齟齬

 壁面に映し出された助手氏は、何からこちら――つまりカメラ――の方に手を伸ばしてごそごそとやっている。

 しばらくして彼は首を傾げると、ようやく口を開いた。


『あれ? これもう映ってるのかな。お、映ってる映ってる』


 彼は満足げな笑顔でカメラの正面に座る。


『さて、どこから話したものかな。あ、そうか、自己紹介からだね。私はアルバート・リッジウェイ。一部の人には以前送った映像で挨拶したことがあるかな? 君達をアストリア側から医学面でバックアップしているチームの一人だ。よろしくね』


 僕には覚えがない……が、口ぶりからするとドクター・ウォーカーと一緒に紹介されたのだろうか。

 エオースとアストリアの交信実験は主に僕とミス・ウィットフォードの間で行われていたが、それ以外にも互いの船の近況報告などちょっとした交流は行われていた。

 もちろん、冷凍睡眠を利用するエオースと違い、アストリアは基本的に世代交代しながら航行する世代船であるため、彼らの送ってきた映像に返信しても受け取るのは何十年も先の彼らの子孫であり、かなりぎこちない代物ではあったのだが。


『それで本題に入るんだけど、レイシーはそこにいるかな? 席を外してるなら一旦再生を止めて呼んでくれる? ……いいかな?』


 どきりとした。

 彼の言うところのレイシーとは、僕の隣に座っているシミュラントのレイシーではない。ミス・ウィットフォードのことだろう。

 もちろん、彼女はここにはいない。彼女は、そう、今も冷凍睡眠ポッドで、ずっとずっと永い眠りについている。

 ――助手氏は一体何を伝えようとしているのだろうか。

 ミス・ウィットフォードと同席して見る必要があるものであるなら、この先はもう見ない方がいいのかもしれない。そんな風にも少しだけ思った。

 思いはしたが、結局好奇心の方が打ち勝った。


『よし。ではまずレイシー、おめでとう! そしてお疲れさま! エオースのみんなと君が一緒にこれを見ているということは、君は三百年近くに渡る孤独な実験をやり遂げたんだね。君の素晴らしい成果に多少なりと貢献できたことを、私も誇りに思うよ』


 助手氏は本当に心から祝福するように告げた。

 ああ、なんてことだ。

 助手氏は、ミス・ウィットフォードが生き延びて最後まで実験をやり遂げて僕らと合流すると信じて、わざわざ彼女のために祝いの言葉を残しておいたのだ。

 そして、自分が生き残るための電力すらミス・ウィットフォードの冷凍睡眠ポッドに託した彼の願いは……無念にも達せられなかった。

 彼にとってもミス・ウィットフォードにとっても、それはあまりにいたたまれない結末であった。

 やはりこの続きは見ない方がいいのかもしれない。一方で、彼の最期の思いを僕らは知るべきかもしれないとも思う。

 だが、僕の逡巡に関係なく、助手氏の言葉は続く。


『レイシー、これで当初予定されていた君の実験は終わりだ。君はこれで一人の女の子に戻ることになる。アストリアで学校に行くも良し。もしこの研究室で勉強しながら働きたいというのなら、私の後輩達はきっと心から歓迎してくれるだろう。でも……君の願いは、違ったね?』


 ……願い?

 ミス・ウィットフォードの願い?

 彼女には、実験が終わった後で、何かしたいことがあった?


『さて、と。そこでエオースの諸君にお願いがあるんだ。レイシーを君達と一緒に連れていってやって貰えないかな』


 そして、助手氏が少し寂しげに微笑みつつ述べた言葉は、僕が予想していなかったものだった。

 つまり、ミス・ウィットフォードが実験が済んだ後で希望していたというのは、エオースへの搭乗だったというのか。


『彼女は頭脳明晰だし健康状態も良好だ。新しいことを学べるだけの若さもある。君達の船で極めて重要な要素、つまり冷凍睡眠への適応性も高い。そして、レイシーなら君達と仲良くできると思う。どうかな』


 ――まあ、不可能な話ではない。

 エオースには元々の乗員が全員健在だったとしても、キャパシティに若干の余裕があるよう設計されている。

 ミス・ウィットフォードは単なる実験動物というわけではなく優秀な少女であり、実年齢はともかく心身共に年若く、勉強しながらミッションに参加することも十分可能だ。実際、僕の隣に座っているレイシーはそれなりの形になりつつある。

