エレイン

 かなり思い切った宣言をしたつもりだったが、それからしばらくトーマス達は睨み合ったまま黙り込んでいる。

 僕はちらりと時計に視線を走らせた。

 今この間にも、時間は少しずつ経過しているのだ。トーマスは既にリザの本体が収められた量子頭脳モジュールへのドアをこじ開けている。

 あわよくばこのまま二十分稼げたりしないだろうか、というのは流石に甘い考えに違いない。だが、そうでなくともこのまま膠着してくれれば多少なりとこちらに有利になる。


 そう思った次の瞬間、トーマスのとった反応は僕の予想を遙かに超えて劇的だった。


『なんと……なんということです! 馬鹿げています! あまりにひどい!』


 彼は突然、ほとんど激昂と言って良いほどに興奮しながら、喚くように叫んでいた。

 僕の中に強い違和感と若干の恐怖がよぎるが、もちろんトーマスはそんなことには気づきすらせずに続ける。


『人間の命を! ロボットと! 引き換え! あり得ません!』

「トーマスさん、落ち着いてください。僕にとってリザはそれだけ大切な存在なんです。彼女を傷つけるのは――」

『ああ! やはり! R・エリザベス! お前がライル様を誤った道に導いているのですね!』


 トーマスは更に興奮した様子でまくし立てた。

 先ほどからどこかトーマスの言動は異常で、すんなりと従ってくれるかどうかはせいぜい五分五分だとは思っていた。

 だが予想していたよりも、この反応は、更に悪い。

 ――僕は押してはならないボタンを押してしまったのではないだろうか?

 早急に状況のコントロールを取り戻さなければならないが、ゆっくりと考える時間的猶予もない。


「トーマスさん、話は後で伺います。今は第一原則を遵守して船を下りてください。繰り返します、第一原則を遵守してください」

『……ライル様。その駆け引きは意味がありません』


 何故か、先ほどまでひどく興奮していたトーマスが、今度は唐突に冷めたような口調で言ってくる。

 一見落ち着きを取り戻した風だが、僕にはどうにも状況がどんどん悪くなっているようにしか思えない。


『ライル様が自殺するなど、実際にはR・エリザベスは看過しないでしょう。つまらない脅しです。ですがまあ、唆しているのもR・エリザベスなのでしょう? つまり改めて排除しなければならないものが何か、明らかになっただけのことです』


