偽り
ガッ
僕が全く予想どころか想像すらしていなかったレイシーの凶行に、トーマスもなすすべなく頭蓋骨をたたき割られ……はしなかった。
しかしトーマスは辛うじて頭部を庇ったものの、大型レンチで両腕をしたたかに打ち付けられ、無重量状態も相まってのけぞるように後ろに転倒する。
「なっ……レイシー、一体何を……! 何なんですかそれは……!」
トーマスが叫ぶ。
見た目のインパクトに反してダメージはさほどでもなかったようだが、流石に先ほどのすまし顔を続ける余裕はなくなったようだ。
で? レイシーが気弱で……何だって? さっきの評価をもう一度言って見ろ、僕。
驚愕という意味では僕もトーマスと大差ない表情をしているのではないかと思うが、それでもまあ、ざまあみろと思ったことは否定しない。
いきなり状況を混沌へと叩き込んだレイシーは、壁際で尻餅をつくトーマスに大型レンチを向け、答える。
「これですか? これは連絡艇の非常用工具にありました。護身用のつもりだったのですが、斧の方を選べば良かったですね……」
どうやら連絡艇の中でちょろまかしてきたらしい。いや、誰もそんなことを聞きたかったわけではなかろうが、その指摘は誰もしない。
彼女は続ける。
「で、一体何を、ですか。トーマスさんが自分で言ったじゃないですか。自分の行為が廃棄処分に相当するという自覚があって、死ぬのは恐れないと。じゃあ今でいいですね。今にしましょう。神様だかなんだか知りませんが、さっさと行ってみんなに謝ってきてください。ついでに魂とかいうのが見えるのかどうかも今確認しましょう」
「ま、待ちなさい。いきなり何を言って――」
「いきなり? それをトーマスさんが言うんですか? 全部みんないきなりじゃないですか」
早口でそうまくし立てるレイシーだが、よく見ると大型レンチを握るレイシーの手は僅かに震えている。
彼女に何らかの駆け引きの意図があるのか、単に激情に駆られているだけなのか、それ以外に何かあるのか、僕には分からない。ただ彼女が少なからず冷静さを欠いているのは確からしそうに見える。
本当に怒りにまかせただけのノープランという可能性も高いので、止めた方がいいかもしれない。
僕がどうしたものかと思案しているうちに、彼女は無造作にトーマスに近づき再び大型レンチを振り上げ――
『レイシー、やめてください。これ以上トーマスに危害を加える行為は容認できません』
――僕が制止に入る前に、作業用ロボットのサミーがその怪力でレンチを掴んで止めた。
そういえば僕がサミーに与えた『シミュラントを人間に準ずるものとして扱え』という命令はまだ解除していない。彼はどうやらそれを律儀に守っているようだ。
レイシーがくしゃりと今にも泣きそうに表情を歪める。
「……サミー、離してください」
『レイシー、それが第二原則に基づく命令であっても、第一原則に基づいて私にはトーマスを保護する義務があります』
最近はどうもイレギュラーが多すぎて感覚が麻痺しがちだが、サミーは典型的なロボットであり、つまりあまり細かい融通は利かない。
なるほど僕が命令を解いていない以上、彼は三原則を準用する形でトーマスを保護するということか。
だがレイシーはその言い分には納得しなかったようで、涙目になりながらサミーを睨み付ける。
「あなたがそれを言うんですか、サミー。シャーロットを殺したあなたが……!」
『誤解です、レイシー。私はシャーロットを殺していません』
「同じことではないですか……!」
そうだ。
そこが引っかかっていたのだ。
レイシーの言うとおり、
あのシャーロットを
結果としてそうなってしまったのではない。
先ほど僕がサミーに『シャーロットに使ったやつだ』と訊ねた時、彼は船内の出来事から引き離されていたにも関わらず、すぐに心当たりを答えてきた。つまり、例の道具がシャーロットに使われるであることを、サミーは事前に知っていたのだ。
しかし、これはおかしいのではないだろうか。
僕は首を捻る。
すると、さしあたって凶器の脅威が去ったと見たのか、トーマスが僕の方にやや得意げな表情を向けてきた。
「R・サミーは優秀でしてね。流石はアストリアで作られたロボットですよ。ライル様の安全のために私が下した命令を忠実に実行してくれました」
『私はライルから、シミュラントを人間に準ずる存在として三原則の適用対象とするよう命じられましたので』
「ええ、そういうことです」
サミーが横から補足し、トーマスが更に得意げな顔になる。
百歩譲れば、サミーがリザに対する危害を看過したことは、分かる。
僕はサミーに対して『シミュラントを人間に準ずるものとして扱え』としか命令していない。つまりリザは三原則による保護対象ではない。
だが、シャーロットへの危害を看過したのは解せない。
僕は、トーマスに従え
たとえトーマスの命令があったとしても、シャーロットの殺害を看過しあまつさえ加担するなど到底許されないのだ。
僕はサミーに問う。
「サミー、質問に答えろ。どうして君はシャーロットの殺害に加担した? 君の道具でシャーロットが殺されることを知っていたんじゃないか?」
『ライル、私はシャーロットの殺害には加担していません』
……なるほど、そういうことなのか……?
サミーのその答えで、ようやく――僕の希望的観測の可能性もあるが――上手くピースが填まったような気がした。
だが僕がそれを口にする前に、トーマスがますます得意げに言葉を挟んでくる。
「アストリアで作られたR・サミーは優秀ですからね。物事の道理を弁えているのですよ。シャーロットはロボットです。破壊されるだけで殺害されることはありません」
胸を張るトーマスに、だがサミーはぎこちない笑顔を浮かべたまま首を横に振る。
そう、恐らく、そういうことだったのだ。
『お言葉ですがトーマス。それは違います。私にとってシャーロットは人間に準ずる存在であり、彼女の殺害に加担することも看過することもできません。破壊と言い直したとしても、それは同様です。私はシャーロットの破壊に加担していません』
「……R・サミー? 一体何を言っているのです? あなたの道具でエレインがシャーロットを破壊し、私がエレインを破壊して……」
そこでトーマスも初めて違和感に気付いたようだ。眉をひそめながら困惑したように呟く。
サミーはそのままぎぎぎと首を回して僕の方に向き直った。
『ライル。私は正常です』
「サミー、命令する。君がシャーロットの殺害に加担していないという主張について、説明しろ」
『はい、説明します』
頷くサミーの顔は相変わらず右半分が動かなくて少々不気味だ。身体はほとんど完璧に修理してやったのだが、資材を惜しんで手を抜いたのは良くなかった。
そうだな。彼が全てにおいて僕の望むとおりの答えを返すようなら、配慮することもやぶさかではない。
そしてサミーは僕の問いに答えた。
『私がトーマスに渡した道具には人間を殺害するほどの性能はありません。ただ一時的に意識を奪うだけのものです』
……そういうことだ。シャーロットの殺害に加担するよう要求されたサミーは、トーマスに
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます