研究室

 元々そのような場所から侵入したのだから当然とも言えるが、ドクター・ウォーカーの研究室までは間近と言って良かった。

 周囲や足下に危険がないか確認しつつでも、研究室の前までたどり着くのにほんの二十分そこらで足りる。

 研究室のドアには『四〇五医学研究室』と書かれた樹脂製らしきプレートが貼り付けられていた。百年以上の月日を経ているはずのプレートは特に汚れた様子もなく、投光器が投げかける光をぴかぴかと照らし返している。


「空気は、残っていない、よう、なのです」


 リザがドアを軽く調べるとそう言った。

 彼女がちらりと視線を寄越してくる。開けて構わないかという意味であろうが是非もあるまい。

 僕はローバーから降りながら彼女に首肯を返した。

 するとリザは再びドアに向き直り、もういい加減お馴染みになった強制開閉レバーを引き出す。そして、そのまま慣れた手つきでぐいっと九十度回した。


「……なんだかトントン拍子に来ちゃったな」

「心の準備が、したい、のですか?」


 僕の呟きをリザが耳ざとく拾って聞き返してくる。

 まあ、心の準備といっても、僕がやるのは研究室に隠されているはずの金庫から、例のプログラムの入った物理メディアを回収することだけだ。

 エオースの乗員全員分の生体情報は以前からアストリアとも共有されており、金庫のプロテクトはそれを利用したものとなっている。つまりエオースの乗員のうち任意の一人の生体情報があれば、金庫は開く。

 任意の一人の生体情報というのはつまり物理的に僕がいれば良いということだ。そのためにわざわざ危険を冒してここまで来たのである。

 研究室自体が物理的に破壊されていたらどうしようという懸念はあったが、幸いなことにその心配はしなくても良さそうだ。他にも懸念点がなくはないが、その辺はもう実際にぶつかってみてから考えるしかない。

 ……つまるところ、心の準備といってもあまりピンとこない。既に状況は行き当たりばったりだ。


「……いや、大丈夫だよ。時間が惜しい。さっさとプログラムを回収してしまおう」

「はい、なのです」


 リザは頷くと、再びドアに向かう。

 百年有余の時を経たドアは、意外なほど滑らかに開いた。船尾側に侵入してから感じていたことだが、電力的には完全に死んでいる一方で、船の歪みは船首側よりも船尾側の方がましなように思われる。破損が最も酷いのは船の中央付近で、その次が船首側で、一番ましなのが船尾側、といった感じだろうか。

 船首側のこの手のドアは大抵が悪くなっているものだったが、このドアにはそんな様子が見られない。

 これだけ状態が良いなら、案外船尾側もしっかり探索してみれば使えそうな機材が結構眠っているかもしれない。もっとも、お宝があったとしても運搬するにはまず破損の酷い中央ブロックの通路を確保する必要があるので、僕の滞在期間内にというのは正直難しいのだが。

 もしトーマス達がどうしてもアストリアに残るというのであれば、船尾側の探索も勧めてやると良いかもしれない。


「さて、と」

「ライル様……」

「うん、分かってる」


 僕が気付いていないとでも思ったのか、隣からレイシーが声を掛けてきたので片手で制する。

 もちろん気付いていた。

 どうやら研究室は一種の電波暗室として作用していたようだ。ドアを開くと、途端に部屋の中の電波がいくつか飛びだしてきた。

 それには例によって例のごとく、ビーコンが含まれている。


「……人間だ」


 そのビーコンは人間の端末からのものだった。研究室に逃げ損ねたものがいるのだ。

 もちろん、生きてはいまい。

 この研究室にいる人間、というと僕が思い当たる人物は極めて限られる。

 嫌な予感に気後れするものを感じつつ、僕は恐る恐るビーコンの端末情報を表示した。


「ドクター・アルバート・リッジウェイ……?」


 それは、少なくとも僕の危惧した人物、つまり、ミス・レイシー・ウィットフォードのものではなかった。

 いや、まあ、もし彼女のものであれば彼女の遺体を探しに行く手間が省けたわけだが……複雑な気分である。

 しかし、ここはドクター・ウォーカーの研究室だ。

 ……リッジウェイなる人物は何者であろうか?


「なるほど……」


 更に端末を操作してすぐ、彼のプロファイル情報を見つけて合点がいった。どうやらその人物はドクター・ウォーカーの助手であったようだ。

 はて……助手?

