移民船アストリア

 僕が目覚めたあの時点から、身体検査を受けたり身支度を調えたりで数日を要した。幸い多くの手順をすっ飛ばして冷凍睡眠ポッドに逃げ込むという乱暴なことをした割には、僕は心身共にほとんどダメージを受けていなかった。

 その間にこの医療コンテナは、僕らの宇宙船エオースから切り離され移民船アストリアに搬入されている。

 そして今、僕が医療コンテナの出入り口に立っている。


「アストリアから通信が入っているのです」


 リザがそう言うと、コンテナの外部つまりアストリアとの通信回線が開かれた。

 ドアのあたりに取り付けられたスピーカーから聞き慣れない声が聞こえてくる。


『アストリアへようこそ、人間のライル、それからR・エリザベス。私は本船の管理システム、R・アイラです。あなた方を歓迎致します』


 相手はアストリアの管理システムだ。

 名前から予想していたがアイラも女性タイプのロボットらしい。リザと比べると随分と事務的で大人びた声がスピーカーから聞こえてきた。どうやらアストリアの――もうとっくに亡くなったであろう――船長は、リザに変な喋りを教え込んだ僕らのベイカー船長と比べるとずっとまともな人物だったようだ。


「ライル・バクスターです。よろしく、アイラ。お世話になります」

『よろしくお願いします、ライル。こちらの生活で何か要望はありますか?』

「我々の船の修理とそちらの船の調査に対する全面的な協力を期待します。そちらに乗り込むにあたって注意事項はありますか?」

『はい。現在アストリアには私の他に、二十二人のシミュラントが生活しています。そのうち二人がライルの世話に付く予定です。彼らは三原則に従ってあなたに服従しますが、可能な範囲で人間に準ずるものとして扱って頂けると助かります』

「シミュラントというのがアイラの製造した人造人間ですね。配慮します」


 アイラがどちらから見ているか分からなかったので、とりあえず僕は天井に向かって小さく頷く。

 彼女の製造した人造人間というか生体部品を使ったロボットは、『シミュラント』と呼ぶらしい。覚えておくことにする。

 それにしてもシミュラントまがいものとは。アイラが付けたのだろうか? ロボットが付けたにしては随分と悪趣味なネーミングに思えた。


『ではコンテナを開けてお進み下さい。シミュラント達がライルをお迎えしたいと言っています』

「分かりました、アイラ」


 そう答えると僕はリザの方に視線をやった。彼女は無言で頷き半歩だけ僕の方に近づいてくる。

 彼女はこの子供型のヒューマノイドボディを使って、アストリアの中でも僕に随伴することになっている。今は亡きベイカー船長が趣味が全力で反映されたこの幼女ボディだが、その性能は折り紙付きだ。彼女がその気になれば――もちろんそれは三原則が許すならばという意味であるが――僕なんて十人がかりでも瞬く間に制圧されてしまうだろう。

 彼女は僕にとって、今最も信頼できる同僚であり、気心の知れた友人であり、素晴らしい教師であり、強力なボディガードであり、そして極めて従順で優秀な召使いでもあるのだ。

 僕はリザが側にいることを確認すると、意を決してドアの方に手を伸ばした。


 ドアは僕が軽く触れるだけで簡単に開く。

 医療コンテナを出ると、その先は既に僕の見慣れたエオースの設備ではなく、アストリアの真っ白な直線の通路が接続されている。

 事前の情報ではアストリアの電力事情はかなり逼迫しているらしいが、通路は全体的に明るい。現代においては利用される電力のオーダーも人類が地球に這いつくばっていた時代とはわけが違う。流石に多少の照明をけちったりするような時代ではない。


 通路を歩いたのは大体二分そこらだろうか。

 数日前に目覚めたばかりの身体で長い距離を歩くのは案外疲れるなと思い始めたあたりで、僕とリザは少し開けたホールに出る。

 ホールはドーム状でグレーの床に淡いクリーム色の壁というシンプルなデザインになっている。

 僕自身あまりごてごてしたものは好きではないので、この辺りのシンプルさはどちらかというと好ましいと言っていいだろう。


 ホールに足を踏み入れると、そこには二人の少女がやや緊張したような面持ちで立っていた。


 どきり――


 それは唐突であったが、僕は心臓が激しく脈打つのを押さえ込み、唾液を飲み込むと、無理矢理どうにか平静を装う。

 リザが前もってあの写真を見せてくれていたおかげで、どうにかのっけから変な声を上げるような失態は犯さずに済んだ。


「……初めまして。僕は外宇宙調査船エオースの第二種運用技術者のライル・バクスターです。この子はエオースの管理システムのリザ」


 僕の名乗った肩書きである第二種技術者というのはいわばエオース乗員の二軍を意味する。

 エオースの乗員は一軍である第一種技術者と二軍である第二種技術者に別れている。

 冷凍睡眠は確立した技術とはいえ多少なりと人体にダメージを与える以上、その安全性は人体の自己修復性、特に年齢に大きな影響を受ける。つまり乗員は可能な限り若い方が望ましいわけだが、一方で能力的には当然ながらベテランの方が好ましい。

