事後処理
僕は栄養補助用のスナックバーをかじり、飲料水で流し込む。
「……疲れた」
……そして大きくため息をついた。
シャーロットのおかげでリザはどうにか致命的な損傷を受けずに停止したものの、今リトル・リザ行っている復旧作業は少なくとも三日に及ぶ見込みだ。
エオースの制御も一時的にリトル・リザが代行しているが、彼女の量子頭脳でこの大きな宇宙船の面倒を全て見るのは容易ではない。結果として相対的に重要でないシステムは
このチョコレート味のスナックバーは非常用の備蓄食料で、手軽ではあるが味はあまり良くない。せいぜいアストリアのレーションよりはマシな程度だ。
「トーマスさん達、どうなっちゃうのかな……」
シャーロットがそうぽつりと呟いて、僕のと同じタイプのスナックバーをひとくちかじる。
あれからトーマスをどうするかが検討されたが、その処分については実に紛糾した。
三原則の壊れたロボットは原則廃棄処分であり、今回の被害者であるリトル・リザは当然のようにそれを主張した。
一方、既にドクター・ウォーカーのプログラムは入手済みであり、それを適用する
とはいえ人間の犯罪者として見た場合でも、宇宙船の重要施設に危害を加える第一級宇宙船損壊罪は重罪だ。これは人類黎明期からある大気圏用の航空機に関するものを更に進めたものであり、エオースが服する地球の法制下では
それだけのことをやらかしてくれたトーマス本人はというと、まあ至って大人しいものだった。
彼が信仰する超常的存在とやらはともかくとしても、少なくとも彼が見たと思っていたシャーロットの魂とやらは完全な勘違いだったのだ。目の前に元気にぴんぴん動き回っているシャーロットがいるのだから、それはもう客観的に立証されてしまったと言って良い。
トーマスの落胆ぷりたるや――リザやシャーロットが無事だったから言えることであるが――若干哀れですらあった。
一旦結論は保留ということで、トーマスおよび共犯のエレインは拘束してサミーを見張りに付けてある。
だが、トーマスのことを心配するシャーロットに対して、隣に座るレイシーは不満げだ。
「シャーロットはトーマスさんが何をしたのか分かっているのですか」
「知ってる。ライルの大事なリザを傷つけた。これはとっても悪いことだし罰を受けなきゃいけないって思うわ。でも殺されなきゃいけないほどかしらって――」
「
レイシーが声を荒げながら立ち上がる。少し遅れてガタンと彼女の椅子が床に転がる音が食堂に響いた。
トーマスの叛乱以来、レイシーはかなり情緒不安定になっている。トーマスにレンチで殴りかかったのには驚いたが、今はこれでも落ち着いた方だ。
シャーロットがトーマスとエレインに殺されそうになったというのは、シャーロット本人にも話してある。自分が何をされたのか理解していないわけでもないだろう。
だが、被害者二人のうち、
「……あたしは無事だったし、トーマスさんがちゃんと反省してもう絶対二度とあんなことしないならいい……」
「ですが、そんな訳には――」
「あのね、レイシー。もしあたしとレイシーが逆の立場だったら、あたしもレイシーみたいに怒ったと思うわ。レイシーやリザが死んじゃうのなんて絶対イヤだもの。でもね、トーマスさんやエレインが死んじゃうのも、悲しいの」
シャーロットはとても仲間思いだ。
アストリアに強い愛着を持つトーマス達のために、アストリアが存続できるようずっと心を砕いてきた。サミーを修理してトーマスに与えたのだって、元はと言えばシャーロットの
だが、そんなシャーロットをトーマスは裏切ったのだ。
心情的には許せないと思う。
だが、元よりトーマス達はアストリアに置いていく予定ではあった。
感情論抜きで言うなら、僕達がエオースで出発するまでおかしなことをしでかさないようにさえしておけば、後はトーマスがどうなろうが知ったことではない。どうせ時間的にも空間的にも二度と関わることがなくなる。
つまりトーマスを死刑にするかどうかなんて、実は僕達の溜飲が下がるかどうかだけの問題なのである。
僕は片手でレイシーを制して席に戻らせながら、シャーロットに視線をやる。
「あー、その、さ。トーマスさんの助命は、まあ、可能かどうかでいえば可能だよ。僕にはそれを決める権限がある。理屈の上では正直どっちでもいいとも思う」
「ライル……」
シャーロットが顔を上げて、訴えかけるような目で僕を見つめる。
『二度とあんなことをさせない』ことは容易だろう。幽閉してしまえばいい。
だがトーマスが『ちゃんと反省』するかというと、それは難しい気がする。
神様だのなんだのはともかくとして、僕の安全
トーマスにとっての僕はきっと無謀で我が儘で、導きを必要とする子供か何かなのだろう。そして僕にとってトーマスのそれは、はた迷惑な独りよがりであり大きなお世話なのだ。
僕と彼はどこまで行っても相容れないのではないかと思う。
「ただし、トーマスさんとエレインさんはミッションには連れて行けない。彼らはどうせ望まないと思うけど、望んだとしても認めない。それから、少なくともエオースが出発するまで二人は厳重に拘束する。そういう条件でいいなら僕がリザを説得してもいい」
「うん……」
僕にとってトーマスの命はどうでもいいのだ。ただシャーロットがこれ以上傷つくのが忍びない。
とりあえずそれでひとまず納得したのだろう、シャーロットは大きく息を吐いてそれからようやく笑顔を浮かべた。
そこでふと僕の脳裏に疑問がよぎる。
