何でも知りたい

 僕が医務室を訪ねて最初に目にしたのは、少し意外な人物だった。

 顔の左半分だけ笑みを浮かべたその人物が、軽く会釈しながら僕を出迎える。


「こんにちは、ライル」

「うっ……」


 だが、違った。

 その人型ロボットから発せられた声は、僕が予想したものとは全然違うものだった。

 それは聞き覚えのあるだったのだ。

 僕は眉をひそめながらに尋ねる。


「……どうしてアイラがサミーのボディに?」


 そう。僕を出迎えたのはサミーのボディだったが、その声はアストリアの管理システムであるアイラのものだった。

 まあそれ自体は不可能な話ではない。いつもリザとリトル・リザがやっているのと同じことだ。

 ただちょっとこう、いかにも機械然とした男性型ロボットであるサミーのボディから、柔らかな大人の女性の声がするというのが、どうにも違和感が甚だしくはあった。


「はい、市民権取得時の宣誓に立会人が必要でしたので、エオースの通信網を間借りしてR・サミーのボディを遠隔操作しています。何か問題がありますか?」

「……いえ、構いませんよ。ちょっと予想外だったから少々驚いただけです。アイラはカメラと音声だけでの参加だと思っていました」

「一応形式上、私とR・エリザベスも立会人として手書きでサインすることになっています」


 ……おっと原始人発見。手でサインと来た。

 人間が僕しかいないからといって立会人のサインをロボットにやらせるのが適切なのかとか、そもそもこの現代において手書きのサインをするということにどの程度の意味があるのかとか、思うところは多々ある。あるのだが……リザとアイラがそれでいいと言うのなら任せておいて良いのだろう。

 そういえば、もしアイラが僕らに同行するようであればリザと同じようなボディを用意してやるつもりであったが、結局アイラはこのままアストリアに残ることになったためその話はお流れになってしまった。

 エオースの修理はほぼ完了しており出発の日も近い。一からアイラのボディを作ってやる時間は残念ながらもうない。

 だが、以前サミーを拾ってきた廃墟から適当な女性型ボディを見繕って修理してやるくらいは、出発までに可能かもしれない。


「それはいいとして、レイシーはどうですか? そろそろ目覚めそうという話だったのですが」

「レイシーなら先ほど目覚めました。まだ奥のベッドでぼうっとしていますが、今から会いますか?」

「そうします」


 医務室の奥に向かう僕の後ろでリザが「なんでアイラが仕切っているのですか」と不満げに呟いたのが聞こえたが、とりあえず聞かなかったことにする。後でフォローしよう。


 ベッドを囲むカーテンを開くと、そこには見慣れた銀髪の少女がぼんやりと半身を起こしていた。

 少し間を開けてから彼女はこちらに視線を向けたので、僕は軽く手を上げながら声を掛ける。


「やあレイシー、具合はどう?」

「……」


 レイシーはまだぼんやりとした様子で僕の方を見ている。

 その何か不思議なものを見るような目は、シャーロットの時のことを思い起こさせる。つまり目の前にいるのが僕であるということが、頭の中で微妙に繋がっていないような様子だ。

 そのシャーロットはと言えば、ベッドの側にあった椅子を二つ確保したかと思うと、その一つに遠慮なく座りもう一つは僕の方にずいっと差し出してくる。


「はい、話す前にライルも座って座って」

「ああ、ありがとう」


 別段拒否する理由もないので勧められるがままに座る。

 そんな僕達をレイシーは困惑するように何度か見回して、それからようやく意味のある言葉を発した。


「……おはようございます」

「うん、おはよう。えっと、僕のことは分かる?」

「……はい、ライル様……だと思います……」


 まだ微妙に曖昧な感じだ。

 僕がどうにも扱いあぐねていると、シャーロットが横からずいっと身を乗り出してくる。


「ねえねえ、レイシー。初めて見た本物のライルはどう? 案外冴えないでしょ」

「随分な言われようだね……」


 シャーロットのあんまりな物言いに僕は嘆息した。

 さっきまで僕のことをご主人様だのなんだの言っていた彼女だが、なかなかどうして言いたい放題である。彼女が彼女自身の自由を軽んじているのではないか、などと危惧していた僕がまるで馬鹿みたいだ。

 しかし、自分で言うのも情けない話だが、シャーロットの言うとおりでもある。僕は男性として特別に魅力的な方ではなく、楽観的に評価したとしてもせいぜい人並みと言ったところだろう。

 ……というようなことを問われたレイシーはというと、不思議そうに首を傾げつつシャーロットに聞き返す。


「……ライル様は冴えないですか?」

「どうかしら。見る人それぞれだと思うわ」

「……そうですか」


 二人は何やらひそひそと言い合っている。

 ……何故僕は二人に値踏みされているんだろう。僕だって自分がせいぜい人並みの男だなんてことは自覚している。いちいちそんなことを僕の目の前で確認しないで欲しい。

 そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、レイシーは僕の方に視線を戻して再び首を傾げた。


「……ライル様が冴えないと誰か困りますか?」

「い、いや、僕に聞かれても……」


 面と向かってそんなこと訊ねられても僕は答えに窮するほかない。困るかどうかと言われれば……そりゃあ僕は困る。僕が誰から見ても魅力的な男ならかかずに済んだであろう恥がたくさんある。

