叛乱
トーマスの指示にエレインは数秒考え込み、そして首を横に振った。
「……いえ、私がやりますわ」
元々エレインが自分でやると言っていたことではあるが、小心者の彼女にしてはかなり辛い決断だったであろう。
彼女は腰に吊り下げた器具をベルトから外すと、それを手に取りシャーロットに近づく。
『シャーロット! 逃げるのです!』
スピーカーからR・エリザベスが叫んだ。これも思いがけない反応だ。
彼女の立場であればシャーロットに逃走を促すのではなく、むしろ可能な限り抵抗させてライルが戻ってくるまでの時間を稼がせるべきであろうに。
まあ、どちらにしても無駄なのだが。
しかも当のシャーロットはといえば、奇妙な器具を片手に近づくエレインをただぽかんと見つめている。
そして少女は首を傾げて訊ねる。
「エレイン?」
「ごめんなさいね、シャーロット」
エレインがシャーロットを抱きしめるようにしながら器具をその首元に軽く当てた。
シャーロットは特に抵抗する様子もなかった。
エレインが器具のボタンを押すと、即座にがくりとシャーロットの全身から力が抜ける。
少女の目からは急速に輝きが失われていく。
ほんの五秒ほどで、彼女の開いた瞳孔はもはや何も映していなかった。
R・サミーに命じて作らせたこの道具は極めて効果的であったようだ。
シャーロットの脳幹の重要な部位は、強力なインパルス電流によって瞬時に破壊された。彼女を彼女たらしめていたものは、このほんの一瞬でこの世から永遠に失われたのだ。
「シャーロット、ごめんなさい……」
エレインが僅かに嗚咽を漏らしながら、物言わぬ呼吸するだけの肉塊となったシャーロットを抱きしめている。
トーマスはというと、特に感慨は覚えなかった。
シャーロットはアストリアを捨てようとした。正しい道に戻る最後の機会を与えてやったのに、それを選ぶこともしなかった。最早許されざる大罪であり、処分は必然以外の何物でもない。
ライルに宛がう娘はまた新しく作ればいいだろう。シミュラントの製造プラントは元々食料プラントを改造したもので、それはこれから手に入るので問題ない。だた新しいものはアストリアという神の船への忠誠を教育段階からきっちり教え込んでおく必要がある。
「ああ、R・サミーは優秀ですね。急遽作らせたので若干不安もありましたが、きちんと動作したようです」
『シャーロット! どうしたのですか! お前達、一体何をしたのです!』
「それにしても、うるさいですね……」
R・エリザベスが何度もシャーロットの名を呼んでいる。こんな風に
エレインはエレインでシャーロットの
体よくシャーロットを処分出来たのは良い。この後R・エリザベスも処分するとして、レイシーと、R・エリザベスの子機――リトル・リザと言ったか?――はライルの元に残ってしまうことになる。奴らを処分する機会はもうないだろう。逆上したライルからトーマス自身が廃棄処分を申し渡される可能性の方が高い。
まあそうなってしまったとしても、R・エリザベスさえ排除してしまえばエオースは使い物にならなくなる。あとはライルにゆっくりと頭を冷やさせれば良い。
トーマスは嘆息する。
少し、頭が痛い。比喩ではなく、ずきずきと酷い頭痛がする。
もちろん自らの行いはライルのためであり第一原則に完全に合致しており、ましてやアストリアに宿る宇宙の意思に基づくものであるから、何一つ後ろめたい点はない。R・エリザベスは地球の法なんぞに基づいて非難してくるが、全くの的外れである。
それはそうではあるのだが、多少のストレスは拭いきれないのだろう。
――時間がない。
トーマスはこめかみを指で押さえながらもう一度ため息をつき、視線を前に戻しエレインに告げる。
「エレイン、そんなものは放っておいて、こちらのドアを……」
――と、そこでトーマスは初めて気付いた。
シャーロットの全身から、かすかな光るもやのようなものが出ている。
そのどこか神々しさすらある何かは、彼女の身体からするりと抜け出ると、空気中に溶けるように霧散した。
今のは……?
