出迎え

 僕達の連絡艇がエオースのあるドックに辿り着くまでのおよそ十分ほど、僕達は全くの無言だった。

 まるで葬式か何かだ。

 誰の葬式かって?

 ……いや、よそう。


「ライルさん、そろそろ到着、なのです。どうする、ですか?」

「……もちろん行くよ」


 リトル・リザの提案は、つまり全てが終わってしまった後であるならば、僕が行っても傷つくだけだ、ということなのだろう。

 彼女が正しいのかもしれない。

 もう僕は耳を塞いでここでうずくまっているべきなのかもしれない。そうして僕は生きる屍のように全てを拒絶しているべきかもしれない。

 でも、ダメだ。そんなのは納得できない。


 僕は――無重量状態なのに――やたら重く感じる身体を引きずるようにしてエアロックまで運んだ。


「リザ、通路が開いたらまずトーマスさんを確保して欲しい。それから単独行動は避けよう。あっちが何を隠し持っているか分からないし、正直何をしでかすかも分からない」

「はいです」


 連絡艇のエアロックにアストリア側の搭乗ブリッジが接続された小さな音が響く。

 まずはこれ以上おかしなことをされないよう、トーマスの身柄を拘束する必要がある。それからもちろん、リザ本体とシャーロットの確認だ。


 懸念点も多い。


 トーマスがリザ本体――の恐らく電源回路――に危害を加えた方法が不明だ。何らかの爆発物かもしれないし、それ以外の武器があるのかもしれない。

 リトル・リザはまさしく超人的な――文字通り人間を超越した――身体能力を持つが、トーマスが彼女にダメージを与える手段を持っている可能性は念頭に置く必要がある。


 また、第一原則における『人間を傷つけてはならない』という制限が、彼の主観による解釈と僕の知るものとで異なっている可能性がある。

 元来、三原則の適用基準について個体差があるということは僕も承知していた。しかし、それはあくまで肉体的危害については基本的な共通認識がある上で、精神的・社会的危害については個体差がある、という程度であった。

 トーマスはその枠組みすら逸脱しているように思われる。つまり霊的ないし形而上学的に解釈しているように見える。

 こうなると最早トーマスのニューロチップが健在であるかどうかという問題に関係なく、彼が僕に危害を加えてこないと期待することすら難しい。


「レイシーは少し後ろから付いてくること。ここに残ってもらうことも考えたんだけど、僕の側にいてくれた方がまだ安全だと思う」

「はい、お供します」


 僕の隣でレイシーが緊張した面持ちで頷いている。彼女がどういう思いを抱いているのか、僕には分からない。

 リザはともかくシャーロットは彼女にとって大切な仲間のはずだ。だが、トーマスも彼女の仲間だったのだ。僕以上にレイシーは傷ついているかもしれない。

 一方で、最悪のケースとしてはレイシーが僕を裏切ってトーマスに付く可能性すら想定すべきなのかもしれないが、もうそんなことは考えたくもないので、考えないことにする。


「では、開ける、のです」


 リトル・リザがそう宣言すると、ぷしゅん、と小さな音を立てて気密扉が開いた。

 その先にはチューブ状の搭乗ブリッジが接続されており、更にその先はアストリアのドックに繋がっている。

 無重量状態の中を、先頭がリトル・リザ、その次が僕、一番後ろにレイシー、という順で進んでいく。

 しばらく進むと、僕は行き先にたたずむ人影に気付いた。


『お帰りなさい、ライル』


 チューブを出てすぐのところで、の合成音声が僕達を迎える。

 その声の主は、顔の左半分だけをぎょろぎょろと動かしながらこちらを見ると、恭しくお辞儀をした。


 搭乗ブリッジの先で待っていたのは、僕がトーマスに与えた作業用のロボット、サミーだった。

 顔の右半分が故障したままなので相変わらず不気味だが、彼はどうやら笑顔を浮かべているつもりらしい。

 僕は警戒するリトル・リザを制止しつつ首を傾げる。


「サミー、どうして君がここにいる?」

『お答えします、ライル。トーマスからこちらでライルをお迎えするよう命じられたからです』


 サミーは滑らかな動きで腕を広げるとそう述べてきた。

 トーマスに与える際に、僕はサミーに対して『シミュラントを人間に準ずるものと見なして仕えるように』と命令している。だから彼はアイラと同じようにシミュラント達から第二原則を使った命令を受け付ける。

 それは分かる。

 ――だが、トーマスは一体何を命じたのだ?

 リザによって修理されたサミーは、顔の動きこそぎこちないが身体の方はほぼ完全に動作しているはずだ。そして、審美性がほとんど考慮されていない作業用だけあって、その身体能力は非常に高い。

 例えばサミーとリトル・リザが殴り合いの喧嘩でもすれば、リトル・リザに勝ち目はないだろう。

 足止めどころか、トーマスはサミーに僕達への攻撃を命じているかもしれない。もしリトル・リザの破壊を命じられていたら、非常に厳しい状況だ。

 僕はリトル・リザの肩を軽く叩いてから、彼女を守るように一歩踏み出しサミーと対峙し――僕に危害を加えてくる可能性は流石に低いだろうと判断して――そしてそこでようやく馬鹿げた懸念をしていたことに気付いて苦笑した。

 緊張を解き、サミーに命ずる。


「……サミー、僕は人間だ。僕の命令に従え」

『承知いたしました、ライル』


 なんてことはない。

 シミュラントを人間に準じて扱えというのも、あくまで僕の第二原則に基づく命令によるものだ。シミュラントに対する三原則の準用は、僕に対する第二原則適用の下位に属するに過ぎない。つまりサミーに対しては常に僕の命令が優越する。

