カタコンベ
そのそれなりに大きな部屋にいたのは、ざっくり見て老若男女合わせて三〇人くらいだろうか。
もちろん生存者がいるようには見えない。
争った気配などは特になく、みんなまばらに倒れており、恐らく全員が酸欠で比較的短時間のうちに意識を失ったのだろう。
若干残されていたという空気は、人間が生存するのには全く足りなかったものの、人体が即座に真空乾燥してしまわない程度の役には立っていたようだ。むしろそのせいで、遺体の多くは半分ほど腐敗してから乾燥したように崩れている。
この空間に先ほどまで残されていた気体も、いくらかは嫌気性細菌による腐敗ガスの残滓かもしれない。完全な気密性の保たれた船外服に感謝するべきだろう。
ちらりとレイシーの方を覗う。
この凄惨な光景にも彼女は全く動じていない……ということはないし、顔面は蒼白ではあったが、少なくとも酷く取り乱すということはないようだ。
例の慣熟訓練はそれなりに効果を上げていると考えて良いらしい。
そんなことを考えつつ正面に向き直ると、僕自身の額から汗が一筋流れてきていることに気付いた。目に掛かる前に軽く首を振って振り払う。
「さて、どこから手を付けたものかな……」
これだけの数だ、遺体を回収するのはリザに言われるまでもなく現実的ではない。
埋葬のために遺体の一部――例えば遺髪とか――を集めるとしても、衛生面の問題からリザが嫌がりそうだ。
だがまあ、とりあえず的にやることは、ドクター・ウォーカーの時と同じだろうか。
「リザ。死亡時の状況を端末から取りだしたい。ローバーを貸してくれる?」
「いいです、けど、今やる、のですか?」
「だって他に手を付けるところもなぁ……」
この手の調査のとっかかりとしては、やはり端末の記録を調べるのが基本である。
死亡前後の状況を克明に記録しているし、法執行機関が捜査するときにも真っ先に当たる場所だ。端末のデータを復号するための暗号鍵も入手してあるし、要するにドクターの時と同じ。
上手く行けば、というのも変な話ではあるが、ドクターのように遺書を残している人もいるかもしれない。
問題は数が多いということだろうか。
全部の端末からデータを取り出して目を通すのには時間が足りない。情報量の多そうな遺体に適当に目星を付ける必要がある。
まず手始めにデータを失敬するとすれば、部屋の真ん中あたりの遺体であろうか。端末には死亡前後の周囲の情報が保存されているはずなので、見通しの良い場所の遺体が適しているだろう。
そんな風に僕が首をひねっていると、横からレイシーが控えめに小さく手を上げた。
「ライル様」
「……なに?」
「今この場でデータを調べる必要はあるのでしょうか? 一通り端末だけを回収して後から調べることは出来ませんか?」
彼女の意見は何故か僕の意識からはすっぽりと欠落していたものだった。
なるほど、今ここで調べる必要性は特にない。
端末だけ取り外してまとめて持ち帰ってゆっくり調べればいいし、その端末自体が慰霊碑に収める遺品としても使えるだろう。
「……なるほど」
ある意味当然すぎる指摘に大いに納得するとともに、そんな当たり前のことが思い浮かばなかったことに僕は自ら驚きを感じていた。
レイシーに散々偉そうなことを言っておきながら、この凄惨な光景に動揺していたのはどうやら僕の方らしい。
嘆息する。
「それでいいね。リザ、端末だけ回収しよう……って、これどうやって外そう?」
「いつもの、警察用の、暗号鍵で、外れる、のです。ローバーに、やらせる、のです」
リザに命じられた小型ローバーが僕の足下にやってくると、その背中からマニピュレーターアームがにょきにょきと伸びた。
そして滑らかな動きで遺体の手首から端末を外し始める。
個人用端末はセキュリティのため本人以外には容易に外せない作りだが、例によって法執行機関用の暗号鍵でいいらしい。
僕も試しに手近な遺体に恐る恐る手を伸ばし、自身の端末を操作してコマンドを送り込むと、遺体の端末はポロリと簡単に外れて床に落ちた。
「私も手伝います」
「ここは、ローバーに、任せれば、いいのです」
レイシーが端末回収を手伝おうと小さく手を上げるが、リザに止められる。
リザはそのまま僕の方に顔を向けると、部屋の奥のドアに指さした。
「他のドアも、調べる、ですか?」
「……そうだね」
ここの端末回収は小型ローバー一つで事足りるだろう。
……と、そこで僕は、今更ながら確認し忘れていたことに気付いた。
つくづく今日の僕は間が抜けている。
「リザ、ビーコンの一覧をこっちに回して」