 ……この案を出してきたのはレイシーだが、言わない方が良さそうだ。

 彼は今度は心なしか薄い笑顔を浮かべつつ、エレインの方に向き直った。


『エレイン、あなたにもお分かりでしょう。さあ、手を貸してください。後は電源装置を破壊するだけです』

『トーマス、私は……』

『あなたも神の船を裏切るのですか?』


 トーマスは先ほどの異常な取り乱し方は何だったのかというくらい落ち着いた様子で、エレインを説き伏せに掛かっている。

 エレインの方はというと、こちらは先ほどの僕の宣言がかなり効果的だったようだ。眉を寄せてひどく煩悶しているように見える。

 二人がどんな関係なのか、僕は知らない。だが、僕が思うに、二人はそれなりに親密な関係にあるように思う。もしかすると、もっとなのかもしれない。

 エレインを利用してトーマスを止めることに、僕に気の咎めるところが全くなかったと言えば嘘になるだろう。

 だが、それでもだ、僕にとってのリザだってなのだ。


「エレインさん」


 僕は意を決して言葉を絞り出す。


「トーマスさんを止めてください。必要があれば、暴力に訴えることも要求します」

『ライル様……』

「命令です」


 エレインが何やら言いたげに言葉を返そうとしてくるが、こちらには苦情を聞いている余裕はない。問答無用とせざるを得ない。

 僕の命令を受けたエレインは、腰のベルトから小さな棒状の器具を外して手に取る。

 シャーロットに何らかの危害を加えたあの謎の――恐らく武器――だ。

 彼女は意を決したようにトーマスを見据える。


『……今更こんなことを言うのは虫の良すぎる話だと思いますけれど……やはり、ライル様のご意志を尊重いたしませんこと……?』

『エレイン、私はあなたが裏切り者だとは思いたくないのですが?』

『ですけれど!』


 エレインの方にはいまだかなりの躊躇が見られるが、トーマスはというと全く聞く耳を持たない様子だ。

 ――失敗したかもしれない。

 僕はディスプレイ上の二人を見ながらほぞを噛む。

 あの謎の道具は武器としてどの程度のものなのだろうか。エレインの力でトーマスを押さえられるだろうか。彼女がトーマスを押さえてくれないと僕の取れる手段は極端に限られることになる。

 一応駄目元で船内に残る小型ローバーを向かわせてはいるが、あんなものは暴力沙汰には焼け石に水にもならない代物だ。エレインだけが頼りなのである。


 だが、そんな僕の思惑とは全く関係なく、事態は動いてしまった。


『残念です、エレイン』


 この期に及んでなお僕はどこか甘く考えていたのだと思う。

 そして、そんな考えを真っ向からぶち壊すように、トーマスはいきなりエレインに手を伸ばすと、左手で彼女の手首を、そして右手で彼女の首根っこを掴んでいた。


 トーマスは、僕が想像していたよりもずっと躊躇がなかった。


 彼はエレインの手から謎の道具をもぎ取ると、首を掴んだまま廊下の壁に乱暴に押さえつける。

 エレインは僕以上に予測していなかったのかもしれない。ただ驚愕の表情を浮かべただけで、ほとんど無防備といっていいほどなすがままに武器を奪われ、逆にそれを首元に当てられている。


『トー……』

『さようなら、エレイン。すぐに私も参りますよ』


 トーマスがそう告げた次の瞬間、全身から力が抜けたようにエレインはガクリと膝から崩れ落ちた。

 あまりにあっけなかった。

 通路の隅に横たわるシャーロットと同じように、エレインもそのまま廊下に横たえられる。


「トーマスさん! 何をしたんですか!」


 ぞっとした。

 トーマスはシャーロットに使った道具を、彼の仲間であったはずのエレインにも躊躇なく使ったのだ。

 その彼はというと、妙に――不気味にも――晴れやかな笑顔を浮かべながら、廊下をゆっくりと見回し、明後日の方向で視線を固定する。恐らく、カメラに向かって話しているつもりなのだろう。


『ライル様、ご心配には及びません。この宇宙は、あまりに深遠で……そして慈悲深いのです。シャーロットも、そして……ああ、今まさに、エレインも……その魂は肉体より解き放たれ、正しき道へと招かれたのです……』

「一体何を――」

『お祈りください、ライル様。そうすればきっと罪深いR・エリザベスのことも、神はお許しになるに違いありません』

「トーマスさん、あなたは……」


 ――狂っている。

 彼が個人的に何を信仰していようと構わないとは思う。ウィリアム・ホーキンスの妙ちきりんな教義に傾倒するのも個人の自由だ。僕の知ったことではない。

 しかし、それによって僕の仲間に危害を加えるのであれば、話は別だ。


 最早彼を許しておくわけにはいかない。


 と、そんな風に心中で息巻いてみたものの、状況は相変わらず悪い。むしろより深刻化している。

 相変わらずこの連絡艇から僕が使える手札は限られていて、そして物理的な影響を与えられる唯一の手札であるエレインを、今まさにあっけなく失ってしまったのだ

 どうする?

 僕の打てる手は何がある?


「ライルさん……」

「リザ?」


 考え込む僕の横から、リトル・リザがやや控えめに僕の名を呼ぶ。

 見ると彼女は当初珍しく――というわけでもないような気が最近しているが――目を伏せて少し考える様子をしたあと、意を決したように顔を上げた。

 たぶんその言葉は、完全な作り物であり、迷ったり躊躇したりなんてするはずのない彼女にとっても、言いづらいものだったのだろう。

 それでも彼女はそれを僕に告げた。


「……ライルさん。減圧の、許可を」

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