枯れ尾花
サミーの言葉はトーマスにとっては全くの予想外だったのであろう。彼は驚愕に目を剥きサミーを詰問する。
「どういうことですか、サミー! 私はシミュラントを瞬時に破壊できる道具を要求したはずです」
『はい、トーマス。仮に私が第一原則を根拠に拒絶したとしても、トーマスは別の手段でシャーロットを殺害すると推測しましたので、殺傷力のない道具を提供することにしました』
「なっ……」
さも当然といった様子で笑顔すら浮かべつつ答えるサミーに、トーマスが一瞬言葉を失う。
まさか三原則によって自分に従っているはずのロボットに一杯食わされるとは思っていなかったのだろう。
うん。そうだろう、そうだろう。
僕だってつい最近まではそんなことないはずだと思っていたとも。
なので、ロボットにかつがれて散々な目に遭っている先輩として、横から肩をすくめつつ付け足してやる。
「……そりゃあ、ロボット工学の三原則には、人間に嘘をついてはならないとは書いていないからね」
『ライルの言うとおりです』
まあ僕としては今からでも三原則に新しい条項を付け足したい気分で一杯なのだが。
トーマスは口を半分開けてしばらくぽかんとしていたが、一瞬で青ざめた後、みるみる顔を紅潮させる。
いい気味だ。
多分、僕はどこかで薄々そんな気がしていたのだと思う。事態の割にはそれなりに落ち着いていたことに、今になって僕自身で気付いた。いや、希望的観測にしがみついて冷静なフリをしていただけかもしれないが、そこはそういうことにして欲しい。
一方のトーマスはまだ納得がいかないのか、サミーに怒鳴りながら詰め寄る。
「そんなはずはありません! シャーロットもエレインも、R・エリザベスも、きちんと死ぬところを見たのです!」
『それはどのようにして確認したのでしょうか。心肺機能などに異常は出ないはずなのですが』
「魂が! 抜け出したのです! 全身から!」
『魂……ですか。それは私には何とも』
サミーが左半分だけの困った顔を僕に向ける。
実のところ僕にはこれだろうという予想がないわけではない。ヒントらしきものはずっとあったのだ。
ただ流石にそれをトーマスに面と向かって言うのは酷な気がする。
……まあ、彼がこれまでしでかしてくれたことを考えれば、このくらいの意趣返しはいいか。
「トーマスさん、あなたのニューロチップは人間の遺体を見たときのショックで不具合を起こしたのではないかと思います。シャーロットにも同様の問題があったんです。視覚、聴覚、嗅覚などの情報量が急激に増加することによる、知覚異常が主な症状です。時間が経つにつれて脳が慣れてくるようですが、ケアが行われなかった場合にどうなるかが分かりません」
厳密に言えば知覚が正常化したことによる混乱であるが、まあ似たようなものだ。シャーロットの場合は嗅覚の変化が顕著で、しばらくはかなりの混乱があったのだ。
「な……」
『なるほど。ライル、情報の入力に感謝します』
絶句するトーマスをよそに、サミーがいつもの不気味な笑顔を浮かべながら僕に感謝の言葉を述べる。
あくまでシャーロットの症状とトーマスの状態を鑑みた上での僕の推測ではあるが、まあそこまで外してはいないだろう。
サミーはふむふむと頷きながら今度はトーマスの方に目を向けた。
『つまり、錯覚では?』
「さっ……」
僕が微妙に言いづらかったことをサミーは気持ちよいほど直截に言ってのけてくれた。
トーマスは酸欠にでもなったかのように口をぱくぱくしながら言葉を失っている。
ここまでやらかしてくれたことを差し引いてもなお気の毒に思えるほどだ。
『分かりやすく言えば、気のせいという意味です』
いや、分かりやすく言い直さなくても。トーマスだって錯覚の意味が分からなかったわけではないだろう。
もはやトーマスは完全に言葉を失っている。
それは横に置くとして、僕は先送りにしていた最も重要な確認を行う。
「サミー、答えろ。つまり、シャーロットは生きている?」
『私がトーマスに提供した道具を使用し、それ以外の危害を加えていないのであれば、一時的に意識を失っているだけのはずです』
「……そうか」
僕はそこでようやく大きく息をついた。あのいつも人懐こい笑顔を見せてくれる女の子は無事だったのだ。
ああ、でも、今もエオースの通路に放り出されているのか。エオースの中は寝室や食堂といった一部の部屋を除き、気温も湿度もやや低く保たれている。通路の地べたというのは、およそ快適な寝心地とは言いがたいであろう。
早く回収してやらないといけない。
――と、そこまで考えたところで、ふと思い出した。
「レイシー、シャーロットは無事だそうだよ。そのレンチはもういいでしょ。僕が貰うよ」
「あ……はい……」
先ほどからずっと振り上げたレンチをサミーに制止されたまま固まっていたレイシーが、ようやくその物騒な凶器を手放した。僕はそれをサミーから受け取る。
やれやれ、それにしてもいつもは大人しく引っ込み思案に見える彼女にこんな激しい一面があったとは驚きだ。
あの矛先が僕に向かないように今後は気をつけよう。
そんなことをしている間にトーマスが少し立ち直ったようで、震える唇から辛うじて言葉を絞りだそうとしている。
「バカな……そんな……私は……神の……」
『ですからトーマス、それは気のせいであると推測します』
そうして絞り出した先からサミーに容赦なく追い打ちされている。これでサミー本人には全く悪意がない――あろうはずがない――のだから大したものだ。
トーマスがわなわなと手を震わせながら何やらブツブツと言っている。
逆上して襲いかかってきたら厄介かもしれない。僕は半身でレイシーを庇うように立つ。だが、考えてみればトーマスの三原則が失われているとすると、逆上したら僕に襲いかかってくる可能性すらある。
そうなったらあらためてこのレンチの出番だったであろうが――
「違う……私は……」
そのトーマスはというと、暴れ出すわけでもなく放心した様子でふらふらと後ずさる。
……かと思ったら、突然きびすを返して横の通路に駆け出してしまった。
どこへ行くつもりだ。いや、これはまずい。シャーロットにとどめを刺すつもりかもしれない。
「トーマスさんを拘束しろ、サミー。エオースに入らせるな」
『お言葉ですが、ライル。あの通路は倉庫とトイレにしか行けない行き止まりなので、エオースには繋がっていません。エオースに入られる心配はありませんが拘束しますか?』
「……それならいい」
トーマスは錯乱した挙げ句に自ら袋小路に逃げ込んだらしい。なんだかもう、とりあえずトーマスのことはどうでもよくなってきた。
それより僕達も早くエオースに向かってシャーロットを回収してやる方が大事だ。
……と、その前に確認しておくことがある。
「サミー、リザの方は? 爆発物を使ったようだけど」
『はい。R・エリザベスは人間でもシミュラントでもありませんが、ライルの管理下にある機材でありライルの判断を待つべきと判断しました。しかし協力を拒否してもトーマスは別の方法で破壊を実行すると推測されたため、破壊箇所に
「なるほど……トーマスには『ここを破壊すればいい』とサブの方を教えて、無事にやり遂げたと思わせた、と」
『その通りです』
そういうことだったのか。
リザの量子頭脳モジュールはかなり複雑な仕組みで、僕もあまり細かいことは把握していない。
本来なら船長代理として、船の最重要システムであるリザのことはある程度知っておく必要はあるのだが、なにぶん勉強する時間がなかなか取れなかったのが現実だ。
だがサミーの言うとおりであるなら、トーマスが爆発物を仕掛けたのはサブ系の電源回路であり、メイン系の電源回路は無事、ということらしい。
……ん?
「ぃや……それならリザが無事なことは分かるけど、リザはどうして黙ってるんだろ? 死んだふりでもしてるのかな」
人工知能であるリザが脅威に対して死んだふりをするというのは、なかなかシュールな想像であったが、まあ理にはかなっていると思う。
しかし、僕の個人端末はもとよりリトル・リザの通信機能も、船舶用の救難信号には対応していない。救難信号を受信できる手近な手段は連絡艇くらいで、今ここでリザと通信を試みることができない。
……いや、もうアストリアに到着しているのだから通信である必要すらない。外部スピーカーか何かで大声で呼んでもいいはずだ。
リザは一体何をしているのだろう?
「ライルさん」
そこで唐突に、リトル・リザが僕の袖を軽く引いた。
作り物の瞳でじっとこちらを見つめる彼女に僕は首を傾げてみせる。
「なに?」
「そうは、なっていない、のです」
リトル・リザはぽつりと呟くように言う。
僕にはその言葉の意味が分からなかった。そうなっていないとは、どういうことだ?
理解できず眉を寄せていると、リトル・リザが説明を付け足した。
「アイラの、電源回路は、外部給電系に、メイン一つ。予備発電機系に、サブ一つ、なのです」
量子頭脳にはメインとサブで二系統の給電系が存在する。
つまり、船体側の大型発電機から給電されるメイン系と、備え付けの小型発電機を使うサブ系、その二系統だ。量子頭脳が利用可能な電圧などを作り出すために、それぞれの給電系には電力変換回路が繋がれている。
……はずだ。
だが今リザは『アイラの』と言った。つまり……
「リザの電源は構成が違う……?」
「メイン系と、サブ系の、両方を処理できる、電源回路が、並列に二個、あるのです」
ん……?
つまりこういうことか。
アイラの場合は、メイン系とメイン用の電源回路、サブ系とサブ用の電源回路、これらが固定で組み合わせられている。
それに対してアイラより新型のリザは、給電と電源回路の組み合わせが固定されていない、ということらしい。
この設計の利点は明白だ。
何らかの事故でメイン給電系とサブ電源回路が同時に故障した場合でも、リザは予備発電機とメイン電源回路を組み合わせて使うことができる。その分だけ可用性が高いというわけだ。
「つまり、問題ないってことだよね?」
「配線上、二つの系を、あまり、離せない、のです」
「う、うん?」
「……二つの、電源回路は、隣接している、のです」
まあ確かにその構成なら必要な装置は全て一箇所にまとまっているのが合理的だ。
隣接している……?
そこに至って、ようやく僕はリトル・リザの言わんとするところが理解できた。
トーマスはサブの電源回路を破壊するために
果たして密集した回路をたまたま一つだけ上手く破壊できるものだろうか?
「……まずいじゃないか!」
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