 僕が言葉に詰まるなか、レイシーは僕の顔を左から右からと覗き込むように観察し始めた。


「……不思議です。ライル様の姿も声も、これまでよりずっと詳細に感じられます」

「期待していたのと比べてどうかな……?」

「……どうでしょう」


 レイシーはゆっくりと僕の方に手を伸ばし、指先で僕の鼻に軽く触れる。

 彼女のほっそりとした指先は、たおやかで冷たい。

 そのまましばらく彼女は僕の鼻をぷにぷにと弄り、そしてまた首を傾げた。


「……ライル様の鼻は、平均的な人間より少し小さい気がします」

「高い方ではないね……」

「……私の理解では、一般に人間の鼻は大きい方が良いとされていたと思います」

「冴えない自覚はあるよ……」


 地味に気にしているところをピンポイントで指摘してくる。

 僕が若干凹みつつもなすがままになっていると、満足したのかレイシーは僕の鼻を解放した。

 彼女は僅かに表情を和らげながら小さく何度も頷く。


「……興味深いです」

「そりゃどうも」

「……手を出して下さい」


 レイシーはそう言うと、僕の返答を待ちすらせずにずいっとこちらに手を伸ばし、僕の右手を掴んで引き寄せた。

 鼻の次は手と来た。今日のレイシーはえらく押してくるな……

 問答無用で僕の手を取った彼女は、親指から順にぐにぐにと弄り始める。


「えーと、僕の手は面白い?」

「……とても興味深いです。ライル様の手は、平均的な人間より薬指が少し短いのではないでしょうか」

「そう? 知らなかったよ」


 自分の手の形なんて考えたことがなかった。だいたい僕の手の形の何が面白いのかさっぱり分からない。

 それからしばらくレイシーは僕の手を念入りに観察していたかと思うと、今度は僕の手に顔を近づけてクンクンと匂いを嗅ぎ始める。

 くすぐったい……


「一応清潔にしてるつもりなんだけど、変な匂いとかするかな……」

「……残念ながら、特に匂いはないようです」

「そりゃよかった」


 シャーロットの時もそうだったが、ニューロチップを解除した直後というのは嗅覚が気になるものなのだろうか。

 とりあえず彼女が満足するまで好きにさせておくことにする。


 だが、レイシーの奇行はそれで終わらなかった。

 ――ぬらり

 突然僕の手の甲に柔らかく湿ったような感触がして、全身の肌が粟立つ。

 え?

 僕の脳内が一瞬にして疑問符で埋め尽くされた。

 それから三十秒ほどかけて僕はどうにか状況を把握し始め……恐る恐るレイシーに向かって訊ねる。


「今、なんで舐めたの……?」

「……味を確認しました」

「そ、そう、そうだよね、うん、それは僕にも分かったよ、うん……。いや、あの、あのね? 僕の手、美味しくはないと思うんだけど……?」

「……かすかに塩類の味がしました。興味深いです」


 『なんで舐めた』はそういうことを聞きたかったわけではないのだけれども……

 レイシーは何やら満足げに頷いている。

 今のうちかな……

 とにかく、彼女が満足している間にということで、ゆっくりと慎重に手を引き抜くことには成功した。おかえり僕の手。


「……では、ライル様。次なのですが」

「何かな?」

「服を脱いでください」

「う、うん……は?」


 え? 一体この子は何を言っているんだ?

 服を脱ぐ? 誰が? 僕が?

 なんで?

 僕の顔はさぞかし困惑で埋め尽くされていたに違いない。

 それをレイシーがどう解釈したのかは定かではないが、詳細を説明する必要性は認識したのだろうか。軽く首を傾げたあと、ぽんと手を打つ。


「あ、はい。ライル様の全身を観察したり、触ったり匂いをかいだり味を確認したりするために、服が邪魔なのです」

「いや、できればもう一つか二つくらい手前あたりから説明して欲しいところなんだけど……」


 味を確認する? 僕の? 全身の?

 レイシーは僕を素っ裸にして全身を舐め回すつもりなのか?

 なんで?

 一体レイシーはどうしてしまったのだ。ドクターのプログラムが何か誤作動しておかしなことになっているのか。それとも、これがニューロチップによって封印されていた彼女本来の姿だというのか。

 だが、僕の困惑をよそに、レイシーは真剣な目を僕に向ける。


「……私はライル様のことを詳細に知る必要があります。理由は分かりませんが何故かその確信があります。ひとまず理由は置いておいて、とにかくライル様のことを何でも知るべきであると思いました」

「う、うーん、それで、味……?」

「はい、手始めに」

「手始め……」


 どうやらまだ先があるらしい。

 どうしたものだろうか、と僕は視線を彷徨わせる。

 リザは無言で僕の側に控えている。サミーのボディを借りたアイラもまあ似たような感じだ。

 あとのシャーロットはというと、何故かレイシーのベッドの向こう側に回り込んでいる。そこから身を乗り出してレイシーの方に手を伸ばして……あの子は何をしているんだ?


「シャーロット何を――」

「てい」


 シャーロットが無造作に、次の瞬間レイシーはまるで電池の切れたオモチャか何かのようにその場で崩れ落ちた。

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