決断
「それは――」
そもそも、エレインの使い方は、二択だったのだ。時間的に、どちらか片方しかさせることができなかった。
すなわち、エレインに命じてトーマスの制圧を試みさせるか……もしくは、シャーロットを安全な場所まで運び出させるか。
僕がトーマスの制圧を選んでしまった結果、シャーロットはいまだ廊下の壁際に寝かされている。そして、廊下には一定間隔ごとに火災や空気の漏れを防ぐための隔壁が用意されているが、トーマスとの距離がまだ近すぎてそれがない。
つまり、トーマスの動きを封じるために船内の空気を抜くということは、すなわちシャーロットを犠牲にすることを意味していた。
「ダメだ。シャーロットを巻き込むことになる」
「ライルさん」
リトル・リザは僕の言葉を予想していたようで、僕の方を見つめ返してきた。
いつもの、全てを見通すように感情を映さない作り物の瞳だ。
だが、何故か今は、少しだけ不安げで、何か拠り所を求めるような、どこか弱々しい光が宿って見える。
彼女は続ける。
「……シャーロットを、諦めることは、できない、ですか?」
「リザ、だってそれは……」
「船と、ミッションと、それから……私は……シャーロットより、優先度が、低いの、ですか?」
「僕は……」
人知を超えた思考速度を持ち、何事にも動じるはずのないリトル・リザが、今は何故かただの傷ついた女の子のように見える。
だが、それを、僕に選べというのか。
リザか、シャーロットか、どちらを
そんなもの――
「選べるはずが……」
「……そう、ですね。トーマスは、愚かなのです」
「リザ?」
唐突に言葉を遮ってきたリトル・リザの意図が、僕にはよく分からなかった。
まあ僕から見ても正直トーマスは気が触れているとは思うし相容れない。だが、手段を選ばず僕をアストリアに引き留めるという観点で言えば、彼の行動は彼なりには極めて合理的であると言える。つまり、彼は狂っているが、愚かではないはずだ。
リトル・リザの言うところのトーマスが愚かとはどういう意味だろうか。
僕が怪訝に首を傾げると彼女は続ける。
「つまり、シャーロットは、失敗作では、なかった、のです。ライルさんは、ミッションと、同じくらい、大切に思っている、のです」
「待って、僕は別に……」
「トーマスは、愚かなのです。ライルさんを、丸め込むなら、いいところまで、行っていた、のです」
いや、それは……そうかもしれない。
結局のところシャーロットを異性として意識したことはいまだにないが、彼女が僕にとって大切な存在になっていることは間違いない。それこそミッションそのものと彼女の命を天秤に掛けてすら、迷うほどに。
そもそもシャーロットが僕の恋人になる必要など最初からなかったのだ。友達で十分だったのだ。
なるほど、確かにトーマスは愚かと言える。こんな僕に真っ向から喧嘩を売るようなことをせずとも、きっともっと上手いやり方はいくらでもあったのだろう。
だが、だからといって、リザを見殺しにもできない。
エレインを片付けたトーマスは既にドアを開き、モジュールに踏み込まんとしている。
トーマスの先ほどの口ぶりからすると物言いからすると、狙いはリザの電源らしい。
電源と一言で言ってもその意味合いは多岐に渡る。
発電機そのものは量子頭脳モジュールの外つまり船体側にあるのでこれ狙いではない。
そこから共通規格のコネクタを通してモジュールに引き込まれ、変換回路を経由してリザに供給される。量子頭脳には予備の小型発電機が併設されているが、これも同じ変換回路を経由しているため、ここを破壊すれば外部給電と予備の発電機の両方が無力化する。
となれば狙うのは変換回路だろうか。
エレインが多少時間を稼いでくれたとはいえ、僕達がエオースに辿り着くまでは優に一〇分以上はかかる。
トーマスがどんな破壊手段を持ち込んだのかは分からないが、変換回路の一つくらい破壊する方法はいくらでも思いつく。時間的猶予は全く無い。
「トーマスさん、繰り返し命令します。リザに危害を加えた場合、僕は自らを傷つけることも厭いません。信じられないと言うのなら、今ここで手首でも切って映像をお送りしましょうか?」
『ライル様、その脅しは無意味ですよ。ライル様が死ぬことはありません』
「……?」
