えていればいい」

「唯一の人間というあたりも実はちょっと疑問なのです」

「それって生存者がいるかもしれないってこと?」


 僕が唯一の人間ではないかもしれないと聞いて、僕は若干食い気味にリザに訊ねた。

 もし僕以外に生存者が存在するのであれば、三原則の矛盾を突いて第一原則が破られ、僕に危害を加えられる可能性が否定出来なくなる。つまり、その場合は僕の安全が必ずしも担保できない。

 一方で、もし僕以外に生存者がいるのなら、なおさら僕はアストリアに入る動機は強くなる。

 なんたって僕がこの広大な宇宙の果てで一人ぼっちなのかどうかの瀬戸際だ。僕はいたって普通の人間であり、つまり孤独を全く感じない超人だったりはしないのだから。

 だが、僕の疑問にリザは首を横に振った。


「そうではないのです。アイラは生体部品を使用した『人間の代用品』を作り、それを人間の代わりに自らの主人としているようなのです」

「ロボットが人間を作る……? いや……でもそれは……」


 リザの説明に、僕は困惑した。

 現在の技術で『人間を作る』ことは、実は可能だ。

 人間の生きた細胞一つから人間を丸ごと一つ作り出す技術――つまりいわゆるクローン技術――だって当然のように確立している。あくまで技術的にはやろうと思えば何とでもなるだろう。

 だが、そんなことが三原則の制限を受けるロボットに可能なのだろうか、と思案する。

 実は三原則は最も重要な『人間とは何か』を定義していない。そのためロボットが例えば人造人間を作り出し、それを『人間』だと主張し認識することは理屈の上では可能なのだ。

 だが、しかし、それだけでは駄目だ。

 もし、三原則を超越する存在である人間をロボットが勝手に作り出してしまったら、それは間接的にロボットが三原則に反したことにならないのだろうか。例えばロボットが自ら作り出した人造人間が人間に危害を加えて良いのなら三原則は容易に破綻する。

 実運用においては妥協に満ちているとはいえ、本来ならば三原則は間接的に破ることも許されないのだ。

 だいたい現代においては技術的にはともかく法的な制約として、人間の手でクローン人間を作ることすらほぼ全面的に禁止されている。ましてやロボットが自らの手で人間を作るなど問題外のはずだ。

 僕がその疑問を述べると、リザはこくりと頷いた。


「その通りなのです。三原則はロボットが本物の人間を作ることを許容しないのです。ロボットが作り出した人間が三原則を自由に破れるのであれば、結果的にロボットが三原則を破ることを可能にしてしまうのです。その潜在的危険性そのものが三原則に抵触するのです」

「うん、そうだよね」

「ですから、アイラは人間を作る代わりに、生体部品を使った人間そっくりの、三原則が適用されたロボットを作ったのです。アイラはその『人造人間』に対して三原則を準用して仕える一方で、人造人間はライルさんのような本物の人間に対してはロボットとして服従するのです。これで人造人間が本物の人間を傷つけてアイラが間接的に三原則を破る事態を防げるのです」

「……なんか変な気はするけど、それなら問題ないんじゃないかな……?」


 回りくどい階層構造ではあるが問題はないように思われる。

 つまりその人造人間は、アイラからは人間として扱われるとしても、本物の人間である僕に対してはロボットとして振る舞うということだ。彼らは僕に危害を加えられない。

 要するにロボット同士で、人間ごっこロボットごっこをしているに過ぎない。

 結局生存者がおらず僕以外はロボットしかいないのか、という点についてはがっかりしたが、とりあえず僕の安全は保たれることになる。


「でもそうなると、その人造人間とやらも調査して地球に報告する必要があるね」

「問題はそれだけではないのです。というより、ここからが本題なのです。アストリアの人造人間の一覧が送られて来ているのです。これを見て下さいです」


 リザはそう言うと、壁面の一つをディスプレイとして何かを映し出した。

 僕はその映し出されたものを眺めて……凍り付いた。それは見た目には全く人間そっくりなモノ達の顔写真だった。これで全てかは分からないが二十人ほどいる。

 そして僕の視線はある一点で吸い込まれていた。

 その姿は僕にとってあまりに衝撃的で、困惑だけでなく微かな激情に似た感情をも呼び起こさせる。

 瞬きをすることも忘れて一分以上それを凝視し続けた後、僕は震える声でリザに訊ねた。


「これが、ロボットの作った人造人間? 本当に?」

「アイラはそう言っていますです。ライルさんにとっては重要なことだと思うですから、先に知らせておくです」


 リザが空気の読めるロボットで良かった。もしもいきなりこれを知らされたら、僕はみっともなく取り乱していたかもしれない。


「……分かった。ありがとう、リザ。これは心の準備をしておくべきことだったよ」


 僕はディスプレイに映るその少女の静かなまなざしを見つめ返しつつ、下唇を噛んだ。

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