 また、冷凍睡眠は現代においてもまだ完璧な技術とは言えず、適応性には少なからぬ個人差がある。その意味でも、ミス・ウィットフォードは十分合格点であっただろう。

 そして、彼女と仲良く出来るという意味では……もちろん僕達は、少なくとも僕は、諸手を挙げて歓迎しただろう。


『うーん、それにね、ほら、レイシーって本当に信じられないくらい奥手だからね。大きなお世話かもしれないし、実は既に解決済みかもしれないけれど、もう心配で仕方ない。研究室の中でだけ話していたことを、君がいまだに打ち明けていないかもしれないと思うと、私は死ぬに死ねないんだ。というわけで無理矢理だけど、背中、押させて貰うよ』


 ――彼は一体何を言っているのだ?

 ミス・ウィットフォードがで…………?

 それが意味するところは、何だ?


 ある種の期待感が僕の心の中で膨らむ中、助手氏はたっぷり三十秒ほど勿体を付けて、そして――


 ――僕が全く予想していなかったことを告げた。


。実に業腹なのだけど、私達のレイシーをお願いするよ。彼女、君のことは集合映像でしか見る機会がないくせに、もう百年以上もお熱でね。レイシーを泣かせたりしたら天国から恨むからね?』

「……え? ……フレッド?」


 助手氏の言葉が一瞬全く理解できず、僕のひどく間の抜けた声が空しく響いた。

 ……誰?

 フレッド・クロスビー……?

 ……え?

 あー……

 ……フレッド……あの……僕らのサブグループのリーダーで……僕の親友で……同性愛者の……?

 ミス・ウィットフォードが……フレッドのことを……好きだった?

 いや……そんなまさか……聞き間違いか……?


「あー、いや、ええと……?」


 僕は困惑しながら、隣に座っている方のレイシーに視線をやる。

 聞き間違いであれば彼女が指摘してくるだろうと思ったのだが、彼女もぽかんと口を半開きにして壁面のディスプレイを見つめている。

 ……まあ、うん、そうか……なるほどね。

 どうやら、僕の聞き間違いではなかったらしい。


 それから助手氏はフレッド向けに何やら話を続けていた。

 研究室にいる間、いかにミス・ウィットフォードがフレッドのことばかり話していたか、とか。

 だが、それはもう僕の耳にはろくすっぽ届かず、しばらくして映像は終了した。


 連絡艇の中に、むごたらしいほどの沈黙が満ちる。

 二分くらいでその空気に耐えきれなくなり、僕は大きく息をついた。

 僕はどうやら、現実を受け入れる必要があるらしい。


「……えーと、参ったな。僕、振られちゃった……っていう言い方も変だけど……なんか、ほんと、参ったな……」

「ライル様……」


 レイシーが僕の方を見るが、僕は彼女を見るのが辛い。ミス・ウィットフォードと瓜二つのその姿を見るだけで、僕の心に何か尖ったものがグサグサと突き刺さる。

 かといってその視線から逃げる場所があるわけでもなかった。

 そんな僕の内心を理解しているのかどうかは分からないが、レイシーがひどく困惑した様子で訊ねてくる。


「フレッド様については、その……」

「僕の仲間で……友達だった。僕の代わりに死んだ……」

「はい、その、エオースとやりとりした映像は、全て私も目を通していますし、ライル様の同僚の方についても存じてはいますが……」

「……じゃあ知ってるでしょ。あの背がちょっと高くて、ジョークの上手い、かっこいい奴のことだよ」


 ああ、そうか。

 このレイシーも、そう、ミス・ウィットフォードとわけだから。


「レイシー、やっぱり君は大きな失敗をしていたみたいだ」


 実に皮肉な話だ。

 彼女は本当に度しがたい失敗をしていた。


「君がミス・ウィットフォードのフリなんてせずに、さっさと彼女が死んだって僕に教えておいてくれれば、僕はあの酸素マスクをフレッドに譲っていたよ」

「それは……」

「そうしていたら、今君の前にいるのも、僕じゃなくてフレッドだったのにね」

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