交渉
リトル・リザとレイシーはしばらくお互いの顔を見つめ合っていたが、先に気まずそうに目を逸らしたのはレイシーの方だった。
まるで野生動物の睨み合いか何かである。
無表情のまま勝ったと言わんばかりにリトル・リザが僕の方を見つめてくるが、僕はため息一つ落とすと僅差で声を上げた順に聞いていくことにした。
「じゃあ、レイシーから。提案って?」
「……あ、あの、ええと……このようなことを提案することが、三原則に反しないかどうか自信がないのですが……」
「いいから話して」
「第一原則だけでも機能しているのであれば、命令を第一原則による強制力を持たせた形に
レイシーはそこで非常に言いづらそうな様子で言いよどんだ。
だが、なるほど。そこまでだけでも、彼女の言いたいことは僕にも何となく察することはできた。
僕は彼女の言葉を継ぐように言う。
「つまり、『命令を聞かなければ僕に危害を加える』と、僕を人質に取ればいい、ってこと?」
「あの、こんなことを教唆すること自体が三原則に――」
「いや、いいよ」
これ以上続きを言わせるのも危険なので僕は片手で制する。
真面目な彼女にとっては口にするのも恐ろしい提案だっただろう。それは極言すれば『人間に自傷を勧める』という第一原則に真っ向から抵触しかねない提案なのだから。
だが、一考の余地はあるように思われた。
そう、例えばだ、『リザに危害を加えるな』と命令する代わりに、『リザに危害を加えたら僕は自傷する』とでも宣言したら、どうなるだろうか?
トーマスは少なくとも主観としては第一原則に反していないつもりでいるようだし、反しないつもりでいるように思われる。
ここで僕自身を人質に取って譲歩を迫ることは第一原則に対する強力なカウンターとなりうるわけで、一定の有効性が期待できるのではないだろうか。
――と、そんな風に思いをこらしている横で、レイシーの表情がみるみる青ざめてきたので慌てて手を振る。口にするだけでも相当のストレスだったようだ。
「ああ、うん、ありがとう。その先は僕の方で考えるよ。レイシー、君は気にしなくていい」
「……はい」
この案は一旦僕の方で預かることにしよう。レイシーに考えさせているとろくなことにならなさそうである。
続いてリザの方に視線をやってみる。
「じゃあ、リザ。君の考えは?」
僕に水を向けられたリトル・リザはこくりと頷くと答えた。
「今の、メインシステムに、可能な操作だと、まず、『船内の空気を抜く』という手が、あるのです。上手く行けば、行動不能に、追い込める、のです」
「減圧か……でも、酸素マスクは? 携帯しているかもしれない。据え付けの酸素マスクだってある」
「それでも、少なくとも、酸素マスクを、装着するまで、時間が稼げる、のです」
急減圧は宇宙における最大の脅威の一つであり、そしてエオースの与圧システムはリザが思いのままに操作できる。
いきなり船内の空気を抜いてしまえば、トーマスは酸素欠乏という圧倒的暴力に晒されることになる。あわよくば短時間でノックアウトできるだろう。
しかし、もちろん、減圧は典型的な脅威であるがゆえに、エオースの船内には安全対策も各種取りそろえられている。
例えば、船内の各所に小型の酸素マスクが用意されており、それらは急減圧を感知すると自動的に――リザの意思に関係なく――飛び出して、すぐに使えるように準備されている。
各ドアに備えられた非常用開閉レバーにしてもそうなのだが、エオースの船内設計は非常時に人間の行動をなるべく制約しないように最大限の配慮が行われている。
非常時の安全性を高めようと配慮したがゆえのフェイルセーフ設計が、今やトーマスを利しエオースを窮地に陥らせているのだ。
とはいえそれでも、空気を抜くという手が全く脅威でなくなるわけでもない。少なくともトーマスを牽制する程度の意味はあるはずではある。
「でも、シャーロットを巻き込まないために隔壁を閉じる必要があるな……」
このままでは無防備なシャーロットを巻き込んでしまう。
トーマスとの間を隔てるように隔壁を落としてしまえば、シャーロットのいる区画の与圧を保ったまま、トーマスのいる量子頭脳モジュールの前だけを減圧することが可能だろう。
だが、シャーロットとトーマスとの間の廊下には利用可能な隔壁が存在しない。隔壁のある辺りまで、エレインにはあと二〇メートル近く頑張ってシャーロットを運んで貰う必要がある。どう見ても肉体労働を得意とするように見えないエレインは、見た目通りかなり非力なようで、シャーロットを背負ってなんとか運ぼうとしているもののその足取りは遅々として進んでいない。
ところで、ここで気になることがある。
