フォールトトレラント

 彼女が目覚めて真っ先に思ったのは、寝心地が悪いな、だった。

 寝床が妙に固いし、それに……


「……寒い」


 シャーロットは寒さと、それから辺りの眩しさに目を細めながら呟いた。

 寒いと感じるようになったのは割と最近だ。いや感覚自体はあったし寒さを感じなかったわけではなくて……なんというか、嫌な、悲しい、そんな寒さを感じるようになったのだ。

 ライルは暖かい。くっつくとぽかぽかして幸せな気分になる。レイシーは柔らかくて、それから暖かい。くっつくとふわふわして安心する。

 人間が寒さで悲しくなるのは、きっと暖かさで幸せになるために違いない。

 それに比べるとここは駄目だ。幸せな感じが足りない。寂しい寒さがする。


「……ここ、どこ?」


 何とか目が慣れてきたので周囲を見回す。

 そこは、通路だった。ここしばらくで随分と見慣れてきた気のする、宇宙船エオースの通路だ。

 何故自分はこんなところに寝ているのだろう、とシャーロットは首を捻る。


「そうだ、エレイン……」


 先ほどトーマスが何やら変なことを言い出して、それからエレインに抱きしめられて、とても眠くなって……どうなったのだろう?

 身を起こし、あらためて周囲を確認する。

 すると、少し離れた廊下の壁際に、先ほどのシャーロットと同じようにエレインも寝かされていることに気付いた。


「エレイン……?」


 よいしょと立ち上がると、シャーロットはエレインの方に歩み寄る。

 眠っている……?

 頬をつんつんと指先でつついてみても反応はない。呼吸は正常だし見たところ怪我をしている様子もない。単に熟睡しているようだ。

 何があったのだろうか?


「……リザ?」


 先ほどのトーマスの言葉を思い出す。彼はリザに何かしようとしていた。何となく、信じがたいことだが、よからぬことをしようとしていたように思える。

 リザの部屋――つまり量子頭脳モジュール――へのドアは、開いていた。トーマスはそこにいるのだろうかと疑問を感じたが、物音はしないし人の気配もしない。

 あれからどれだけの時間が経ったのだろう?


「リザ……何かあったの……?」


 女の子の部屋を無断で覗き見するのはちょっとお行儀が良くないかもしれない。そうは言っても覗き趣味という意味ではリザが一番酷いし、日頃からシャーロットとしても抗議したいところではあるのだが、だからといって意趣返しというのも間違っていると思う。

 いや、まあ、うん。でも、それはそれ、これはこれ。今のこれは異常事態の確認であって、覗きではないのだ。やむを得ないのである。

 そんな風に自分に言い聞かせながら、シャーロットはドアの奥をそっと覗いてみる。


 リザの部屋の中には大小様々な箱が並んでいた。

 その足下には小型のローバーが二機、なんだか途方に暮れたみたいにじっとたたずんでいる。

 そして、部屋の奥の様子を見てシャーロットは息を飲んだ。

 白い樹脂製の箱が二つ、強い衝撃を受けたようにひしゃげて潰れていた。

 なんだか大事そうなものに思える、というかリザが部屋の中に大事じゃないものを置いているわけがないので、きっと大事なものだ。

 事故だろうか……? 事故であんな風になるものだろうか……?


「リザ、大丈夫……?」


 リザからは返事がない。怖い。きっと良くないことが起こっている。

 シャーロットは少しだけ逡巡したが、意を決してリザの部屋に踏み込むことにした。

 今ここにはライルもレイシーもいない。リザはこのざまだ。エレインは昏々と眠り続けている。動けるのはシャーロットだけだ。


「あと、あなた達もね」


 足下にはローバーが二機。

 量子頭脳ではなく比較的シンプルなマイコンで動作する彼らは、機能の多くをリザに依存しており、単独で出来ることは限られている。だが命令してやれば何かの役に立つかもしれない。

 船舶用の量子頭脳については、シャーロットも少しなら知識がある。ライルの役に立つためと、あとは好奇心で、これまで色々なことを勉強してきたのだ。

 今ここで何らかの対応ができるのはシャーロットだけだ。


「まずは、知ることね」


 何事も、まずは知ることだ。何が起こっているのか、何がどう問題なのか、それに対して打てる手は何か、知らないことには何も始まらない。

 シャーロットの手首の――ライルとお揃いの――端末は、エオースの船内システムつまりリザに強く依存しているものの、一応端末内蔵のストレージにも一般的な情報は保存されている。つまり、リザの助け無しでもそれなりに使い物になる。

 幸い、リザの量子頭脳に関するデータは手元にあった。


「電力変換回路……」


 構成図と室内の様子を見比べてみるとすぐに何が壊れているのかが分かった。

 電力変換回路だ。あの壊れた機材は給電系の中でもかなり重要な代物である。しかも二個用意して冗長性を持たせているはずが、併設していたために二個まとめて壊れている。

 これでは人間が呼吸を絶たれたに等しい。

 ……そもそもリザはまだいるのだろうか?


「……最後まで頑張ったらライルとのこと認めてくれるって約束したくせに、その前に死んじゃったりしたら承知しないんだから」


 リザが死んでしまったら、ライルはきっとさぞかし悲しむだろう。それにシャーロットだってリザのことは、まあ、そんなに嫌いではない。

 まずそもそも生きているのかどうかの確認が必要だ。

 今やリザは船内通信も音声会話もできない状態にある。だが、だからといって量子頭脳の機能全てが廃絶しているとは限らない。

 シャーロットは作業着のポケットから汎用ケーブルを一本取り出し、リザの検査用プローブ端子と自分の端末を繋ぐ。

 端末のコンソール上にずらずらとメッセージが流れ始めた。


「……生きてる……」


 量子頭脳はあくまで演算素子であり、リザの人格や記憶などのデータそのものは量子頭脳に外付けされた不揮発ストレージに格納されている。そういう意味では、リザの人格は既に保全されているし死なないとも言える。

 だが量子頭脳は電気的にデリケートな存在であり、大きな電流が急に流れたり、逆に電力を急に遮断したりすると、簡単に壊れてしまう。そして安全に停止するまでには一時間以上も電力を供給し続ける必要がある。

 たとえストレージ上のデータが無事だとしても、量子頭脳が壊れてしまったらおしまいである。


 船舶用の量子頭脳には小型のバックアップ用バッテリーが備えられている。

 これはメンテナンス時の不慮の瞬断などに備えるためのもので、最小稼働状態で数分程度持たせられる程度の容量がある。

 だがあくまですぐに給電が回復することを前提としたものであり、量子頭脳を安全に停止できるほどの時間は稼げない。

 人間が息を止めて水に潜っているようなものだ。

 現にリザは量子頭脳の緊急停止を試みるも、今なおバッテリーの電力は刻一刻と使い果たされようとしている。


 電力が必要だ。

 大容量は必要ない。あと数十分、リザが量子頭脳を壊さずに停止できるだけの時間を稼ぐ、それだけの電力があればいい。

 そこでシャーロットは彼らと


「手伝って」


 彼らがいた。足下でまごまごしている二機の小型ローバーが。

 ローバーには外部に電源供給するためのコネクタが用意されている。容量自体はあまり大きいとは言えないが、汎用性が高くかなり細かい設定が可能だ。応急的にローバーを電源代わりに使えるのではないだろうか。

 だが、手伝ってと言われたローバーはというと、相変わらず途方に暮れたように動かない。

 量子頭脳を持たない彼らは、黎明期のコンピュータに比べれば遙かに柔軟なものではあるとはいえ、自ら決断する能力はない。指示はなるべく具体的にしてやる必要がある。


「えっと、手伝ってっていうのは、給電ケーブルを出して、そっちのあなたは……」


 ローバーそれぞれに必要な電圧と電流を指定していく。

 ……足りない。

 概算してみるが楽観的に見積もっても必要な電力が満たせず、必要な一時間は持たなさそうだ。

 だがこうして迷っている間にもバッテリーはどんどん枯渇に向かっている。別のプランを検討している余裕はない。


 シャーロットは腹を括ることにした。

 白いカバーを一枚ひっぺがし、ローバーから引っ張った電源ケーブルを、むき出しになった回路の一つに無理矢理クリップで直結する。

 クリップを取り付けた場所は端末に自動算出させたものだが、これが正しいかどうかなんて検証している余裕もない。


 そして検査用プローブからの情報を恐る恐る確認する。


「いける……?」


 ぶっつけ本番だったが、バッテリーの減るペースがかなり緩やかになっている。

 そこでシャーロットはようやく息がつけた。


 だがやはり一時間は無理そうだ。三〇分でもきついかもしれない。このままでは量子頭脳を安全に停止させる前に、再び危機が訪れることになる。

 幸い今のところリザの容態は安定しているように見えるので、さしあたってこの場を離れること自体は可能そうだ。

 シャーロットは自分の端末を使って何か使えるものはないか検索を試みるが、予備機材の在庫管理はリザが一括して行っており、リザの助けなしでは何がどこにあるのかさっぱり分からない。あの壊れた電源回路の予備も船内のどこにはあるのかもしれないが、今からシャーロット一人で探しているうちにリザは死んでしまうだろう。

 アイラに助けを求めるというのも一瞬脳裏に浮かんだが、通信がダウンしているということであれば、アイラと会話できる場所に行くこと自体が一苦労だ。


「ライルがいてくれたらなぁ……」


 ライルはシャーロットのご主人様ではあるが、彼個人が頼りになる人物かというと実は全然そんなことはない。

 優柔不断だし、ちょくちょく間が抜けたことをするし、なによりいつもレイシーにばかり鼻の下を伸ばしてシャーロットへの対応がおざなりなのが実に嘆かわしい。

 でも良いところもある。ライルはこの退屈で代わり映えのしないアストリアに、目が覚めるほど色鮮やかな日々をもたらしてくれた。ちょくちょくめんどくさいことも起こるけれど、彼のいる世界は新しくて素敵なことでいっぱいだ。

 きっとライルが側にいてくれたら何もかも上手く行っていただろうに。


「ま、いないものは仕方ないわ」


 時間がない。切り替えていこう。

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