さよならと、それから
エオースの中に設けられた『霊廟』にはいつもと変わらず白い冷凍睡眠ポッド――実質的にはかつての仲間達の遺体が収められた棺――がずらりと並べられている。
「……みんな、久しぶり」
特別な事情でもない限りはエオースにいる限り三日と置かずにここを訪れていた僕だが、ここしばらくはトラブルの収拾に追われてとんとご無沙汰になってしまっていた。
実を言うとトーマスの一件から何となく足を運びづらかったというのもある。
つまり、死んだ人間が超自然的な形……つまり魂だかなんだかで、意思を持ち続けるのかどうかと、そんなことがわだかまっていたのだ。
トーマスの信仰を否定したくせに、僕はいまだに死者に依存している。自分でもひどい欺瞞だと思う。
そんなわけで、今日こうやって訪れようと決意するのに一週間ほども掛かってしまった。
「色々あったんだけど、まあ僕は何とか上手くやってる。一応仲間も増えることになったよ」
シャーロットのニューロチップ解除処置は昨日つつがなく完了した。と言っても予想通りというべきか見た目上の変化はなく、むしろニューロチップが完全に機能停止していたことを再確認したに過ぎない。
中途半端に壊れていて障害が残ったりしなかったことは幸いと言うべきだろう。
レイシーも昨日処置を受けたが、こちらはまだ目を覚ましていない。一応プログラムについてはリザとアイラに問題ないことを確認させており、眠り続けているのは単に脳を慣らすための時間なのだそうだ。
リザからは早ければ今日中に目覚めるだろうと聞いている。
二人への暫定市民権の付与については現在処理中だ。完了すれば彼女達は人間に準ずるものとして扱われ、リザからも三原則による保護対象となる。
もっとも命令などの優先順位は依然として僕が上だ。リザが二人を傷つけたりできなくなるが、元より彼女達は良好な関係を築いている。つまり扱いが大きく変わるというわけではない。
「二人とも良い子だし、頑張ってくれてるよ。ミッションも何とか頑張ってみる。あと、それから……もう一人」
僕は並べられた白い冷凍睡眠ポッドの一つに近づきながら、懐の小さな容器を取り出した。
容器には透明な合成樹脂が充填されており、そこにキラキラした銀髪の切れ端が浮かんでいる。先日の探索で持ち帰ったミス・ウィットフォードの遺髪を、長期保存できるように加工したものだ。
しばらく目の前にかざしてそれを眺めた僕は、ポッドに親友であったフレッドの名前があることを確認した後、そこに据え付けられた物入れに容器を固定した。
「フレッド、彼女のことしばらく頼むよ。死後の世界とかそういうのがあるのかよく分からないけどさ。それにしても、なあ、まったく、君はモテるくせに……なんで僕だったんだろうな」
全くままならないものだ。誰も彼もが中途半端に不器用にできている。
あれだけ何でも器用にこなし決断力に優れユーモアに富んだフレッドも、何故か変なところで極端に不器用だった。
まあこんなのは器用だとか不器用だとかそういう問題でもないんだろうけれども。
「悪いけど僕がそっちに行くのは何百年も先になると思うんだ。ま、気長に待っててよ」
フレッドにそう声を掛けたあと、続いて物入れに収まった小さな容器に視線を移す。
宇宙船が航行するとなると様々な加速度が掛かるので船内のものは基本的に固定しておく必要がある。この物入れならこれからの長い旅にも耐えるだろう。
それにまあ、ここなら、彼女も寂しい思いをしないに違いない。
「立場上応援はしないけど、まあフレッドは良い奴だよ」
僕はそれだけ言うと物入れの蓋に手を伸ばし――一瞬ためらったあと、それを閉じた。
視界から去った後もまだ銀色の美しい遺髪が目に焼き付いているような気がするが、頭を振って強引に振り払う。
次に僕は船長のポッドに近づき、ここしばらくのことを報告する。
つまり、ドクター・ウォーカーの研究室を調査したこととか、人的トラブルでリザに問題が発生したが解決したこととか、僕の判断で新しい乗員を採用したこととか、そういうことを。
そんな風にして僕は一人ずつ一通り声を掛けていき、そして大きく息をつく。
「……まあ、こんなところかな。さて、と、レイシーは一体あとどのくらいで目覚めるんだろうな……」
エオースは法的に地球のとてつもなく離れた飛び地という扱いなので、暫定市民権の付与にはそれに合わせた手続きで行われる。
ほとんどの手続きはリザに任せておけば良いのだが、宣誓は必ず立会人のもと口頭で行う必要があった。
彼女が目覚めたらシャーロットの分と合わせて面倒な儀式を済ませてしまわなければならない。
あとは報告書だ。
アストリアから出発するまでに作らなければならない報告書が山ほどある。
船尾ブロックの探索で元住人達の個人端末を回収してきたのが実は良くなかった。見て見ぬ振りをすべきだったとまでは言わないが、あれのせいで僕が書かなければならない報告書の枚数が膨れ上がっているのだ。
僕はもう一つため息をつき、霊廟から廊下に出て――
「お帰りなさいませご主人様ー!」
いきなり元気よく出迎えられた。
……なんだこれ?