 どこかで耳にした単語である。


「そうだ、助手だ。だ」

「ライル様?」


 僕の呟きに尋常ならざるものを感じたのか、レイシーが気遣わしげに僕の方をのぞき込んできた。

 別にそんな顔をされるようなことではない。

 レイシーがあまり理解していないようなので、一応説明することにする。


「ドクター・ウォーカーからミス・ウィットフォードのことを任されたっていう助手の人だよ。このビーコンの主、リッジウェイ氏は」

「……はぁ、なるほど?」


 まだピンと来ていないようだ。補足する。


「彼の端末の記録を見れば、ミス・ウィットフォードの足取りが掴めるかもしれない」

「ではライル様、彼の遺体の捜索を先に?」

「え、だってそりゃ……」


 僕がわざわざここまで来たのは、ミス・ウィットフォードを探しに……

 ……いや、違う。

 何を考えているんだ、僕は。まずやるべきことは、ドクター・ウォーカーのプログラムの回収ではないか。

 我ながら視野狭窄にもほどがある。


「……いや、先にドクター・ウォーカーのプログラムを回収しよう。他のことはその後でいい」

「分かりました」


 僕の間抜けな言動にもさほど気にした様子もなく、レイシーはこくりと頷いた。

 そこでようやくドアを開けたままのポーズで、リザがじっとこちらを見ていることに気付く。

 リザは小さく僕に向かって首を傾げた。


「心の準備は、もういい、のです?」

「うん、ごめん、リザ。待たせたね。案内してくれる?」

「はいです」


 リザの先導に従い、僕は研究室に足を踏み入れる。

 ローバーの投光器に照らされた研究室は、見たところ非常に整然としていて事故による混乱などを窺わせる点は見当たらない。

 研究室といっても大昔の実験室のように試験管やシャーレが散乱していたりすることはない。そんなものを直接手で扱うような時代は何百年も前に過ぎてしまった。

 代わりに自動化された培養システムや検査システムなどが並べられている。

 それらのシステムは通電が途絶えてはいたが、外見上は特に損傷などはないように見える。

 こういった機材はかなり貴重で高価なものなので可能であれば失敬してしまいたいところであったが、ローバーと連絡艇の運搬能力を考えると難しそうである。少々残念だ。


「で、その金庫とやらはどこなんだろう?」

「壁に、埋め込まれている、みたい、なのです」

「それはまたえらく趣味的な……」


 ドクター・ウォーカーの金庫とやらは実に難物であった。そして趣味的であった。


 金庫自体が壁に埋め込まれる形で固定されており、しかも金庫自体が強固な耐タンパー・ストレージになっている。

 つまり、単に頑丈であるのみならず、無理矢理箱ごと持ち出そうとしたり、無理矢理こじ開けようとしたりすると、中身を物理的に破壊してしまう仕組みになっている。

 ドクター・ウォーカーの遺言には必ず人間が直接取りに来ることという第二原則に基づく命令が添えられていたが、実を言えばそれだけであれば、ロボットに取りに来させるということも可能ではあった。僕の身の危険を根拠に第一原則を優先させることができる。

 だが、それを防ぐためにわざわざ用意されたのが、この厄介なびっくり箱というわけだ。

 なんとこの金庫、全く電力の失われた状態でも機械的・化学的方法だけで『自爆』処理が実行できるというのだから、趣味的と言うほかない。

 そのためにわざわざ僕が直接生体認証を行うためにここまで足を運ぶ羽目になっている。


 僕がやや呆れ気味に研究室を見回している間、リザはいくつかの機材に大型ローバーの電源ケーブルを接続して回っている。

 金庫の自爆機能は電力なしでも動作するが、生体認証のセンサー類は検査システムのものを流用というか共用しているため、電力なしでは鍵を開けることができない。


「で、僕はどうしたらいいんだろ。そもそも船外服着たままでいいの?」

「スキャンは、大丈夫そう、なのです」


 生体認証は簡便ではあるが、一方でそれ単独で安全な認証手段とは言えない。生身の人間を使うという時点で拉致や脅迫といった手段に対して脆弱であるし、精度も高くなく欺瞞にも弱い。

 今回の場合は例の僕達しか読めない遺書にパスワードが添付されていたのでそれも使う。その二つが揃って初めて金庫が開くという寸法だ。


 僕は壁面に大きなディスプレイの前に真っ直ぐ立った。

 ディスプレイ上にはこれからセンサーを使って行われるチェック項目がずらりと並んでいる。


 このセンサーは非常に多機能な上に、コンピュータによる非常に細かいチェック処理も行われる。

 しかも、対象者が意識を失っていたり脅迫されている様子だったり、もしくは人形を使って欺瞞しようとしたりすると、即座にエラーとなって金庫がロックアウトされる機能まであるのだ。

 もし僕がここで冗談にでも『リザ! やめてくれ!』などと叫んだりした日には、もうこの金庫は二度と開けられなくなるだろう。


 やや緊張しながらもスキャンが終わるのを待つ。


 一般論として生体認証というのはある程度精度を諦めてお手軽さを重視したものが多いが、どうもこいつは念入りな作りのようだ。

 先ほどから右手を上げろだの、まばたきしろだの、以下の文章を読み上げろだの、やけに事細かく指示される。少々鬱陶しい。

 僕はその都度それに従う。


 そんなこんなで体感ではかなり長く感じたのだが、時計を見る限りではほんの五分ほどで、ようやく全ての項目が緑色に変わった。

 ようやくセンサー氏に僕を宇宙船エオースの航宙士であるライル・バクスター本人と認めて貰えたらしい。


「……これでいいのかな」

「オッケー、なのです。ちょっと、待っている、のです」


 リザが何やら壁の一部をごそごそとまさぐり始める。

 しばらくして、壁の一部がパカリと開いた。

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