 サミーに危険はない。

 ふう、と大きく息を吐き僕は次の命令を出す。


「トーマスから何を命令されたか答えろ」

『ここでライルをお迎えするよう命じられました。それ以外のことは命じられていません。通信が途絶しているため現状がどうなっているのか分からないのです。ライルはご存じですか』

「……出迎えるだけ?」


 ……そうか。なるほど。

 サミーはトーマスの命令に従うが、僕が命ずればそれを上書きすることが可能だ。もし僕の声が届く場所にサミーがいたら、僕の命令に従いサミーはその圧倒的身体能力をもってトーマスを取り押さえていたであろう。

 つまり、トーマスはサミーに例の謎の武器を作らせた上で、後は邪魔にならないよう遠ざけておいたというわけだ。


「サミー、質問に答えろ。例の武器を作ったのは君か?」

『武器とは何のことですか?』

「トーマスさんがシャーロットに使ったやつだよ」

『おっしゃっているのは、私がトーマスの依頼を受けて提供した道具のことであると推測します。お話からするとあの道具が使用されたのでしょうか。また、続けて質問されると確信するため補足いたしますが、R・エリザベスの電源回路を破壊するための爆発物を提供したのも私です』


 サミーは顔半分だけの笑顔を浮かべながらさも当然という様子で答えてくる。

 彼は僕に対して悪意を抱いているわけではない。当然だ。彼はただ機械的に三原則に従っているに過ぎない。彼をトーマスに従わせたのは他ならぬ僕なのだ。

 そうは分かっていても不愉快と感じるのは抑えられない。

 ……だが、何だ? 何か違和感がある。これは先ほどからずっと抱いていた違和感だ。僕は何かひどく間の抜けた見落としをしていないだろうか。

 と、僕がその答えを思いつく前に――


「ライル様、R・サミーを責めないでやってください。彼は私の命令に従っただけなのです」


 ――突然割り込んできたその声に、僕の首元の産毛が逆立つのが自分でも分かった。

 奥の通路からややおぼつかない足取りの人影がこちらに向かってくる。


「……トーマスさん」


 僕は激昂しそうになるものの、隣でリトル・リザの握った拳からギリギリという不気味な音が飛んできたので、かえって少しだけ落ち着いた。

 今この場でトーマスを八つ裂きにするというリトル・リザの無言の提案には、僕も賛成票を投じるにやぶさかではなかったが、いささか性急に過ぎる感が否めない。

 リトル・リザの肩を軽く叩いて宥める。

 そんな一触即発の空気を知ってか知らずか、トーマスは上機嫌で言葉を続けた。


「いやはや、この辺りは道が入り組んでいる上に、私はどうも無重量というものに身体が慣れておりませんので、出迎えが遅れてしまいました。エレイン達のを放置して参りましたので、処分に戻りたいところではあるのですが……」

「釈明があるなら聞きます。受け入れるかどうかは別ですが」

「釈明? そのようなものは必要ありませんよ」


 可能な限り感情を抑えつつ僕は釈明の機会を与えようとしたが、トーマスは笑顔のままあっさりと首を横に振る。

 そして司祭が説法でもするかのように、諭すように、続ける。


「エレイン達の魂は神の御許へと参りました。あの美しい魂の輝きが肉体から抜け出す光景を、神は私にお見せくださったのです。私などが見られるものなのですから、ライル様とて遠からずご覧になるに違いありませんよ」

「……答えになっていませんよ」


 トーマスの妙に明朗な声色が僕の苛立ちを募らせる。

 僕の我慢が限界に達しようかというその時――


「トーマスさん、本当にエレインとリザと……シャーロットを……殺したのですか」


 ――突然横から言葉を挟んできたのは、今まで黙ってそばに控えていたレイシーだった。


「ええ、よろしいですか、レイシー。我々は人間ではありません。ロボットはただ壊れるだけですよ。ですが、安心なさい。神の寛大さはそれすらも凌駕していました。神は壊れたロボットの魂すらもお救いになるのです」

「トーマスさんは……自分が……何をしたのか……分かっているのですか……」


 レイシーは今にも泣き出しそうな様子で声を震わせている。

 無理もない。彼女は善良で気弱で、悪意や狂気といったものとは無縁の女の子だ。トーマスの狂気は彼女にとってさぞかし恐ろしいものに違いない。

 トーマスはそんなレイシーに微笑みながら答える。


「もちろん、分かっておりますとも。恐らくライル様は神の祝福を理解される前に、私の処分を決定してしまわれるでしょうね。ですが、そう、私はもはや死を恐れる必要すらないのです。神の下では、魂は永遠の存在なのですから」

「トーマスさんは……死ぬのが怖くないのですか……?」

「申し上げたではないですか。この船にいる限り、我々の魂は不滅なのです。何も恐れることはありません」


 トーマスの狂気は、純真なレイシーにはあまりに毒が強い。そろそろ止めた方がいい。

 僕はレイシーに一旦下がらせようと決断するが、それを口にするよりも僅かに早くレイシーが半歩だけトーマスの方に踏み出していた。

 そして彼女は――


「……そうですか」


 ――と小さく呟くと、いつの間にか手に持っていた金属製の道具をトーマスに向けて勢いよく振り下ろした。


 あまりに突然のことだったので、僕はただ『あんな大きなレンチ、一体どこからくすねてきたのだろう』という疑問を思い浮かべるので精一杯だった。

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