リモート
リトル・リザによるかなり荒っぽい操船でエオースに戻る途上、僕は半ば怒鳴るように通信機に言う。
「トーマスさん、こちらライルです。第二原則において命令します。今すぐエオースから下船して僕がそこに行くまで待機してください。それからシャーロットに何をしたんですか。今すぐ彼女に治療を受けさせてください」
『ライル様。これはライル様の安全のためでございますから、第一原則に基づいてその命令には従いかねます。シャーロットは、破壊致しました。脳の中枢を破壊いたしましたので修復は不可能でございます』
「な……」
いきなりとんでもないことをぬけぬけと宣言され、僕は絶句した。
一体トーマスは何を言っているんだ。
反乱を起こしてエオースに攻撃を開始した上に、シャーロットを……殺しただって?
「ふざけるな! 今すぐシャーロットを医療ポッドに運んだ上で、シャーロット以外のシミュラントは全員エオースを退去しろ! これは命令だ!」
命令であることを強調するが、トーマスからの返答はない。
どうやら全く聞く耳持つ気はないということらしい。
僕の胸の中で、焦燥と、そして後悔が膨れ上がる。
トーマスが、エオースについて腹に一物持っている様子であることには、以前から僕も気付いていた。
だが、まさか彼が、こんな乱暴な実力行使に出るとは。
……いや、あり得ないことではなかったのだ。
エオースのセキュリティは形式上リザによって守られているとはいえ、大抵のものは手動で強制的にこじ開けることができる。
だいたい我々からして、先ほどからアストリアのドアを非常用レバーでこじ開けまくってきたところではないか。
もちろん非常時以外に強制開閉レバーを使用することは違法である。エオースが尋常の状態であれば他の乗員によって、直ちに拘束されていたであろう。
しかし今エオースに残っていたのはシャーロット一人。
セキュリティは無いに等しい。
「シャーロット……僕のせいだ……」
甘えん坊で気まぐれで、何を考えているのかよく分からないところがあったけれど、可愛らしい頑張り屋の女の子。
警戒しておかなければならない可能性から、僕が目を逸らしたから……?
「ライルさん、それどころでは、ない、のです」
考えが堂々巡りになりそうだった僕を現実に引き戻したのは、リトル・リザの声だった。
彼女はその量子頭脳を駆使して今も巧みに連絡艇を操船しつつ、身体は席を回して僕の方に向き直っている。
「リザ……」
「このままでは、メインシステムを、破壊される、のです」
「……分かってる」
送られてくる映像を見るに、シャーロットには外傷はなさそうに見える。今はトーマスのブラフであることを祈るしかない。
シャーロットのことが気がかりで他のことが考えられなくなりそうな気持ちを、強引に首を振って一旦追い出した。
通信を介して聞こえてくるトーマスの言葉から、彼の意図は明確と言える。
もしメインの方のリザを破壊されたら、僕はもうミッションを続けることもできなくなる。
そして、エオースのためにアストリアから発電機などを奪い取ろうと僕が検討したのと同様に、エオースからアストリアに各種プラントを奪い取ることができれば、アストリアは完全とはほど遠いまでもかなり状態を改善することができるだろう。
彼は僕をこのアストリアに無理矢理にでも留めることが、第一原則に合致すると信じている。
彼は
そして善良であるが故に、僕の自由意志を否定し
なんたることか、この世はとかく善人ほど厄介なものはない。
今から大急ぎでエオースに戻るとしても、まだ二十分以上はかかる。そもそも宇宙というのは『急ぐ』といっても出来ることはたかが知れている。
このままではどう見積もっても間に合わない。
恐らく僕達が帰路の半ばにいるうちに、トーマスはリザの量子頭脳に致命的なダメージを与え終えているだろう。
更に重大な問題がある。
そもそもトーマスの三原則が正常に機能しているかどうかが疑わしい。
もし三原則がまだ機能しているのならば、第二原則による命令を何度も行うことには一定の意義が期待できる。つまり、第一原則を上回ることができなくとも、彼のニューロチップにストレスを掛けて行動を阻害できるかもしれない。
もしそうでないなら……真っ向から説得するしかない。
僕は声のトーンを落とし、一語一語言い聞かせるように繰り返す。
「……トーマスさん、繰り返し命令します。シャーロットを医療ポッドに運び、その後ただちにエオースを退去してください。これはロボット工学の第二原則に基づく正式な命令です。いいですか、繰り返します――」
『ライル様、シャーロットの
シャーロットへの物言いで頭に血が上りそうになるが、強引に激情を押さえ込みつつ考える。
エレインと言われてすぐには誰か思い当たらなかったが、そうだ、以前シミュラント達の居住区に行った時に紹介された人物だ。三十歳前後の女性だったと記憶している。
彼女には第二原則による命令が効いている……?