 そこで若い技術者を一種の見習いとして搭乗させミッション中に教育を行うシステムになっており、要するに僕はその見習い技術者なのだ。

 僕は僅かに声を上ずらせつつその微妙に情けない肩書きを名乗り、そして少女達に微笑みつつ、訊ねた。


「君達は?」

「ようこそ、ライル。あたしはシミュラントのシャーロット。本物の人間に会えるなんてとても光栄です。あたし達は三原則に従ってあなたに服従します。……あたしはこの船で一番新しく作られたシミュラントですけど、きっとあなたのお役に立ちます。本当よ」


 小柄な方の少女がやや緊張した面持ちで自己紹介したあと、はにかむような笑顔を浮かべる。

 外見年齢は僕より少し下だろうか。シャーロットと名乗ったシミュラントは、美しいというよりは可愛いという印象の強い快活そうな赤毛の少女だ。

 淡い色合いのブレザーに紺のスカート、白いスニーカー。ロボットと言われて想像するような風体どころか、航宙士の身なりでもない。まるでごく普通の人間の学生のような服装である。そしてその瞳には僕に対する好奇心で充ち満ちていている。

 もっとも、この感情豊かに見える少女も作り物のロボットであり、全ては僕の機嫌を良くするためのものに過ぎないはずだ。

 まあ僕だってロボットが作り物の笑顔をしてきたからといって今更気分を損ねることもない。


「こんにちは、シャーロット。よろしくね」


 僕はシャーロットに微笑みながらそう言った。

 続いて、シャーロットから視線を外しもう一人の少女の方に移す。少女はややこわばった表情で僕の視線を正面から受け止めていたが、シャーロットに肘で脇腹を小突かれてようやく口を開いた。


「レイシーです」


 その少女レイシーの挨拶は淡々としたその一言だけだった。

 やや儚げな印象を与える銀色の髪の美少女で、服装はシャーロットと同じだ。相方と対照的にこちらは事務的というかどうも社交性の低そうなタイプだが、本当に彼女もロボットだと言うのならこれも僕の機嫌を良くするためのものだということになる。

 一般的な認識に反して現代のロボットにはある程度の個性がある。

 これは主に三原則で最も重要な原則である第一原則『人間を傷つけてはいけない』の判定基準が個体によって幅があることに起因する。人間に肉体的なダメージを加えることはほぼ全面的に禁止と認識しているのは当然としても、精神的なダメージについてはかなりの裁量があるのだ。

 もちろん、そうは言ってもロボットの個性はある程度限られている。僕にとって一番身近なロボットであるリザは、変態のベイカー船長のせいで外見こそ個性的だが、見た目ほどには突飛な性格付けをされているわけではない。

 そういう意味ではこのレイシーはロボットらしいようで実はあまりロボットらしくない。必要以上に社交性が低いというのは人間に相対するにあたってはあまりメリットがないからだ。


「よろしく、レイシー。君は、その……なんて言うか……君もシミュラントなんだね?」

「はい、その通りです」


 僕の問いに対してレイシーは無表情のまま頷く。

 彼女が問いの意味を理解しているのかどうかは僕には判別が付かなかった。ロボット工学の一分野として、ロボットの思考や行動をあたかも心理学のように分析する技術も存在するそうだが、あいにく僕にはそのような技術は身につけていない。

 彼女に聞きたいことは山ほどあるが、今この場で聞くべきなのだろうか。

 僕は少し悩んでから、首を横に振って話をそこで打ち切ることにした。彼女については後で考えよう。


「……うん、なるほど。まあ、よろしく、レイシー」

「はい」


 レイシーが控えめに頷く。

 とりあえず問題を棚上げしたので、僕は二人を見回しながら続きを促した。


「それで、僕は地球への報告と機体の修理を行う間、こちらに滞在することになってるはずだけど。君達に案内してもらえるのかな?」

「うん、任せて、あたしが案内するね」


 シャーロットがぐっと僕にガッツポーズしてみせる。何となく戯画的な仕草だが、本人は照れたような微妙な笑顔になっている。なんとも芸が細かい。

 リザも相当だと思っていたが、それ以上にあざとい作りのロボットだなと僕は内心で呟いた。これがロボットが作ったロボットというのだから世の中分からないものだ。

 しかもこっちは……と僕はレイシーの方にちらりと視線をやり、そして僕は嘆息した。

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