まず真っ先に僕の脳裏に浮かんだ言葉はそれだった。
「……リザ、シャーロット、何してるの……」
僕は眉をひそめつつ辛うじてそれだけ口にした。
廊下には何やら見覚えのあるひらひらの服をお揃いで身につけた少女が二人立っている。
シャーロットは満面の笑みで、リザはこわばったような無表情で。
あれは何だったか、ああそうだ、メイド服とかいうやつだ。大昔の地球で
リザのためにわざわざ手縫いされたそれは――ロボットにその表現が適切かは分からないが――彼女の大変なお気に入りであり自慢の一品のはずだ。
それが何故かシャーロットまで同じものを着込んでいる。
「可愛いでしょ!」
「まあ……うん……」
なんだかよく分からないテンションのシャーロットに、僕はとりあえず的に頷くことしかできない。
見たところ彼女の服はサイズこそ異なるがデザインはリザと全く同じもので、もちろんシャーロットに合わせたものが以前からあったわけはなく、新しく作られたものなのだろう。
僕が怪訝に思いつつシャーロットとリザの間で視線を行き来していると、リザが苦々しげに――いや表面上は全くの無表情なのだがそうとしか言いようがない様子で――言う。
「私の量子頭脳を守った報酬を要求されたので、不本意ながらレプリカを作ったのです」
「リザったら水くさいわ。こんな可愛いのを自分だけ隠し持ってたなんて。でもみんなでお揃いってのもありよね」
まあ確かに先日の事件ではシャーロットは大活躍であった。リザが助かったのは彼女の働きによると言っても良いだろう。どうやらその功績でリザに報酬をねだったようだ。
それがこのメイド服というのは意味がよく分からないが。
そして、リザの口ぶりからすると本当に不本意そうである。
「お揃いではなのです。そっちは偽物で、私のは
「何が違うの?」
「私のは
首を傾げるシャーロットに、リザは手縫いのところを強調する。どうもそこは絶対に譲れない一線らしい。
それだけでは言い足りないのか、リザは自分のメイド服の袖口を指さして僕に見せてくる。
「私のはここのところの縫い目が歪んでいるのです。ユーリさんが縫ったところなのです」
「ユーリが? 珍しいね」
僕はリザの指先を覗き込んでみた。
見るとほんの少しだけ縫い目が傾いている。目を凝らして見ないと分からない程度の傾きだ。
ユーリはそのでかい図体に見合わずそういう繊細な作業を得意とする男だった。彼がそういう作業でミスをすることがあったというのは少々意外だ。
「あの時ユーリさんは長時間の観測任務でとても疲れていたのです。その合間にこれを縫ってくれたのです。腰のあたりはマリーナさんが縫ってくれたのです。裏側が少しずれているのです。それから……」
「えー、じゃああたしの方が綺麗に出来てるってことよね」
「……シャーロット、お前は本物の価値が分かっていないのです」
シャーロットに横から話を遮られたリザが淡々と言い返す。
リザにとって物を寸分違わず作ることは難しいことではない。それよりも彼女のためにわざわざ人間が手縫いで作ってくれたという事実にこそ価値がある、と言いたいのだろう。
まあそのように振る舞っているからといって、リザが実際どう思っているのかは分からないのだが、きっと彼女は本当にそう思っているのだと僕は信じる。
「ま、でも可愛いければどっちでもいいわよね」
一方のシャーロットはそれ以上頓着した様子もなくおざなりに頷いた。まあ実際彼女にとっては可愛ければ誰が作ったものでも関係ないのかもしれない。
だが、誰が作ったとか可愛いかどうかとかよりも、そもそも何故シャーロットがこんな服を着ているのかの方が、僕に取っては疑問だ。
「……あのさ、シャーロットがなんでそんな格好をしてるのかが分からないんだけど……。君はもう、その、僕と対等な人間として振る舞っていいし、僕のことをご主人様なんて呼ばなくていいってのは、分かってるよね?」
「えっ、もしかしてあんまり似合ってない?」
「いや、そうじゃなくて、君はもう、そういうこと、やめてもいいんだよ」
「んー?」
僕の言葉にシャーロットは今ひとつぴんとこない様子で首を捻っている。
どうも会話が噛み合っていない気がする。
彼女は先日合法的な手続きで三原則の制約から解き放たれ、自分の意思で行動することが認められている。暫定市民権の付与はまだなので人間としての権利は保障されないものの、ロボットとしての義務はもう課せられていない。
つまり、彼女は最早人間に隷属する存在ではないし、いちいち僕のことをご主人様と呼んだり召使いのように振る舞う必要もない。
ロボットの振りをしていなければ殺されるという危機は今や去ったのだ。
「でも、やっちゃいけない、ってわけじゃないわよね」
「それは……そうだけど」
「じゃあいいじゃない。あたしは今日は『めいどさんの気分』だからこうしてるの。飽きたらやめるし」
あっさり言うと、シャーロットはスカートの裾を軽くつまんでぴょんぴょんと跳ねる。
「……飽きたらやめる……か」
――飽きたら、やめる。
そう、彼女は自由なのだから、何らかのルール上の制約がない限りは、好きなことをしていいし好きな時にやめて良い。
そしてこの船には業務中でない限り服装だってある程度自由とされている。シャーロットがメイド服を着てはならないというルールはないし、飽きたらまた別の服を着ても良い。
じゃあ、なにか。
つまるところ、勘違いしていたのは僕の方だった?
