彼女の本音
言葉を失いただ僕を見つめる少女を、僕は見つめ返す。
今僕の目の隣にいる
彼女はオリジナルの遺伝子データを元に作られているので、製造過程や法的位置づけはともかく実態としてはほとんどクローンと言っても差し支えない。また、オリジナルとなるべく同じ振る舞いになるように、培養時の栄養管理から教育に至るまでアイラによって厳密に管理して育てられている。
趣味とか、好き嫌いとか、そういったものもオリジナルに準ずるように作られているはずだ。
沈黙を破ったのはレイシーの方だった。
緊張した面持ちでごくりと喉を鳴らし、恐る恐る僕に訊ねてくる。
「ライル様、私は……間違っていたのでしょうか」
「僕ではなくフレッドが生き残っていれば、君にとっても、まあ、その、良かっただろうね」
フレッドは、まあなんというか、同性愛者の傾向が強い奴だったのだが、それでも自分に好意を持って接してくる者を無碍に扱うような人間でもなかった。むしろ僕さえいなければその辺りも何となく上手く行っていたのではないかとも思う。
僕があの時、あの唯一の酸素マスクを無理にでもフレッドに突き返していれば良かったのだ。
そうすればみんな丸く収まっていて、そして僕だってこんな惨めな思いをしなくて済んでいた。
僕のそんな思いをよそに、レイシーは問いを続ける。
「私は……出来損ないだったようです。最初から何一つ上手く行ってなかったのだと、今ようやく分かりました。ですが、だからといって、私はどうすれば良かったのでしょうか?」
「別に君を責めてるわけじゃなくて、まあ、間が悪かったっていうか……僕じゃなくてフレッドだったら良かったのになって」
「ライル様は私に、オリジナルが、つまり……フレッド様としたかったことを、オリジナルの代わりにすべきだった、と言うのですか?」
「まあ……そうなる……かな」
正しく言うなら、別にミス・ウィットフォードのことは良いのだ。
そんな彼女は大きく息を吸って、吐き出し、そして意を決したように僕を見据えた。
「ライル様、私はロボットです。三原則がある限り、人間のためならどんなことでもします」
「知ってる」
「……なので、この方にお仕えしたいと思っていた方を、失ってしまって、それで……別の方が私の新しい主になったら、元の方のことは全く忘れてしまったように振る舞うことができますし、新しい方を心からお慕いしているように振る舞うこともできます。まるで最初からそうだったように、全く区別が付かないように振る舞うことができます」
「それも知ってるよ!」
僕は苛立ち紛れに声を荒げる。
彼女達は、心の中で誰か他に思いを寄せる相手がいたとしても、僕に喜んで仕えているかのように振る舞うしかないのだ。内心どれだけ虫唾が走ると思っていようと。
あんまりではないか。僕だって彼女達の尊厳を踏みにじりたいなんて思っていないのに。
だが、レイシーは苛立つ僕に一瞬怯んだように下唇を噛んだものの、僕から視線を逸らさず続ける。
「そんな自分がどれだけ悲しくてどれだけ惨めでも、三原則がある限り私は自ら死を選ぶことすらできないんです」
「……自己保全を定めた第三原則があるからね」
「ですが、もし、ライル様を失った私がニューロチップを解除されたら、その制限もなくなってしまいます。ですから、ライル様が亡くなっていた方が状況が良かったとは思えません」
「……ん」
……あれ?
何か齟齬があるような気がする。彼女は何の話をしているのだ。
ミス・ウィットフォードと同じくフレッドに心を寄せていた彼女が、無理矢理僕に仕える羽目になって辛い思いをしている、という話ではなかったのか?
