助手氏
「これがねぇ……」
リザが壁の金庫から取り出した白い立方体を受け取り、僕は手元でくるくると回す。
船外服の手袋越しなのであまり詳細な手触りなどは分からないが、表面は少しざらざらしているようだ。
中にはデータチップが納められており、無線には一切対応しておらず側面の有線接続用端子でのみアクセスできる、らしい。
「で、これどうやって使うの?」
「中には、プログラムが、入っているだけ、なのです。こちらで、預かる、のです」
「ふうん……」
生返事をしつつ僕はリザに箱を返した。
僕が話を理解していない風だと解釈したのか――まあ実際そうなのだが――リザが更に説明してくれる。
曰く――
シミュラント達のニューロチップは外部に情報を取り出せない仕組みだが、逆に外部から特定周波数の電波によるコマンドを送り込むことはできる。
もちろん複雑な認証プログラムが仕込まれているので、単に電波を受信するだけでコマンドが実行されるようなものではない。
そしてこの箱の中のチップには、コマンドの認証方法と送信手順、それに必要な暗号鍵などが収められているらしい。
以上、実にシンプルな話だ。
箱そのものは単にデータを収めているだけで、この箱を直接使ってどうこうというわけではないようだ。
とりあえずデータがこの箱だけに存在しているという状態はそれはそれで不安なので、この場で僕の端末にデータを吸い出し、ついでにローバーにもそのコピーを保存しておく。
「それが、人間になる、方法……」
それまで少し離れたところで邪魔にならないよう静かに待機していたレイシーが、一段落したのを見て僕の側に寄ってきて小さく呟いた。
「ん? レイシー、気になる?」
「それは、まあ……」
……そりゃあ気にはなるのだろう。
作り物として生を受けたレイシーが、本物の人間になれるという魔法の箱なのだから。
だが、レイシーは少しの間お預けだ。
「一番はシャーロット、その次がトーマスさん。レイシーが希望するならその次だよ」
その二人については決定事項だ。予定を変えるつもりもない。
断言する僕に、だがレイシーは小さく首を傾げる。特に不満があったようではなく、ちょっと不思議そうに。
「あの、ずっと疑問だったのですが……。最初がシャーロットなのは分かります。二番目がトーマスさんなのは何故ですか?」
「あー、それは……」
シャーロットと同じ事情があるからだ……とレイシーには言えない。
恐らくトーマスもそのことを自覚していないし、どうやら他のシミュラントにも話していないし、アイラですら詳細を把握していないらしい。
僕も表だって本人に訊ねたことはない。リザやアイラの目があるところでそんな話をしたら、それこそシャーロットの時と同じトラブルを引き起こすことになる。
だが僕は、トーマスが人間の遺体を発見した時に彼のニューロチップが壊れてしまったのであろうと推測しており、そしてそのことにはかなりの蓋然性があると思っている。思ってはいてもその相談が誰にもできないのが困ったところだ。
どうにか一度、トーマスと二人で話せる機会を設けて確認しようかとも思ったのだが、それでトーマスが動揺してリザの前でボロを出してまたトラブルになるのは避けたい。ただでさえ扱いに慎重を要する問題なのだ。
そんな風に面倒くさがっているうちに、ぐだぐだとここまで来てしまった。
まあしかし、実際に解除処置を済ませてしまってから、実はかくかくしかじかで……と切り出すのが話が早いし、それでいいのではないだろうか。
「うーん、まあいずれ話すよ」
「はぁ……」
僕が言葉を濁したことに気付かなかったはずはなかろうが、レイシーは今ひとつ釈然としない顔をしつつそれ以上追及してくることはなかった。
ふう、と小さく息をつく。
幸い、問題を劇的に解決できる魔法のプログラムは手に入った。
実は内心、既に金庫が破壊されていたり生体認証に失敗したりといったことがあればどうしよう、と不安だった。
万が一こいつが手に入らなかったら、レイシーが人間になれないばかりか、いずれシャーロットを殺さなければならない羽目になるところだったのだ。
肩の荷が一つ下りた気分である。
さて、と僕は頭の中で状況を整理する。
ここに来た目的は二つ。
一つはドクター・ウォーカーのプログラムを入手することで、こいつは実に首尾良く片付いた。
もう一つは可能な限りミス・ウィットフォードの足跡を追うこと。