僕はやや虚を突かれた形でシャーロットのことをまじまじと見つめた。
彼女はニコニコと笑顔で僕の視線を受け止めていたが……
「……ん」
ややあって何を思ったのか、目を瞑りねだるように唇を上げる仕草をする。
――ぺちんと額を指で弾いてやった。
僕はため息をつく。
「まあ、要するに、君は三原則に関係なく好きなことをやっている、ということかな」
「……そうよ。以前のあたしは身も心も全てライルを楽しませるためのものだったわ……身も心もよ!」
なんでそこを不満げに強調するのか。
「今は?」
「今はあたしを楽しませるためにライルがいるのよ」
シャーロットが胸を張るように宣言する。
一瞬隣のリザが眉一つ動かさないまま無言の怒気を膨らませた気がしたが、気付かなかったことにした。
まあしかし、なるほど、やはり勘違いしていたのは僕の方だったようだ。
一見以前と変わらないように振る舞って見えるシャーロットは、極めて根源的なパラダイムシフトを起こしていたのだ。
つまり彼女は今や
「ライルが来てからご飯は美味しいし、色んなことが起こるから毎日楽しいわ。なんだかトラブルも多い気がするけど、そこはあれよ。愛を育むには二人で困難を乗り越えてこそって言うものね」
「困難はみんなで乗り越えてると思うけど……」
そういえば初めて会った頃にも彼女はそんな感じの妄言を吐いていた気がするが、まあいい。
彼女がこうして自分の人生を楽しんでいるのであれば、どれだけ珍妙に見える物であれ僕が口を挟むようなことではないだろう。周りに危害でも加えるようなら別だが、彼女にそのような兆候はないわけだし。
「まあ、シャーロットがそれでいいならとやかくは言わないよ」
「ちなみに今は人間の恋愛に興味があるわ」
「それは僕の知ったことじゃないけど」
いやまあ彼女の自由意志は極力尊重したいところではあるし、貞操観は人それぞれではあろうが、僕まで巻き込まれるとなると話は別だ。
はてどう言ったものか、と僕が眉を寄せながら思案していると、シャーロットは再び笑顔になる。
「むー……まあ、別にライルは無理しなくていいわ。あたしはこうやってそばにいるだけでも結構楽しいし。でももっと楽しくさせてくれてもいいけどね?」
「う、うん……。ええと、ああ、その服、二人ともよく似合ってると思うよ」
何やらポーズを付けながらチラチラと僕に視線を送ってくるのは、さっさと褒めろということなのだろうと判断する。
それにしても我ながら何とも白々しい褒め方だ。
実際、主従関係とかそういうのを抜きにして見れば、二人ともよく似合っているし可愛いと思う。
……しかしこの服を僕に見せたいというのが用事だったのだろうか? シャーロットはともかくリザまで?
少し助けを求めるようにリザの方に視線をやると、彼女は無表情のまま肩をすくめて見せた。
「そろそろ本題に入りたいのですが」
「あ、やっぱり他に用事あったんだ」
「当然なのです。レイシーがそろそろ目覚めそうなので呼びに来たのです。興味がないなら来なくてもいいのですが」
「行くよ、行く行く。それ先に言ってよ」
早ければ今日あたりに目覚めるかもとは聞いていたが、レイシーの方も問題なく順調だったようだ。
そんな大事な話があるなら先に言ってくれればいいのにと思っていると、シャーロットが不満げに唇を尖らせつつ言ってくる。
「だって、レイシーが起きてからじゃ絶対あたしに構ってくれないじゃない」
「いや、そんなことは……」
……あるな。
「ごめん」
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