『これはそう、魂の問題なのですよ。エレインもシャーロットも、私の目の前で神に招かれました。ああ、あの美しい光景はライル様にもお見せしたかった……』
「一体何を……」
『魂は永遠の存在なのですから、何も気に病むようなことはなかったのですよ。ですからライル様も、肉体がどうあれ魂は永遠なのです』
「ふざ……けるな!」
ダメだ。
最早トーマスとは価値観の根底から食い違っている。
いや、価値観の相違はどうしようもないとして、問題は
僕の肉体的なダメージすら、今やトーマスにとっては第一原則に反しないのだ。
焦燥ばかりが募る。
『ライルさん』
そんな僕に声を掛けてきたのは、リザだった。リトル・リザではない方の、エオースにいるメインシステムのリザだ。
一体何事であろうか。
減圧の要求だろうか。それとも、何か良いアイデアが思いついたのだろうか。
目の前のリトル・リザは何も言わずに僕を見つめている。
僕は正面のディスプレイに向かって答える。
「なに、リザ?」
『これまでとても楽しかったのです』
リザの言葉は僕が予想したどれでもなかった。
それはまるで――
「リザ、何を言って……」
『私は幸せだったのです。あの事故で私が絶望して壊れてしまわなかったのは、ライルさんがいてくれたおかげなのです』
「そうじゃない、早くトーマスさんを。ああ、でも、シャーロットを……」
『いいのです。もう船を減圧しても連絡艇が戻るまで時間を稼ぐのは難しいのです。今はライルさんと少しでもお話がしたいのです』
「ダメだよ! 僕にはリザが必要だよ!」
今は亡きベイカー船長が僕の父親代わりであったのと同じように、リザは僕にとってはいわば母親のような存在であった。
僕はまだ航宙士としては見習いに毛が生えたようなものだ。僕はまだ子供で、リザの庇護を必要としているのだ。
僕にはまだ、リザを失う心の準備が出来ていない。
『トーマスはともかく、アイラはまあ信用していいと思うのです』
リザは軽い口調でそう言ってくるが、今更言うまでもなくリザとアイラの確執は深刻だ。リザが好き好んで僕をアイラに任せたいであろうとは思えなかった。
彼女は自分がいなくなった後のことも、ただひたすらに僕のことだけを考えているのだ。
『それから、そこのサブシステムはエオースの制御こそ荷が重いですが、ライルさんのお役に立てるのです。もう一人の私だと思ってずっとおそばに置いてくださいです』
「違う、リザ、そうじゃない。君とリトル・リザは……違う……」
自分自身でも分かるほどに僕の声は惨めなものだった。まるで駄々をこねる子供みたいだ。
リトル・リザには小型の量子頭脳が内蔵されており、定期的にメインと情報のすりあわせを行う仕組みになっている。だからリザとリトル・リザは
だがそれでもあくまでそれぞれの量子頭脳は独立したものだ。普段は僕もあまり気にすることはないが、リザとリトル・リザはそれぞれ独立した自我を持っている。
単に機能的な優劣の問題ではなく、二人は
リトル・リザは僕にとって大事な仲間だが、彼女がいればメインの方のリザがいらないわけではない。
『ライルさんが始めて私の前に現れた時のことを思い出すのです。そのサブシステムのボディと同じくらいちっちゃかったのです』
「リザ、そんなことは今はどうでも……」
『今も昔も泣き虫なのです。そんなことではベイカー船長のような立派な――』
リザがとりとめも無く思い出話をし始めたが、その言葉は唐突に中断された。
ディスプレイ上の船内映像には、量子頭脳モジュールの隅で立ち止まったトーマスの姿が映し出されている。
そして十秒ほどの沈黙を経て、リザが言葉を発した。
『トーマス、せめて別れを惜しむ時間くらいは融通できないのですか?』
『R・エリザベス。あなたはあまりに利口で、抜け目なく、賢しい。今この瞬間にも何を企てているか分かったものではありません』
そう言うトーマスは部屋の隅に小さな筒状のものを置くと、数歩後ずさる。
何だ?
トーマスは何を置いた?
そりゃあ、彼があそこにいる理由を考えれば……
「トーマス! やめろ!」
『そうは参りませんね』
小さな破裂音がして、次の瞬間、エオースとの通信が途絶した。
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