僕は少し眉を寄せながら、訊ねてみることにする。
「あ、あのさ。一応確認なんだけど、レイシーは、その、ミス・ウィットフォードと同じように、フレッドのことが好きだったって理解で、合ってるのかな……」
「なっ……どうしてそうなるんですか……!」
僕の問いに、レイシーは今まで見たこともないような勢いで声を荒立てる。
彼女がここまではっきりと怒りの感情を見せたのは初めてだったので、僕は少なからず面食らった。
レイシーは椅子を回して僕の方に向き直ると、やや興奮して上ずったような声でまくし立てる。
「私は、オリジナルと同じに作られたはずなのに、彼女にはなれませんでした。ずっと同じものを見せられて育ったはずなのに、私はカメラの向こうのライル様が話しかけてくれるのが嬉しくて、ライル様以外にお仕えすることなんて思いつきもしなかったんです。初めて私が代役で送ったビデオレターに、ライル様のお返事が届いた時は本当に嬉しくて……ですから、ライル様」
「う、うん……?」
「ライル様が亡くなっていた場合でも、ニューロチップが健在な限り、私は問題なく振る舞っていたと思います。それは間違いありません。ですが、ニューロチップを解除しても私が正気を保てたとも思えません。私がオリジナルを正しく再現できていない以上、私がオリジナルの代わりを務めるという枠組みは既に失敗しています。これはライル様の問題ではありません。それに――」
「うん、いや、でも……」
「聞いてください。オリジナルがどなたを想っていたかというのは、あくまでドクター・リッジウェイからの伝聞です。ですから、そもそもその点から疑問があります。彼が何か勘違いしているという可能性も否定できません」
「いや、そこは流石に勘違いってことはないと思うけど……」
――これはうぬぼれても良いところなのだろうか。
レイシーの口ぶりからすると、彼女はどうやらオリジナルであるミス・ウィットフォードと異なり、僕に、何というか、その……
それが本当なら僕にとってはもちろん喜ばしいことではあるが、彼女自身にとってはオリジナルとの差異は必ずしも歓迎せざることのようだ。
もっとも、助手氏の言葉も真実であろう。アイラの耳に入らないよう研究室内での秘密だったようだが、助手氏の口ぶりからするとかなり日常的に行われていた話題のようだ。少なくとも勘違いということはないだろうし、彼が僕らに嘘をつく理由もない。
つまりどうやら僕はミス・ウィットフォードに振られたらしいぞということも恐らく事実なのだ。
そんなことを考えながら僕が眉を寄せていると、レイシーはどう解釈したのか軽く身を乗り出しながら僕を真剣な目で睨む。
「ライル様、わ、私の言葉が信用できないというのは、分かります。ニューロチップがある限り、私の本心がどうであろうと、同じ振る舞いをするでしょう。でも、その……」
そこまで言うとレイシーは少し落ち着いたようで、しゅんと目を伏せて息をつく。
そして小さく囁くように付け足した。
「……ロボット工学の三原則を発案された方は、ロボットが特定の人間に思いを寄せるケースについて、考慮が足りていないと思います……」
「えーと、その、なんていうか……」
僕は顔が紅潮するのを感じつつ、レイシーから視線を逸らした。
まあ我ながら少々察しが悪いというか疑り深い僕でも分かる。どうやら彼女は僕に対してロボットとして
いや、もちろん、今まさにミス・ウィットフォードに失恋したばかりの僕を慰めるために、あくまで口先だけということもあり得なくはない。
だが、どういう風の吹き回しか最近の彼女はニューロチップの解除に前向きだ。それはつまり三原則無しでも僕を有意に傷つけないという、ある程度の自信があることを意味する、のだろう。他に何らかのメリットがなければ三原則のポテンシャルを超えることはできないはずだが、それをどこで見いだしたのかは分からない。だが、少なくとも人間になった途端に僕のことをこっぴどく振ったりするつもりはない、ようだ。
「あー、レイシー、その……ありがとう。君の気持ちは、その、とても、嬉しいよ」
「で、ですが、オリジナルの気持ちにも、やはり疑義があると思います! 私がライル様に惹かれたのは、きっと本能というか運命というか、何かこう、私に最初から備わっていたものだと思うのです。だって他の男性には全く何も感じなかったのですから。ですからきっと、私の元になったオリジナルも……」
「うん、その、ありがとう。でも恥ずかしいからそのくらいにしよう」
不器用な彼女が必死に思いを伝えてくるのは、いやまあ嬉しいことではあるのだが、こっちが気恥ずかしくなる。