つまり、それで問題なく済むのであればリザはいちいち僕に提案なんてしてこない。もしそうなら、ただ実行したとだけ報告してくるだけのはずなのだ。
「……で、何か問題があるのなら言って欲しいんだけど」
「問題と、いうわけでも、ないのですが……エレインに、命じて、トーマスを、取り押さえさせる、という手も、あるのです」
小さく頷きながら、リトル・リザが僕にプランBを提示してきた。
「そっか、エレインさんには第二原則が有効なんだっけ……」
なるほど、一考の価値はある。
エレインが荒事に適しているかは定かではない……というよりも明らかに適していないであろうとは思われる。だがそれでも、今僕の命令で動かせる中でトーマスを物理的に押さえられそうな存在は彼女しかいない。
先ほどシャーロットはエレインの持っていた何らかの道具によって攻撃されたらしい。R・サミーに作らせたとか言っていた。サミーと言えば修理して僕がトーマスに与えた作業用の人型ロボットで、つまりこれまた僕の行為が裏目に出たわけだ。
それはともかく、つまるところどのような道具かは分からないが、少なくともエレインは何らかの武器を持っていることを意味する。
武器があれば、いかにも非力なエレインでもトーマスの行動を牽制することはできるかもしれない。
ただそうなると、運搬中のシャーロットは廊下のその辺に放り出すことになるし、船内を減圧するという手も使いづらくはなる。
連絡艇があちらに辿り着くまでおよそ二十分。
そこから全速力でリトル・リザがエオースに突入すればトーマスは瞬時に制圧されるであろうとして、そこまで時間が稼げるだろうか。
『エレイン、そちらは後回しにしてこちらを手伝って頂けませんか』
僕がそんな風に迷っている間に、トーマスは遂にドアの非常開閉レバーを九〇度回すことに成功していた。あのドアが開いてしまうと、リザの本体までの道を阻むものは最早ない。
もっと時間を掛けて検討すれば良いプランが出てくるかもしれないとしても、僕にそんな時間が残されていないのは明白であった。
結局、僕は壁面ディスプレイに映し出された通路奥のエレインに対して命令することにする。
「エレインさん。シャーロットを廊下の隅に置いてください。丁寧に」
『……ライル様?』
そういえば僕がエレインに直接声を掛けたのは初めてのような気がする。彼女はやや不思議そうにしながら僕の命令に従った。
シャーロットが壁際にうずくまるような姿勢で寝かされるのを確認し、僕は次の命令を下す。
「エレインさん、トーマスさんを止めてください」
『……ライル様、それは……』
「これは命令です」
『……承知致しましたわ』
エレインのニューロチップは恐らく健在であり、つまり彼女に対してはまだ第二原則に基づく命令が有効なのだ。
だが、トーマスがこの場にエレインだけを――他のシミュラント達やロボットのサミーを置いて――連れてきたことには、彼にとってそれなりの意味があるのだろう。彼女は多分トーマスにとって――僕にとってのレイシー達と同じように――何か特別な存在であるに違いない。
物理的な暴力に訴えるまでもなく、エレインの説得であれば耳を貸すかもしれない。
どうなることかと僕が息を飲んで見つめるディスプレイの向こうで、エレインはいかにも重そうな足取りでトーマスに近づく。
『トーマス……やはり考え直しませんこと……』
『もはやライル様のために全てを済ませるまで、立ち止まることは許されません。エレインにもこれが第一原則に合致すると納得して頂いたはずでしょう』
『ですけれど……』
『我々は既にシャーロットを手に掛けたのですよ』
トーマスの言葉にエレインの足が止まる。
まあ、そうなのだろう。彼女は元々トーマスに賛同してついてきたはずだ。そこに僕が第二原則を使ってストレスを掛けているために、板挟みになって非常に強い葛藤を覚えているように見える。
……シャーロット云々については聞き流そう。
ともかく、リザを破壊し僕を無理矢理アストリアに引き留めることが第一原則にかなうと、トーマスと同じようにエレインも信じているならば、第二原則を使って僕が命令することは決定的ではない可能性がある。
エレインはトーマスを説得するどころか、再びトーマスに言いくるめられてしまうかもしれない。
やむを得ない。
僕はこれが酷い
「トーマスさん、リザに手出しするのをやめてください。エレインさん、トーマスさんを止めてください」
『ライル様、何度おっしゃられても……』
トーマスが僅かに苛立った様子で僕に反論を試みてくるが、有無を言わせず僕は続きを述べた。
「あなた達の妨害によって、リザが傷つけられミッション継続が困難になった場合、僕は
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