そしてそれは先ほど一つ手がかりらしきものを見つけたのだ。
「例の助手氏を探そう。リザ、ビーコンはどう?」
「この奥みたい、なのです」
僕の問いに、リザが研究室の奥を指さして答える。
ビーコンの反応を地図に重ね合わせて確認してみると、そちらには大型の培養装置や実験動物の飼育システムなどが置かれているようだ。
だが僕の目を引いたのは更にその奥にある設備、つまり、冷凍睡眠ルームだ。ミス・ウィットフォードが収められていたという例の冷凍睡眠システムのある部屋である。
そちらはどちらにしても調べてみるつもりだった場所だ。
ローバーから配電盤への給電量を増やし研究室据え付けの明かりを点してから、僕達は奥に進むことにする。
はたして、助手氏の遺体はすぐに見つかった。
冷凍睡眠ルームの前、閉じられたドアの手前に、彼は膝を抱えるような姿でうずくまって死んでいた。
そのカラカラに乾いたミイラは、特に苦しんだ様子もなく、むしろどことなくほっとしたように安らかな表情をしている。
「……どうしてこんなところで死んでいるんだ?」
研究室で死んでいるのは助手氏だけのようだ。
ミス・ウィットフォードをポッドから解放した後で、何か思うところがあってここに残ったのだろうか。
だがまあ、うだうだと考えても仕方ない。やることは決まっている。
まるっきり何とかの一つ覚えのようだが、彼の個人用端末から死亡前後のデータを失敬するのだ。
「リザ、端末のデータを」
「はいです」
大型ローバーは給電のために研究室に置いてきたので、小型ローバーを一つ呼び寄せて助手氏の手首の端末に接続する。
そして例によって例のごとく法執行機関用の暗号鍵で解読すべくデータの一覧を視線でなぞって……少々意外なものを発見した。
平文の、つまり暗号化されていないデータがある。
データのタイトルは『これを発見した人へ』
……遺書、なのだろうか。誰か特定の人に宛てたものではなく、自分の遺体の第一発見者に宛てたメッセージのようである。
つまり、僕宛て、ということでいいのだろうか?
興味を引かれた、というか助手氏もこれを真っ先に見てもらいたい雰囲気であるため、まずこのメッセージを再生してみることにする。
映像と音声が流れ始める――
『やあ、どなたか知らないが、初めましてでいいのだろうか。私はアルバート・リッジウェイ。この研究室のメンバーの一人だ。君がこれを読んでいるということは、きっと私はもう死んでしまっているのだろうね。というか君の目の前に私の死体が転がっていたりするのだろうか。あまり惨めな姿でないといいなぁ』
死の前に録画されたらしき助手氏は、二十代半ばほどの気さくな印象を受ける青年だった。
遺言というにはなんだか口調が軽い。根がそういう人物なのかもしれない。
助手氏は僕というか第一発見者に対するメッセージを続ける。
『さて、実は私はいまこの船がどういう状態にあるのかよく分かっていないんだ。どうも通信が寸断されてしまっているし、先生はアイラに会いに行ってから戻ってこなくてね。なんだか電力もそろそろダメっぽいし参った参った』
その先生――つまりドクター・ウォーカーのことであろう――はアイラのところまで辿り着くこともできずに死んでいる。
助手氏はさほど悲壮感のない口調であったが、ドクター・ウォーカーがどうなったかについては薄々察してはいるのだろう。
そして自分の運命についても。
『これを誰かが見ているということは、救助が来たと考えていいんだろうか? いやあ、でも残念ながら少し遅かったみたいだ。出来れば私が無事なうちに助けに来て欲しかったね。贅沢は言うまいとは思うけどさ』
……彼の言葉はどうにもとりとめがない。一体僕に何を伝えたいのだろうか?
首を傾げる僕をよそに、助手氏のメッセージは続く。
『でも一応助けに来てくれてありがとう。残念ながら私は助からなかったようだけど、がっかりしないでくれ。君は実に良いところに来てくれたんだ。もののついでということで、ちょっと頼まれごとをしてくれないかな。いや本当は私が先生に頼まれたことなんだけどね』
ん……?
聞き捨てならない話が聞こえたような気がする。
助手氏が、『
――そして続く言葉に、僕は目を剥いた。
『実はこの奥の冷凍睡眠ポッドに女の子が眠ってるんだ。助けてあげてくれないかな?』
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