そして……
僕はうなだれながら、連絡艇の座席のぐったりと座り込んだ。
手の中にある小さな樹脂製の透明容器の中で、銀色の繊維がキラキラと船内の照明を反射して輝いている。
「ライル様……?」
端末の詰め込まれたコンテナをキャビンの隅に置き、僕の隣の席に座ったレイシーが、不安げに僕の顔をのぞき込んでくる。
ぱらり、と彼女の肩からその銀色の髪が流れ落ちた。
僕の手の容器に収められているのと、同じものが。
ざわり、と僕の首元が泡立つのを感じる。
「……失礼しました」
僕の表情から何かを感じ取ったのだろう、レイシーが悲しげに目を伏せて僕から離れる。
彼女の動きだけで、僕自身がどんな表情をしているのかは窺えた。
ミス・ウィットフォードの『保存状態』は、悪くなかった。まあ、つまり、他と比べれば、ということだが。
ポッドの中はほぼ完全な無菌状態で、温度変化も外と比べれば小さく、比較的長期に渡って湿潤状態が保たれていた。
結果として彼女の身体は、腐るでもなく、干からびるでもなく、かといって完全な冷凍状態が保たれることもなく、その体組織はゆっくりとワックス状に変成していったのだ。
つまり、結果として、彼女の……遺体は、自然の奇跡とでも言うべきほどに、完璧な屍蠟と化していた。肌がどす黒く変色していたことと、やや水分が抜けてやつれて見えたことにさえ目を瞑れば、眠っているだけのようにすら見えた。
連絡艇に戻ってきた僕の手元には、彼女の遺髪が少量収められた小さな容器がある。
結局僕は、ミス・ウィットフォードの遺体の回収することは、諦めた。
今や巨大な棺と化したポッドから彼女の遺体を取りだそうとすれば、脆くなった彼女の柔組織はボロボロに崩れていただろう。
だから、死の恐怖も苦痛もなく最期を迎え、静かに眠る彼女を、僕達はただそっとしておくことにしたのだ。
「ああ、レイシー。僕は大丈夫だよ。そういうつもりじゃなかったんだ」
先ほどのはあれだ、先ほどのミス・ウィットフォードの姿を思い起こしている最中に、いきなり全く同じ顔が目の前に来られたので、ちょっと驚いただけだ。
レイシーの反応を見るに僕はよほど酷い顔をしていたのだろうが、彼女は悪くない。
外見上は本当に瓜二つの彼女なので、思うところが全くないと全宇宙に誓えるかと問われると困るとはいえ、あくまでそれは僕の側の問題だ。
実のところ、僕はほとんど取り乱すこともなく、落ち着いて現実を直視できていた……と思う。
なんだか、すとんと収まるところに収まったというか、もやもやしていたものが少しだけ晴れたというか、僕にとってのミス・ウィットフォードにまつわる物事が一段落したというか。
だからまあ、本当にちょっと驚いただけなのだ。
不安げに僕を見つめるレイシーにぎこちなく笑みを返しつつ、僕は腕を組む。
物思いにふけるのは後で一人の時間にやることにしよう。
一応連絡艇までは戻ったとはいえ、エオースのところに戻るまでが今回のミッションだ。
「本当に大丈夫だから。それにしても、リザが戻ってくるまで少し時間掛かりそうだね」
「そうですね……」
ミス・ウィットフォードの回収を断念したことで、連絡艇のペイロードに予定外の余裕が出来てしまった。
そこで、せっかくなので研究室から何か一つ適当な機材をちょろまかして帰ろうということになり、今リザはローバー達に検査機材を運び出させるため研究室に残っている。
僕とレイシーは、回収した端末をコンテナに詰め込んで、一足先に連絡艇に戻ってきたというわけだ。
助手氏から回収した端末もあのコンテナに入っているが、復号可能なデータは全て復号して僕の端末に転送済みだ。
その中には、ドクター・ウォーカーと同じように、僕達エオース乗員に向けた遺書も含まれていた。
「レイシー。助手氏の、えーとドクター・リッジウェイの、エオース乗員に向けた遺書があるんだけど」
