邂逅

 ――なんだって?

 ざわざわとした予感、いや予感ではない、その話の続きに対するある種の確信が僕の脳裏によぎる。

 そして、僕が落ち着いていようが取り乱していようが、あっけないほどに粛々と助手氏はその衝撃的な続きを告げた。


『彼女は私達の研究の協力者で、名前はレイシー・ウィットフォード。先生からは彼女を解凍して外に出すよう言われてたんだけど、どうにも蘇生プロセスが完了するまで電力が持つとは思えなくてね。独断でここの予備電源を全部彼女のポッドに回させてもらって――』


 もはや助手氏の言葉は僕の耳には半分くらいしか届いていない。

 事故の後、結局ミス・ウィットフォードは冷凍睡眠ポッドからのだ。

 つまり、彼女は、目の前のドアの先で、今も眠っている!

 僕は沸き立つ興奮を抑えきれないまま冷凍睡眠ルームに続くドアに触れ、そしてそばに立つリザに言った。


「リザ、ここを開けて」

「安全を、確認してから、なのです」


 興奮する僕をよそに、リザはそう言うとドアを調べ始める。とにかく気の急いている僕とは対照的に、彼女は落ち着いたものだ。

 と、そこでリザは唐突に、ふと気付いたという様子で手を止めて、こちらに振り向いた。

 そして口を開く。


「レイシー」


 用があるのは僕ではなくレイシーだったらしい。リザにしては珍しい。


「心拍数が、上がっている、のです。どうかした、のですか」


 その指摘で僕も今更気付いた。

 レイシーの船外服から送られるモニタリング情報は、僕のヘルメットのディスプレイにも常に表示されている。

 そこに表示されている心拍数と発汗が大幅に上昇している。

 少し驚きつつ僕もレイシーの方を振り向くと、彼女は大きく目を見開いたまま僕の方をじっと見つめていた。


「レイシー?」

「あ……はい……大丈夫です……」


 僕が名を呼ぶと、少々上の空といった風でそう答えてくるが、あまり大丈夫そうに見えない。

 とはいえ、それ以上は大きく取り乱したりする様子もなく、ものの一分ほどで彼女の心拍数も落ち着きを取り戻した。

 ……まあいいか。本人が大丈夫だと言っているのだし大丈夫なのだろう。

 今はそれどころではない。

 レイシーについては一旦横に置き、僕は再び冷凍睡眠ルームのドアに向き直る。


 リザの手でドアがこじ開けられるまで、それからさほど掛からなかった。

 開かれるドアに、僕はごくりと息を飲み込む。


「ライルさん、一つ、注意がある、のですが」

「……なに、リザ?」


 そこで、居ても立ってもおられずドアをくぐろうとする僕を、リザが手で制してきた。

 僕がやや苛立ち紛れに聞き返すと、リザはその作り物の瞳でじっと僕を見つめてくる。

 ややあって、彼女が言葉を続ける。


「期待しているところ、申し訳ないのですが、電源は、百年も持っていないと、思う、のです」

「……? リザ、一体何を……」

「オリジナルの、レイシー・ウィットフォードが、生存していることを、期待しないで、ください、なのです」

「それは……」


 ――一瞬頭に血が上りそうになった僕は、その直後に水を浴びせられたように頭が冷えた。


 冷凍睡眠システムは非常にデリケートな代物だ。

 温度変化にも非常に弱く、常に精密な温度管理を行うための電力供給を必要とする。温度が上がって『溶けて』しまっても、温度が下がって『凍りすぎて』しまっても、人体は容易に破壊されてしまう。

 果たして助手氏が回したという予備電源とやらはどの程度持ったのだろうか?