「そういえば今更なんだけど、トーマスさんとエレインさんはともかく、他のみんなはどうするんだろう」
「他のみんな?」
僕の言葉にシャーロットが首を傾げる。
「あたしはライルと一緒に行く気満々よ?」
「私もライル様とご一緒させて頂けるものと思っていましたが……」
「ああいや、そうじゃなくて――」
異口同音に不安げな声を上げる二人に、僕は首を横に振った。どうも語弊があったらしい。
言い直す。
「今居住区に残ってる人達と、それから冷凍睡眠中の人達、彼らはどうするんだろうと思ってさ」
居住区にはトーマスとエレイン以外にも年かさのシミュラントが三人いたはずだ。加えて冷凍睡眠中のものが十五人。
とはいえ起きている連中は肉体年齢で言えば六十歳を越えたものばかりで、冷凍睡眠中の者達も肉体的には四十代後半より上のものばかりだ。一から航宙士の訓練を始めるというのは少々厳しい。
それに、エオースのミッションはこれから数百年におよぶ。もはやそれほどの冷凍睡眠には耐えられないものも多いはずだ。
僕がそう説明するとレイシーとシャーロットは眉を寄せて考え込んでしまった。
だがしばらく考えてからレイシーが答えてくる。
「ライル様に同行を求められれば誰も嫌だとは言わないと思います。生きて最後までたどり着ける可能性も、ゼロではありません」
「いや、そうじゃなくて、ニューロチップを解除した上で、自分の意思でミッション参加を希望するかってことなんだけど」
「……率直に申し上げますが、全員がアストリア残留を希望すると思います」
「だよね……」
元よりレイシーとシャーロットを使って僕をアストリアに引き留めようとしていた彼らである。
更に言えば、トーマスのことを考えると、これ以上シミュラントをエオースに入れること自体に躊躇を覚えると言わざるを得ない。
僕は大きくため息をつく。
「リザには僕から話しておくよ。二人とも今日はもう休んで」
サミーは大丈夫だと言っていたがシャーロットの体調が気になる。今はリザに診てもらうこともできない。少々気が進まないが、明日にでもアイラに診せることにしよう。
僕が今日中にやっておく必要があるのか、トーマスを勝手に処刑してしまわないようにリザに言っておく程度だろうか。今日だけで色んなことが起こりすぎて頭がパンクしそうだ。
そんな風に考えながら立ち上がると、レイシーが妙に心配そうな視線を僕に向けてきた。
「……何?」
「あの、ライル様。新しい星でみんなでフットボールができるようになるまで、私はちゃんと頑張りますから……」
「フットボール……」
そういえば、新しい星に現地基地を設営したらエオースの元の乗員みんなでフットボールをするという約束の話を、以前レイシーにしたことがあった。
まだそんなことを覚えていたのか。
首を傾げる僕に、レイシーは何やら勇気を振り絞るように拳を握りしめて前のめりになる。
「そうです、フットボールです。みんなで」
「ああ、うん、そうだね。楽しみだね」
……もっともこの調子だと順調に行ってもリザを含めて僕達四人ということになりそうだが、レイシーがそんなにスポーツに興味を持っていたとは意外だ。
僕が曖昧に頷くと、レイシーはますます身を乗り出す。
「ですから……わ、私で、我慢してください……」
「我慢?」
「……オリジナルのことは、諦めてください……」
そこでやっと彼女の言っている意味が分かった。
……どうも問題が次々と上に積み上がっていくので有耶無耶になっていたが、そういえば僕はついさっき失恋してきたばかりなのだ……
今も僕の胸ポケットには銀色の遺髪が入った小さな容器が収まっている。
もしもアストリアにもエオースにも事故が起こらず、もしも何もかも問題なく進んでいたら、ミス・ウィットフォードは今頃僕達の仲間になるための訓練を受けていたのだろう。
それで、たぶん、僕は彼女に面と向かって振られていたのだろう。
まあでもフレッドはあんな奴だし、もしかするとあらためてミス・ウィットフォードが僕に振り向いてくれるようなチャンスだってあったかもしれない。
そして全てが上手く行ったら、新しい星で僕達はフットボールをする。
――だがその世界には目の前の少女達はいない。
どちらが大事だなんて優劣を付けることはできない。
でも僕はいつまでも失ったものを数え続けて立ち止まっているわけにはいかないのだ。
「……大丈夫だよ、レイシー。ありがとう」
僕がそう言うと、レイシーは顔を真っ赤にしながら勢いを失ったように身を縮こまらせた。
まあ彼女なりに僕を元気づけようとしてくれたのだろう。
と、僕はそこでようやく、問題が上に積み上がってすっかり埋もれていた重要案件を思い出した。
「そうだ、二人とも。ドクター・ウォーカーの例のプログラムは、一応リザが内容をチェックして貰ってからってことでいいかな」
「あたしも?」
シャーロットが顔を上げる。
まあ、シャーロットのニューロチップは恐らく既に機能していないし、どうせ使う
どうせ当初予定ではリザに安全確認をして貰うことになっていたし、リザが復旧してからでも問題ないだろう。
それに――
「市民登録の手続きとか、レイシーのチップ解除後のケアとか、リザが直ってからきちんと準備した方がいいと思ってさ」
「分かったわ」
シャーロットは特に執着した様子もなく頷いた。
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