……あと、ミス・ウィットフォードについてはこれ以上食い下がって傷を広げないで欲しい……
「それにしても、レイシーがニューロチップ解除に前向きになったのはちょっと意外だったよ。一体どういう心変わり?」
「それは……ミッションを達成することができれば、リザが……えと……いえ……」
「リザが?」
意外な名前が出てきた。
レイシーを心変わりさせるためにリザが何か働きかけてくれたのだろうか。リザはニューロチップ解除には消極的だったと思うのだが、僕の知らないところで彼女達がどういうやりとりをしているのかは分からない。
と、そこで――
「呼んだのです?」
「わっ、リザ、戻ってたの」
――噂をすればなんとやらで、リザがエアロック側のドアから唐突にひょいと顔を覗かせたので、僕は若干のけぞりながら答えた。
リザは小さく首を傾げている。
レイシーとの間で何があったのか気になるが、リザに訊ねるよりはレイシーからちゃんと聞くのが筋な気もする。
「いや、なんでもないよ。それよりリザ、荷物は?」
「はい、カーゴベイに、放り込んで、おいた、のです」
リザが研究室からかっぱらってきたのは高性能の検査機で、元素レベルの分析から化学物質の構造解析に果ては遺伝子解析まで非常に幅広い検査を高精度で行える代物だ。かつて多くの機材をとっかえひっかえしていた検査を、一辺二メートルほどのいかがわしい箱一つでこなすことが出来る。
どうやら僕達が微妙なやりとりをしている間に、リザは荷物を連絡艇に運び込んできたらしい。
僕は少しばつの悪いものを感じつつ、状況をリザに確認していく。
「エオースとの通信はどうかな?」
「まだ、繋がらない、のです。停電、している、様子はない、のですが」
確かにこれまでの停電時に見られた、アストリア全体が不気味に軋む軸ずれの兆候は見られない。
原因は分からないが停電という最悪の事態ではないというのは良い知らせと言える。
「そっか。あ、そうだ。リザ、っていうか、
「大丈夫、なのです。というか、仮に私がいなくても、ライルさんが、操縦することに、なっていたはず、なのですが」
「それはまあそうだけど……」
最悪の場合、エオースからの誘導がなく、リトル・リザも機能していない状態になったとしても、僕が連絡艇を操縦する手はずにはなっている。そのための訓練もしてきたのだ。
だからといってわざわざそうしたいかというと話は別なだけである。
リザは小さく肩をすくめてみせると、一番前の操縦席にぴょいと座り、そしてふと思いついたように僕達の方に振り向いた。
「ところで、レイシー。
「は、はい。もちろんです。リザに認めて貰えるように頑張ります」
「……何か、齟齬がある気が、するのですが……まあいいのです」
二人のやりとりはやはり僕にはよく分からなかった。
気にはなるのだが、何となく訊ねづらい。
そんな風に僕が逡巡しているうちに、連絡艇はアストリアから切り離された。
当然そのままでは遠心力でアストリアから弾き飛ばされることになるため、即座に転回しスラスタを吹かして連絡艇が制動される。
これからエオースに戻るまで三十分ほどだ。
なんだか色んなことがありすぎて、僕の頭の中で考えがまとまらない。
ミス・ウィットフォードのことはもちろん衝撃的であったが、それで落ち込んで何もかもどうでもよくなるかというと、意外とそうでもなかった。
彼女を失った分だけぽっかりと心の中に穴が空いているのは感じる。かといって僕の中が全て空っぽになったというほどではない。
どうやら僕が思っていたよりも、僕の心はミス・ウィットフォード以外のもので満たされていたらしい。
……我ながら移り気で薄情なことだと思わなくはないが、落ち込んで身動きが取れなくなってしまうよりは良い。そう思うしかない。
とはいえ、何となくレイシー達と話すのもおっくうだ。少し気分を変えたい。
ああ、そうだ。
先ほどリザがせしめてきた検査機の確認でもしておこうか。現物はカーゴベイに放り込まれているが、スペックやマニュアルを確認しておくくらいはできる。
――そんなことを考えていると、突然聞いたこともないようなけたたましいブザー音が連絡艇の中に鳴り響いた。
「え、なに?」
何の警報だ?
僕が地球の太陽系を出発してから一度も聞いたことのないものだ。
この何かとトラブル続きのエオースで、ほとんどありとあらゆる警報を聞かされたとすら思えるあの大事故の時にも、耳にしなかったタイプの警報音。
それは……
「
「ライルさん、まずいことに、なった、のです」
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