 現代の核融合炉は極めて優秀だが、流石に研究室単位の予備電源として使われるほどお手軽なものではない。ビーコンなどにも使われる化学電池は寿命と出力の両立に限度がある。長寿命の同位体電池なら可能性もなくはないが、そんな大げさなものを予備電源として置いているとは思えない。

 ……つまり、可能性として全く見込みがないわけではないが、期待できるほどでもないことは、理解できる。


「……リザ、状況を早急に確認して」

「はいです」


 僕の命を受けたリザがトコトコと部屋に入っていく。

 気が重い。

 いや、ここに来るまでに想定していた状況よりはマシになっているのだ。どこに居るかも分からないミス・ウィットフォードを探して、安全性の疑わしい船内をうろつく必要はなくなったのだから。

 どのような結末になるのであれ、今やそれは僕の目の前にある。

 そして僕は――先ほどは嬉々として踏み込む気満々だったくせに――足がやたら重くなるのを感じつつ一歩踏み出した。


 冷凍睡眠ルームは研究室側とは電力系が分離されているようで、大型ローバーからの給電で照明が機能している研究室と違い、完全に真っ暗になっている。

 光源は小型ローバーの投光器だけだ。

 そして、部屋の真ん中には、まるで地球の古代の遺跡に安置された棺かなにかのように、見慣れた冷凍睡眠ポッドが置かれていた。

 この二百年ほど僕が求めてやまなかったものの一つが、そこにあった。


「……これが」


 やや臆しつつ足を止め、僕はリザが冷凍睡眠ポッドを調べるのを少し離れて眺めることにする。


 少し遅れてレイシーがやってきて、僕の隣に立った。

 彼女はかなり緊張した様子で、言葉もなくポッドを見つめている。彼女が何を思っているのかはよく分からない。

 まあ、彼女を連れてきたのも特に何かさせようというわけではなく、別視点から気付いたことを指摘して貰えれば万々歳程度だ。何も言ってこないなら気にしないでおこう。


 しばらくすると背後からノシノシと大型ローバーが冷凍睡眠ルームに入ってきた。研究室側の給電を切ってこちらに移動してきたようだ。

 僕が道を空けるとローバーは壁の配電盤に自らの電源ケーブルを繋いでいる。

 それから一分ほどで、大型ローバーからの給電によって、冷凍睡眠ルームの照明が回復し辺りが明るく照らされた。

 同時に冷凍睡眠ポッドのコンソールも再起動し、リザがそれを調べ始める。


「リザ、どうかな……」

「うーん……電力は、最初の八年で、途絶したよう、なのです」

「……ああ」


 ……そうなのか。

 ポッドに残されていた記録データが、リザを介して僕の方にも送られてくる。

 温度変化のグラフは予備電源に切り替わってから八年ほど平坦に推移していたが、ある時点で急激に上昇し、そこで記録が途絶えていた。


 現代の冷凍睡眠システムは、単に冷やせば眠って温めれば起きてくるといったような代物ではない。

 冷凍睡眠を開始するには、麻酔で眠らされてからおよそ七二時間掛けて、安全に仮死状態に移行するための様々な薬物投与や処置を施される。エオースの事故時は手順を大幅に短縮した緊急処置であったが、それでも二四時間掛かっている。ポッドに入れられるまでにそれだけの手間を掛ける必要がある。

 そして、冷凍睡眠から起きる、つまり解凍して仮死状態から蘇生するプロセスはもっと大変だ。

 まず、体組織を破壊しないよう厳密な温度管理のもとで定められた手順を正確に行う必要がある。全てが順調に進んでも、心臓を動かせるまで概ね三日、意識を取り戻すまでには大体一週間程度掛かるのが普通だ。もちろん人間が手作業で行えるような精度ではないため、解凍処理はプロセスの全てが完全に自動化されている。


 目の前のポッドで起こった予定外の温度変化は、八年目の時点でミス・ウィットフォードにとって極めて重大な事象が発生したことを物語っていた。


「……蘇生できる可能性は、ある?」

「ライルさん」


 未練がましく食い下がる僕に、リザはちらりと視線を寄越してくる。

 ……僕だって理解できていないわけではないのだ。

 ただ、ほんのちょっとだけ、納得が欲しいだけなのだ。


「見れば、納得する、ですか?」


 どうにもこのままでは僕が聞き分けそうにない気配を察したのだろう。

 リザはわざとらしくため息をついてみせると、ポッドのコンソールを操作し始める。

 見れば納得する、ということは、つまり、一目見て分かる状態であると、そういうことなのか。

 そう言われると若干尻込みするものを感じずにはいられない。一体、ミス・ウィットフォードは今どんな状態にあるというのだ?

 ……が、その覚悟は、ここに来る前にしてきたはずのことだ。

 僕は自分自身に発破を掛けるように顔を上げる。


「分かった。見よう」

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