ああ、今のは……!
「……おお、神よ……あなたの力は果てがなく、その寛大さは留まるところを知らない……」
一分一秒を争う時だというのに、トーマスは目頭が熱くなるのを感じながら思わず聖句を口にしていた。
なんということだろうか!
取るに足らない作り物の魂しか持たないシャーロットを、しかも神の船を捨てようとした裏切り者であるシャーロットを、神はその大いなる慈悲によってその御許へと招かれたのである。
愚かで哀れな少女の末路に僅かなりと心を痛めていたトーマスは、神の救いを低く見誤っていたことに心の中で懺悔した。気に病むことなど何一つなかったのだ。
このまま一時間でも二時間でも祈りたい気分のトーマスであったが、そうも行かないのが現実である。
ゆっくりと首を振って思考を切り替える。
「さて、エレイン、時間があまりないのですが……」
「……トーマスは何とも思いませんの? この子は私達みんなの子供で……みんなの希望なんですのよ」
「我々の希望……でしたね」
その希望は最早過去形である。
ライルに気に入られるためのあらゆる最適な条件を兼ね備えた少女を作り、それをシミュラント達を代表して送り出すという計画。その成果がシャーロットであった。
そして、その計画にあたって、R・アイラはシミュラント達にささやかな配慮を行った。
つまり、目的を達成するにあたって中立的な――ライルを籠絡するのにどれを選んでも構わないような――遺伝子について、レイシーを除くシミュラント達から遺伝子の提供を募ったのだ。
シャーロットが作り出されるにあたって、トーマスやエレインの遺伝子も僅かずつではあるが組み込まれていた。
子を作ることのできないシミュラント達にとって、シャーロットは自分達の代わりに人間に仕えるという大役を託した希望と言える存在であるばかりか、それこそ目に入れても痛くないほどの『愛娘』であったのだ。
……だが、それが良くなかったのだろう。シャーロットには
その結果がこれだ。本当に可哀想なことをした。
『トーマス。考え直すのです。ライルさんの希望を奪うことに何の意味があるのですか』
「本当にうるさいですね。どうせならあなたも神に祈ってみればどうですか。そうすればあなたような者の魂でも神がお救いくださるかもしれませんよ」
R・エリザベスが悪あがきで何やら言ってくるが、トーマスはそんなもので惑わされるつもりはない。
宇宙船では、特にエオースのような中型以下の宇宙船では、船内のセキュリティは非常に緩い。
一応全てのドアは管理システムであるR・エリザベスによってロック可能ではあるものの、事故などで一分一秒を争うような時にはそんな悠長なことも言っていられないため、全てのドアが手動でロック解除できるように作られている。
つまり究極的にはセキュリティは無いに等しい。
乗員が反乱を起こすリスクよりも、非常時に閉じ込められてしまうリスクの方が高いという判断である。
いざという時のことを考えれば、やむを得ない仕組みではあるのだろう。
だがそのせいで、エオースで最も重要なシステムであるR・エリザベスの量子頭脳も、ドアの非常用開閉レバー一つで簡単に接触できてしまうことになる。
『トーマス。ライルさんと通信が繋がったのです』
どうやらR・エリザベスは連絡艇にいるライルを使ってトーマスを翻意させるつもりらしい。無駄なことを。
『トーマスさん、こちらライルです。第二原則において命令します。今すぐエオースから下船して僕がそこに行くまで待機してください。それからシャーロットに何をしたんですか。今すぐ彼女に治療を受けさせてください』
「ライル様。これはライル様の安全のためでございますから、第一原則に基づいてその命令には従いかねます。シャーロットは、破壊致しました。脳の中枢を破壊いたしましたので修復は不可能でございます」
『な……』
ライルが一瞬絶句したあと、更に何かまくし立て始めるが今は聞いている余裕がない。
彼の不満は何もかも終わった後でいくらでも聞こうではないか。
「さて、R・エリザベス。そろそろ覚悟をして頂きましょうか」
トーマスは目の前のドアに近づくと、隅のカバーを開き格納されていた非常用開閉レバーを握った。
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