チーム二つ分
ライルが部屋を出て行くと、部屋にはレイシーとシャーロットだけが残された。
彼はきっと内心ではひどく傷ついているだろう。思い人の死が確実なものとなり、しかも彼女が別の人物に思いを寄せていたと知ってしまったのだ。
彼の心の傷を少しでも和らげたいと思うのだが、レイシーにはどうしていいのかが分からない。オリジナルそっくりのこの容姿がますます彼を傷つけてしまうのではないかという恐れすらある。
正直を言うと、ライルが席を外したことに少しほっとしていた。
「ねえ、これ美味しいわよね」
物思いにふけるレイシーに、隣でスナックバーを囓っていたシャーロットが声を掛けてくる。
食料プラントが使えないからということで、夕食には一人一本ずつ非常用の栄養補助食が配られた。シャーロットはこのざくざくとした歯ごたえのあるチョコレート味のバーがお気に召したらしい。
「リザが直るまでしばらくこれだそうですよ」
「楽しみだわ」
このスナックバーは人類が地球で戦争ばかりしていた頃からある非常食だ。もちろん数百年に渡って改良が施され続けてはいるものの、伝統的にカロリー摂取を第一として作られていることには変わりない。
かつては士気が下がるほど不味いとまで言われたというが、現代においては……人類が歩んできた非常食の歴史に思いをはせる味、と婉曲に表現されている。
レイシーも口にしたのは初めてだが、まあ実際のところそこまで酷評するような味でもなく、なるほどこんなものかという程度だった。チョコレート味以外のフレーバーもあるそうで、確かに興味深いと言えなくはない。
「そういえば、レイシー。船の裏側の調査はどうだったの? そっちはそっちで色々あったみたいなんだけど」
「ええ、そうですね……」
先ほどの調査のことをかいつまんで話す。
ドクターの研究室で助手氏の遺体を発見したこと、オリジナルのレイシー・ウィットフォードが生きているかもしれなかったこと。
結局彼女は死んでいて、遺体を発見したこと。遺体は回収を断念し、遺髪だけを持ち帰ったこと。
「へぇ、そんなことあったんだ。自分の元になった人間が死んでるって、なんか怖いなぁ……」
シャーロットの言葉に、レイシーは息を飲んだ。
彼女のその指摘はまさしく正鵠を射ていたからだ。
いや、違う、そうではない。
……そうではなかったのだ。
「……私は、醜く卑しい心の持ち主です……」
「うん? 急にどうしたの。何かぶちまけちゃいたいことがあるなら、あたしが聞くわよ?」
「私は……遺体が恐ろしかったわけではないのです……」
レイシーは、オリジナルのレイシー・ウィットフォードの遺体を目にしても、
「私は、オリジナルが
「ふーん」
自分の本性を知ったらシャーロットに軽蔑されるかもしれない、そんなことを思いながら打ち明けた言葉に対する反応は、ただ一言の『ふーん』だった。
まるで夕食のメニューでも聞いたような気安い相づちだった。
「まあ元々生きてるわけなかった人なんだし、そんなに気にしなくていいんじゃないかしら。ライルもうじうじしてばかりで鬱陶しかったし、これですっぱり諦めて欲しいものだわ」
「それなのですが……」
先ほどの話に加えて、オリジナルに実はライル以外の思い人がいたという話も付け加えた。
それを聞いたシャーロットは目を丸くしながらぽかんと口を半開きにしたかと思うと、顔を伏せた肩をふるわせ始める。
どうしたのだろうかとレイシーが覗き込もうとすると、彼女はがばっと顔を上げた。
……笑顔で。
「なにそれ! ライル振られたの⁉」
「え、ええ、はい……」
「いい気味だわ。じゃあ死んだ方のレイシーに関しては振られて終わりでしょ。何も問題ないじゃない」
「あの、もう少し言葉を選んで……」
笑顔でずけずけと言うシャーロットに、レイシーは若干引き気味に答える。
そりゃあ、まあ、レイシーだって、全くこれっぽっちもそんなことを思わなかったと言えば嘘になるし、この話を誰かに告げ口しようとも思わないが、それにしたって気は遣って欲しいものだ。
「レイシーはどうなの? ライルよりも、そのナントカって人の方が良かったの?」
「……ライル様がいいです」
レイシーは迷わず即答した。
オリジナルのレイシー・ウィットフォードが、ライルではなく他の男性を好きだったと知って一番驚いたのは、ライルではなくレイシーなのではないかと思う。
オリジナルと同じ遺伝子から作られ、彼女がエオースとやりとりする映像を追体験させられながら育てられて、どうしてそんな食い違いが出てしまったのか全く理解しがたい。
自分の役割はオリジナルの代替であり、残っていた実験を済ませたあとは、彼女の遂げられなかったライルとの思いを少しでも全うするのだと、ずっとそう信じていた。もちろんロボットとしての身の程は弁えてはいたが、レイシーが一人の人間として求められるのであれば――不安はあったが――それもやぶさかではなかった。それがオリジナルの遺志だと信じていた。
それがなんだ。根本的に間違っていたなんて、今更言われても困る。
だがレイシーが失敗作であることは明らかであり、今からオリジナルのようになることは困難だ。ニューロチップがあるなら取り繕うくらいはできようが、チップを解除してしまったらそれを上手くやる自信はない。
ライルも今のレイシーのままで構わないと言っている。それが本心だと信じるほかない。
「そっかぁ」
悶々とするレイシーをよそに、気まぐれなシャーロットはそれ以上追及してくることもなく――
「あっ、そういえば……」
また唐突に話を変えた。
「さっきライルと話してたフットボールって何の話? ボールを蹴る遊びのことよね」
「ええ、はい……」
何故そんな質問をされたのか俄には理解できなかったレイシーだが、すぐにその意味が分かった。
どうやらライルは、みんなでフットボールをやるという約束の話をレイシーにしかしていなかったらしい。
意図的に黙っていたのだろうか?