それは良いニュースであるとともに、悪いニュースでもある。トーマス以外は第二原則である程度制御可能であり、トーマスは全く制御できていない。これはつまり、トーマスの三原則が機能していない傍証と言える。
どうする?
「トーマスさん、あなたのニューロチップは壊れている可能性があります」
僕は小細工よりもまず前提となる部分を解決してしまうことにした。
トーマスは壊れている。まずその認識を合わせるべきだ。
「例の本を持っていた遺体を発見した時のことです。トーマスさんは視覚や聴覚などに異常を感じたことはありませんか。ニューロチップの量子回路は……」
『ライル様。おっしゃっている意味を理解いたしかねますが、私の三原則は問題なく機能しております。全てはライル様のためでございます。何の疑問もございません』
「あなたは僕の自由意志に対して重大な侵害を行っています。これは第一原則への明らかな違反であり、三原則の機能に問題があると言わざるを得ません」
『何をおっしゃいますか。ライル様の自由意志など、ライル様の身の安全と比べれば取るに足らない問題でございます』
……だめだ、話が通じない。
トーマスの主観としてはそうなのだろう。
彼は
そして彼は僕の自由意志については価値を感じていない。これは推測であるが、彼の価値観では僕の自由意志は第二原則の範疇に入ると解釈されているのではないだろうか。
だが第一原則によって優越されるとはいえ、本来であれば第二原則による強制力だって非常に強い。たとえ自分が第一原則によって行動していると信じていても、僕の命令に反することは相応のストレスになるはずなのである。
トーマスにはその葛藤すら見られない。
困った。
何とか名案はないものかと助けを求めてリトル・リザとレイシーに視線を走らせる。
すると、リトル・リザが小さくこちらに首を傾げて見せてきた。
「ライルさん。トーマスの、ニューロチップが、壊れている、とは、なんの話、なのです?」
「ああ、これまで言ってなかったんだけど、実は――」
僕がトーマスのアトリエでの話と、遺体から回収されたホーキンス教団の聖典の話をかいつまんですると、じっと僕を見つめるリトル・リザの目がみるみる険しく……はならなかった。
彼女の表情は実に全くいつも通りである。
が、無表情に僕を見つめるその作り物の瞳は、実に雄弁にその不満を語っていた。
僕はたじろぎつつ言い訳する。
「いや、あのね、言い訳したいんだけど、いいかな? だってさ、リザに話してたらきっとトーマスさんを殺そうとしてたじゃないか……」
「そうしていたら、今頃、こんなことには、なっていない、のです」
「……そうだけどさ」
こんなことになるとは思わなかったのだ、とは言いたいところだが、結果として僕がこの窮地を作ってしまった側面は否定しがたい。
エオースは今や完全に無防備だ。
工作室やプラントであれば、リザがトーマスを攻撃できるような機械式のアームが多く備えられているが、廊下や量子頭脳モジュールにそのようなものはない。
リザの手足となるローバーの半分はアストリアの調査に出しており、残り半分は僕達が持ち出してしまっている。小型ローバーが二機残っているはずだが、あんなものに人間サイズのものを制圧するような力は到底ない。
シャーロットはただの非力な少女だし、彼女に期待するのは無事でいてくれということだけだ。
最早一分一秒を争う時なのに、この連絡艇から僕の打てる手は限られすぎている。
「あの、ライル様。ご提案が……」
「ライルさん、考えがある、のですが」
頭を抱える僕に、レイシーとリトル・リザがほとんど同時に声を発し、そして不思議そうに顔を見合わせた。
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