「あ、はい。ご覧になるなら私は席を外しますか?」
「いや、レイシーも一緒に見ていいよ。まあつまり、その、仮だけど、エオースの乗員として。どうかな」
「では、見ます」
僕はちょっと探りを入れる感じで言ったのだが、レイシーにしては珍しいほどの即答だった。
どういう心境の変化かは分からないが、ここ最近のレイシーは僕に対して非常に協力的だ。
元々彼女は僕をアストリアに引き留めようという熱意もさほど強い方ではなかったし、僕に反対することはあまりしない少女ではあった。
だがそれだけではなく、ここ最近はエオースのミッションに参加しようと積極的に努力しようとしている。いつの間にか予備の冷凍睡眠ポッドを自分用に調整して確保していたり、あまつさえ勝手にリザに掛け合って現地ミッションの訓練まで始めているほどだ。
機会があったらその辺りのことを落ち着いて聞いてみたいところである。
「じゃあ、ちょっと待ってね」
個人用端末に搭載された空中投影型ディスプレイを使ってもいいが、一応この連絡艇にもブリーフィングに使えるよう壁面がディスプレイになっている。
はて、連絡艇のディスプレイにはどうやって接続するのだったか……
この連絡艇はエオース本船とは何かと仕様が異なり、緊急時の操船はともかく細かい装置の使い方までは僕も把握していない。
一度スタンバイに切り替える……のだっただろうか……?
「リザ、ディスプレイ出力を切り替えたいんだけど……」
こういう時はリザにお任せするに限る。僕は適当に天井に向かって呼びかけてみた。
が……
「あれ? リザ?」
――返事がない。
僕が呼びかけたのは、船首側にいるエオースのリザ本体だ。
今の連絡艇はエオースを直接見通せない微妙な位置にいるが、ここに来るまでに使い捨ての中継器を三個ほど宇宙空間に放出している。連絡艇から中継器、更にアストリアの船外アンテナを経由してアストリアの船内ネット、というルートで十分にエオース本体とも通信は可能なはずだ。実際、先ほど船内に侵入する直前まではリザ本体とも通信が繋がっていた。
その応答がない。
アストリアの通信網にまたトラブルが発生しているのか? 本当にこのアストリアというデカブツはそんなのばかりだ。
「リザ、リトル・リザ?」
仕方ない。
研究室で火事場泥棒に勤しんでいる最中のリトル・リザの方を呼ぶことにする。
こちらは作業中の映像が僕の方にもリアルタイムに送られてきているので、問題なく通信が通っているはずだ。
『はいです。ライルさん、どうかした、のですか?』
「エオースとの通信が繋がらない。君は何か把握してる?」
『うーん?』
リトル・リザが手を止めて数秒考え込む。
『……中継器からは、応答がある、のです。アストリアの、外部アンテナが、応答しない、のです。アイラとも、連絡が取れない、のです。アストリア側の、問題だと、思う、のです』
「緊急性は高そう? 余裕がありそうなら機材を回収してからでいいんだけど」
『もう、機材は、運び出せるので、少し待って、貰えます、ですか?』
「分かった。任せるよ。あと、端末の出力を船内ディスプレイに出したいんだけど」
『はいです』
返答と同時に、僕の端末が連絡艇の壁面ディスプレイと無線接続された。
通信のことは気になるが、アストリア側の問題であれば今ここでじたばたしても仕方あるまい。
一旦余事は頭の隅に追いやろう。
僕は自分の端末を操作し、助手氏の端末からコピーしたファイルの一覧からエオース乗員向けの遺書を選択する。
「じゃあ表示するよ」
「はい」
レイシーがこくりと頷くのを確認し、僕は映像データの再生を実行した。
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