「はいです」
リザに命じると僕のヘルメットにビーコンの一覧が映し出された。
表示と端末所有者の名前と性別だけに絞る。
検索条件、性別は、女性。
――検索対象とする名前は、レイシー・ウィットフォード。
「……該当なし、か」
ビーコンの出力は非常に小さく壁の透過性も悪い。本来は船内に張り巡らされた無線システムで拾うことを前提としているのだから仕方ない。この船内なら到達距離は一〇〇メートルもないだろう。
そして少なくともその範囲内の数百個の反応の中に、ミス・ウィットフォードはいないらしい。
もっとも、全ての人間が間違いなく端末を身につけているという保証があるわけではない。ドクターの話を信じるなら、彼女は冷凍睡眠から起こされてさほど時間が経っていない可能性が高いので、端末は身につけていないかもしれない。
「ライル様、大丈夫ですか……?」
「……ああ」
レイシーの気遣わしげな声に、僕は僅かに息を飲んだ。
一瞬だけ、僕を見つめるこの美しい少女が、足下の遺体の無残な表情と、重なって見えたように感じたのだ。
……我ながらこんなにナイーブだとは思わなかった。
ドクターは比較的穏やかに干からびていたので何ともなかったのだが、これだけの数の遺体が半ば朽ちた状態で大量に転がっているというのは、実に……良くない。
嘔吐するほどではないのが不幸中の幸いだ。船外服のヘルメットの中で吐瀉物をぶちまけでもしたら大惨事である。
「……慣熟訓練、僕も受ければ良かったな」
「ライル様が? 三原則の慣熟訓練をですか?」
「度胸を付けるためにね……」
遺体の山に取り乱すかと思っていたレイシーが意外と落ち着き払っているので、僕の腰抜けっぷりが際立っているような気さえする。
彼女がこれだけ冷静に対応できるようになるなら、案外僕も同じ訓練を受ければ効果があったりしないものだろうか。
僕がそんなことを考えていると、レイシーが少し不思議そうに首を傾げつつ更に訊ねてきた。
「ライル様は彼らの死に責任を感じておられるのですか?」
「いや、そういうわけじゃないけど、単にちょっとグロいのが苦手っていうか……」
「私の受けた慣熟訓練は、人間が死んだり傷ついたりしているのを見た時に、必要以上に自分の責任と捉えないためのものです。ライル様の期待されるようなものではないと思います」
……つまり、何か違うのだろうか。
「私達シミュラントの感受性が低いのはニューロチップによるものです。慣熟訓練とは関係ないかと」
「……そういえばシャーロットがそんなことを言っていたね。その点に限ればニューロチップが羨ましく思えるよ」
なるほど。
ニューロチップは、視覚や聴覚などの処理を脳の途中で部分的に乗っ取り、感覚情報を良く言えばマイルドに悪く言えば鈍くしている、という。
まあ以前からそのこと自体は、ロボット工学の三原則に注力させるための機能として、製造者であるアイラから説明もされていた。
だが実際にどの程度の差があるのかは実に怪しいもので、実際にニューロチップの有無でどの程度の違いあるのか、定量的な比較どころか主観的な比較すら最近まで行われていなかったのだ。
『自らニューロチップの不調を訴えた』のはシャーロットが初めてだった。実際のところ、ニューロチップの感覚緩和機能について、シャーロットのおかげで初めて得られた臨床的知見は多い。
「ライル様が人間の遺体を見て身の危険を感じるのは正常な反応です。ご気分がすぐれないのであれば離れて休まれますか?」
「……いや、いいよ」
僕にもここでレイシーにあまり格好悪いところは見せたくないという程度の矜恃はある。
軽く深呼吸をしてから周囲を見回す。
無残なものである。
部屋の隅に仰向けになっている遺体など、十代にも満たないくらいのほんの子供だ。
宇宙は過酷な世界だ。元来人間が生きていくのに適した世界ではない。
今もこうやって僕らがいる場所が、ほんの少しの間違いで絶対的な死をもたらされるような、脆弱で哀れな世界であることを再確認させられている。
このアストリアでは数万という人間がこんな風に死んだのだ。
小型ローバーが子供の遺体の足首から端末を取り外している。
それからきっかり三〇分、僕達は辺りのドアを適当に開けては遺体から端末を回収した。
ローバーの手際が良かったこともあり、集まった端末は軽く数百個にのぼる。
その中に、ミス・ウィットフォードのものは、なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます