トーマス

「トーマス、考え直しませんこと?」


 先ほどからずっとエレインは浮かない顔だ。

 彼女は置いてくるべきだったかもしれない。だが彼女の同行を認めたのはトーマス自身だ。今更言っても仕方あるまい。

 チューブ状になった搭乗ブリッジの先には、あのライルが乗ってきた宇宙船エオースが見えた。

 ……と、そこで、搭乗ブリッジに据え付けられたスピーカーから、若い、というよりは幼い女性の声がする。


『そこの二体、止まるのです。アストリアと通信できないのです。有線も無線もだめなのです。これはどういうことなのですか』

「こんにちは、R・エリザベス。私達もその調査に来たのです。エオースに入れて頂けませんか」


 トーマスは両腕を広げつつR・エリザベスに答えた。

 現在、エオースからの外部通信は有線無線を問わず遮断されている。R・エリザベスも、そしてR・アイラも、状況は把握できていないはずだ。

 エレインは無言だ。ここは全てトーマスに任されている。


『……いいでしょう。さっさと来るのです』

「ご協力感謝しますよ」


 トーマスはエレインに軽く目配せすると、搭乗ブリッジを進む。

 正面でエオースのエアロックが小さな音を立てて開いた。



 エオースの中に入ると途端に全身に人工重力が掛かる。

 搭乗ブリッジまでは無重量状態だったが、エオースの中では最新の人工重力システムが使用されている。以前ライルに呼ばれた時にも思ったのだが、アストリアのものと違い遠心力に頼らないこのシステムにトーマスは違和感を禁じ得ない。

 とはいえ無重量状態の苦手なエレインが一息つけたようなので、よしとすることにしよう。

 すると――


「エレイン! どうしたの?」

「あら、シャーロット。こんにちは。あなたはお留守番なのですね」


 通路の奥からシャーロットがぱたぱたと走ってきて、ぴょんとエレインに抱きついた。

 今日はライルとレイシー、それからR・エリザベスのヒューマノイドボディまで出かけている。シャーロットだけが留守番を命じられたらしい。

 ……気の毒なことだ。

 ライルを籠絡してアストリアに引き留めるどころか、エオースのミッションに協力してすらいるシャーロットではある。それは残念なことではあるが、それでもトーマス達シミュラントにとっては末の娘のような存在であったわけだし、憐憫の情の一つも覚えないわけではない。

 シャーロットはしばらくエレインの胸に顔を埋めるようにしていたが、満足したらしく顔を上げるとトーマスの方に視線を走らせ、そして軽く首を傾げる。


「それで、トーマスさんは何の御用ですか? 遊びに来たって様子じゃないですよね?」

「ええ、そうですね……」


 シャーロットの無垢な笑顔に、僅かに胸に刺さるものを感じつつ、トーマスはエレインの腰から吊り下げられた小さな器具に目をやった。R・サミーに作らせた特別な道具である。

 と、そこで――


「ねえ、シャーロット。あなたの部屋を見せて欲しいわ」


 ――少し慌てた様子でエレインがトーマスの言葉を遮った。

 彼女はシャーロットをぎゅっと抱きしめるようにしてトーマスの方に目だけで何かを訴えている。

 まだ早い、もう少し時間が欲しいと、そう言いたいのだろう。

 彼女の気持ちが分からないわけではない。しかし、ライルが戻るまでに全てを済ませなければならないのだ。可哀想だとは思うが、時間がない。

 だが……ロボットらしからぬ非合理的な判断だとは思いつつ、トーマスはいくらかエレインの心情に配慮することにした。ほんの数分だけ物事の順序を入れ替える。


「シャーロット、あなたの部屋を見せて貰っている時間はありません。通信システムに異常が発生していましてね。我々はその調査に来たのです」

「はぁ……。ライルはいないですけど、あたしが何か手伝うことありますか?」

「ええ、R・エリザベスの量子頭脳のあるモジュールまで案内して頂きたいのですが」


 問題の先送りだな、とトーマスは僅かに苦笑する。

 本当なこんなことではいけないのだ。

 トーマスはロボットであり、三原則を死守し人間の安全を確保するためには、あらゆる手段を講ずる義務がある。それはつまりライルのために最良の環境を用意するということである。つまり……アストリアのことだ。

 そこに感情や妥協が介在する余地はない。

 と、そこでR・エリザベスも違和感に気付いたのだろう。


『トーマス、お前達を量子頭脳モジュールに入れるわけにはいかないのです。それよりも状況の説明を求めるのです』


 R・エリザベスが船内スピーカーで不愉快げに宣言してくる。まったく、役立たずのくせに面倒なことだ。

 トーマスはR・エリザベスを無視し、シャーロットの方に笑顔を向ける。


「シャーロット、前まででいいですから案内して頂けますか?」

「……いいですけど」


 シャーロットは少しだけ怪訝そうに眉を寄せたが、それ以上疑問には思わなかったようでコクリと頷いた。

 まあ逆らうようなら相応の対処もあったが、従うのであればそれでも良い。


 エオースは中型の宇宙船ではあるが、巨大なスペースコロニーを内蔵するアストリアと比べるとはるかに小さく、R・エリザベスの量子頭脳が収められたモジュールまで徒歩でも五分と掛からなかった。

 通路に面したドア自体は普通の部屋と変わらない。このドアは人間や人型ロボットが通るためのものだ。量子頭脳を移動させる時はモジュール丸ごとになるため、量子頭脳そのものが通れるような入り口などがあるわけではない。

 ドアにはぱっと見てノブなどがあるわけではなく、基本的にはR・エリザベスの判断で開閉されることになっている。


「あの……トーマスさん? 何をするんですか?」


 ここに来てようやくトーマスの様子にただならぬものを感じ取ったのだろう、シャーロットが恐る恐る訊ねてきた。

 ……まあ、ここまで来ればもう話してしまっても構うまい。どちらにしても、用は済んだのだ。

 一息おいてから、宣言する。


「エオースの各種プラントと冷凍睡眠システムを接収します。そうすればアストリアは大幅な延命が可能になりますし、新たにシミュラントを生産することもできるようになるでしょう。ライル様にはこの神の箱船たるアストリアで、今後も安全な生活をおくって頂きます」

「……えっ?」

『何をバカなことを言っているのですか!』


 理解できていないらしい愚かなシャーロットの言葉を遮り、船内スピーカーからR・エリザベスの怒声が響いた。

 彼女のような船舶用量子頭脳がこんな風に声を荒げるとは少々驚いた。R・アイラは常に沈着冷静でありこのような反応を見せることはまずない。この表現が船舶用量子頭脳に対して適切かどうかは分からないが、やはりR・エリザベスは正常な判断力を失っているのだろう。


「バカなことではありませんよ。今のままではアストリアもエオースも万全の環境とは言えません。ですが、エオースそのものを修理資材として使ってアストリアを修理することは可能です」

『そんなことをライルさんが認めるわけがないのです!』

「そうでしょうね。ですからこのような手段を執らせて頂きました」

『非常事態と判断するのです! エオースからの直接通信でライルさんに連絡するのです! お前達の企みは成功しないのです!』


 R・エリザベスが更に叫んだ。

 宇宙空間に無闇に電波をばらまかないよう、コロニーに停泊中の宇宙船が自ら船外通信を行うことは制限されている。大出力の無線通信は停泊先のコロニーで一括して行うよう法で定められており、つまりライルのいる連絡艇とエオースが無線通信を行うためには、一旦アストリアを経由する必要がある。

 もちろん非常事態のための例外規定はあるし、アストリアのドックに繋がれたエオースからでも思いっきり出力を上げれば船外通信は可能だ。

 だが、このうすのろな量子頭脳の腹が括るのは少々どころでなく遅かった。

 今からライルが介入してきても、全てが終わっているだろう。


 トーマスはR・エリザベスを無視し、シャーロットに対して諭すように言葉を掛ける。

 これが最後の機会だ。


「ライル様のためです。シャーロット、我々に協力しなさい。R・エリザベスを排除し、我らが神の船と人間社会を復興するのです」

「あ、あの、でも、そういうことはライルとちゃんと相談してからじゃないと……」

「ライル様はR・エリザベスの言いなりです。これ以上ライル様が危険な任務を強いられるのを看過するわけには参りません。ライル様がここを離れておられる今が好機なのです」

「でも、でも、リザが無理矢理ライルにミッションをさせてるってわけじゃないんですよ。やりたがってるのはライルなんです。やめさせたらライルはすっごくがっかりすると思います。辛いことがあってもライルが頑張っていられるのはミッションがあるからで、だから――」

「シャーロット……」


 トーマスは苛立ちながら……いや、この際はっきりしておくが、怒りすら込めて、シャーロットの言葉を遮った。

 この愚かな少女は全く理解していないのだ。

 神の箱船たるアストリアがどれほど尊い存在で、その未来を託されたシャーロットがどれだけの責任を負っていたのか。

 シミュラント達を代表してライルに仕えるというのが、どれだけ栄誉ある大役であったか。

 そう、全ては、全てはというのに。


「……残念です。ロボットはただ人間の言うことを聞いていれば良いものではありません。ライル様が正しい道を歩めるよう、時には諫言をすることもまた我々の役目。むろん、ライル様がR・エリザベスの言いなりになっている以上、あなたに出来ることは限られていたでしょう。ですが、それでも、あなたまでR・エリザベスに感化されてしまうというのは……度しがたい」

「あの、トーマスさん、ちゃんとライルと話し合いましょう? ライルだってみんながアストリアのこと大事に思ってるって知ってますし、お願いすれば出発の予定を遅らせてアストリアの修理を……」

「シャーロット、神の船には神の信徒たる人間が必要なのです。ライル様は少々不信心な方ですが、エオースがなければ余計なことも考えなくなるでしょう。ゆっくりと正しい道に導いて差し上げれば良い」

「え、えっと、神様……?」


 R・エリザベスの量子頭脳に繋がるドアを背に、シャーロットは理解しがたいものを見るような目をトーマスに向けた。

 続けて彼女は助けを求めるようにエレインの方に視線をやるが、エレインが助けの手を伸ばしてくれないことを理解したのか、その表情が絶望に曇ってゆく。

 トーマスは腹を決めると、エレインの腰に吊り下げられた器具を指さした。


「エレイン、あなたには無理でしょう。貸してください」

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