……この場で勝手に話していいものか少し迷ったが、秘密にするというのはフェアではないように思えた。
「ライル様は元々のメンバーの方々と約束していたそうです。目的の星系に現地基地を設営したら、みんなでフットボールをすると。ですが、皆さん、その、亡くなられてしまいましたから」
「あ、そっか。その『みんな』って今はあたし達のことなのね。でもトーマスさん達が一緒に行かないなら、あたしとライルとレイシーと……あとリザ入れてもたった四人かぁ」
そうなのだ。
フットボールというのはルール上
最初にその話を聞かされた時、レイシーはライルが示唆するところを深く考えなかった。新しい星に降り立ったことを祝う一環として、みんなで子供のようにボールを追いかけて走り回り、それが終わったら特別な料理か何かをみんなで食べる、十人でも二十人でも四人でも気にしない、その程度のことだと思っていた。
でも、きっと違う。もっと深い意味があったのだ。
「つまり、ライル様の望みを叶えるためには、フットボールチームが二チーム結成できるくらい、人間を確保する必要があるのです。ですが、私が人間になれれば、その、つまり、遺伝子レベルでは、ライル様とオリジナルの、こ、子供をですね……」
つまりそういうことだったのだ。
レイシーはオリジナルと同じ遺伝子で出来た肉体を持ち、ニューロチップを解除すれば人間の女性と同じ
そう、ライルがレイシーに対して人間になることを薦めてきたり、その際にフットボールのことを念押ししてきたり、そういったことが何を意味していたのか。今やレイシーは完全に理解していた。
もし培養技術などを使わずに二十人近くとなると、その要求は大変な大事業である。だが、オリジナルから受け継いだレイシーの肉体は、運動性などではやや水準を下回るものの健康状態は非常に良好である。決して不可能なノルマではない
だが、そんな決意を固めるレイシーに、シャーロットは何やら微妙に困ったような表情をして見せる。
「えーと、あのね? そりゃね、人間にとってそういうラブ的なアレが大切ってのは、あたしも分かってるのよ? でも、その上で思うんだけど……いくらなんでも数が多すぎるんじゃないかしら……」
「ライル様がお望みとあらば否という選択肢はありません」
「本人にちゃんと確認したの?」
「ライル様の示唆するところは明らかだと思います」
これまでのライルとのやりとりを総合的に勘案すれば、彼の意図するところは明白であると思われる。
だいたいライルは表面的にこそ落ち着いているものの長年の思い人を――色んな意味で――失ったばかりだ。今ここであまり細かいことを訊ねるのは、彼の傷をえぐることになりかねない。もちろんライルにも、色々
シャーロットが何を懸念しているのかがよく分からない。
「それ、ライルが実際に何をどういうつもりで言ってるのかから怪しい気がするわ。最近、大抵の問題は意思疎通の齟齬が原因で起こるんだって気がしてるのよね」
彼女は怪訝そうに眉を寄せたあと、付け足す。
「だいたい三原則がなくなったらレイシーの気持ちだって変わるかもしれないんだから、もう少しじっくり考えた方がいいと思うわ」
「それはないと思いますが……」
レイシーの気持ちが三原則の有無で変わってしまうなど考えられない。少なくともレイシー自身はそのように確信している。
そういえばライルも同じようなことを気にしていた。その時は妙なことを気にするものだと思っていたが、シャーロットまでそんなことを言い出すようでは何か意味があるのではないかという気もしてくる。
とはいえ、レイシーが見たところ、シャーロットは例の事故の前後で何か変わった様子はない。
不思議なことだ、と首を傾げる。
「シャーロットはライル様への気持ちが変わったりしたのですか?」
「変わったわよ」
シャーロットはそれだけ言うと、ポリポリとスナックバーを囓り始める。
レイシーの問いに対する答えは極めて簡潔で、にわかに聞き逃しかねないほどであった。
一瞬遅れて、レイシーはきょとんと目を丸くした。
変わるようなものなのだろうか?
一体どう変わったのか、それを聞くのは恐ろしいことのような気がして、何となくそれ以上訊ねられないままその話はそこで途切れてしまった。
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