船尾ブロック

 リザはいつものように小型ローバーに乗り、僕とレイシーは大型ローバーに同乗し、通路を進む。

 そして、ほんの数分ほど進んだところで、僕は異変を感じた。

 ちらりと視線を送るとレイシーと目が合う。彼女も気付いたらしい。

 僕はこつこつと自分の船外服のヘルメットを軽く指先で叩きながらレイシーに言う。


「かなりの数のビーコンが生き残ってるね」

「そうですね、しかもこれ……」

「うん……人間がいる……大量に」


 ビーコンは一定時間ごとに間欠的に動作するため寿命が非常に長い。

 特に人間が携帯するタイプの個人用端末に搭載されたものは、出力が低下しても発信の間隔を延ばすことで電力消費を抑え、状態が良ければ数百年持ってもおかしくはない。

 だからこのような給電が完全に途絶したブロックでも、ビーコンだけが生き残っているのは別に不思議なことではないのだ。

 実際、ドクター・ウォーカーの端末は電力のないエリアでビーコンだけが生き残っていた。


 だがそれを差し引いてもこの状況は異常だった。

 今僕のヘルメットの内側には、まるで星空か何かのように反応が表示されている。

 そのほとんどが人間の端末が発している信号だ。


 もちろん、生存者のものとは考えにくい。

 その一方で、万が一という可能性も脳裏に浮かばないではない。

 どうしたものかと僕が迷っているうちに、リザに声を掛けたのはレイシーだった。


「リザ、人間が生き残っている可能性はありませんか?」

「あ?」


 リザがやや煩わしげな視線を向けてくる。

 若干凄むような雰囲気を醸し出すリザに、レイシーは一瞬怯んだもののぐっと正面から視線を受け止めた。そして彼女にしては珍しくそのまま反論する。


「電力だけの問題なら、小型の発電機とか蓄電池とか、そういうものを使って人間が生き延びている可能性は、絶対にないとは言えないと思います」

「……無いことに、するのです」

「どういうことですか? つまり人間が生存している可能性が、完全には否定できないということでしょう? リザは第一原則による人間の保護を――」

「ライルさんを、危険に晒すつもり、なのですか?」

「それは……」


 レイシーをあっさりと言い負かし、続いてリザはちらりと僕の方を見やる。

 リザの作り物の瞳は何も語らない。

 だが僕には分かる。彼女は迷っている。


 この状況下で百年以上に渡って人間が生き残っている可能性は、限りなくゼロに近い。

 これが一〇年や二〇年といった話であれば、完全に無視するわけにも行かなかっただろう。

 だが、この区画が電力を失ってから百年以上が経っているのである。仮に非常物資だけで生きながらえていたとしても人間には寿命というものがある。生存者が子供を作り世代交代して生き残っている可能性となれば、なおさら絶望的だ。


 そんな天文学的に低い可能性に対して、僕の危険は有意なものとして存在している。

 余計な探索をすればそれだけ不測の事態が起こる確率を上げることになるし、時間そのものにも余裕がない。

 あのエアロックに無理矢理横付けした連絡艇だって、どの程度あの場にお行儀良く張り付いていてくれるかは定かではない。


 リザとレイシーの視線が僕に集中する。

 また例によって判断するのは僕らしい。まあこの現代において人間がやることと言ったら決断くらいしかないのだが。

 嘆息し、口を開く。


「リザ、こちらからも信号を打ちながら、三〇分だけその辺を見て回ろう。『生存者はいなさそうだ』という確認は一応しておいた方がいいと思う」

「……分かった、のです」


 リザはそれ以上抵抗はしなかった。彼女なりに思うところはあったのかもしれない。

 僕はヘルメット内の表示を切り替え、各ビーコンの位置が実際の視界と重なるように調整する。これで見やすくなった。

 さてでは適当に近くのビーコンが集まっている場所から探すとしよう。


「先に言っておく、のですが……」

「ん?」


 ……と思ったらまだリザには言うことがあったようだ。


「この反応全て、人間の遺体と思われる、のです」

「あー、そうだね……となると、レイシーはどこかで待って貰った方がいいかな……」


 この光点全てが人間の遺体となると、ドアを一つ開けるだけで大量の遺体とご対面ということになりかねない。

 いくらレイシーが慣熟訓練を受けたとはいえ、わざわざ積極的にショッキングな現物を見せる必要もあるまい。

 というようなことを僕は危惧したのだが、リザはあっさりと首を横に振った。


「それはどうでも、いいのです、が」

「……いや良くないけど、何?」

「遺体を、回収する余裕は、ないのです」


 ……そうだ。確かにそうだ。僕とレイシーが徒歩に切り替えるとして、大型ローバーで収容できる遺体はせいぜい一つか二つ。

 そして、その枠はミス・ウィットフォードに使うと決めてある。

 住人の遺体を持ち帰って埋葬するというのは難しいだろう。

 ともあれ――


「レイシー、君はここで待ってて。小さい方のローバーを残しておくから」

「ライル様、私も行きます」


 意外なほど即答された。

 なんだろう。最近なんだか僕の意見が妙にカジュアルに反対される風潮を感じる。

 いや、その、彼女達の自由意志をなるべく尊重したいのは山々なのだが、船長代理だとか人間だとかそういう権威的なものが、うん、複雑だ。

 ……とはいえ、ダメだ残れと言いたいものの押し問答するのも時間が惜しい。


「少しでも気分が悪くなったりしたらすぐに下がること。いいね?」

「はい」


 彼女の受けた慣熟訓練がどの程度役に立つのか分からないが、いきなりトーマスやシャーロットのようにはならないと期待しよう。

 僕は周囲を見回し、光点の多そうなドアを適当に見繕う。


「リザ、あれはどうかな。えーとそこの右の四つ目のドアのとこ」

「見てみる、のです……」


 リザは特に反対するでもなく、ローバーを降りると僕の指定したドアに近づいていく。

 そしてドアをしばらく調べていたかと思うと、ものすごくめんどくさそうな目を僕に向けた。

 とはいえ、ロボットである彼女が労力を厭うわけはないので、僕の安全に問題があるとか時間を浪費しそうとかそういうことなのだろう。


「リザ、どうかした?」

「空気が、残っている、のです。四分の一気圧くらい、ですけど」

「それって、与圧が保たれている、ってこと?」

「ん……」


 リザはドアにローバーからケーブルを繋いで何やら確認している。ローバーから電力を供給してドアの自己診断プログラムを走らせているようだ。

 ドアのこちら側は既に空気が抜けた状態で、あちら側に空気残されているなら、理屈の上では――あくまで理屈の上ではだが――あちら側に生存者がいる可能性を考慮する必要がある。

 とはいえ常圧の四分の一まで減圧しているとなると、人間が長時間生存できる数字ではない。


「何らかの急減圧が、あった後、気密は回復したものの、再与圧が途中で止まった、みたい、なのです」

「つまり、考えられるのは……」


 空気の漏れは何とか止めたものの、時既に遅し、そのままみんな死亡、ということか。

 面倒なことだ。何が面倒って、宇宙船では『空気が抜ける』ような操作をする時は、内部の安全に配慮するなどの決まりがあるのだ。

 果たしてどうしたものかと僕が思案していると、リザがじっとこちらを見ていることに気付く。

 どうやら僕が責任を負ってゴーサインを出さなければならないらしい。


「……開けよう。開けるかどうかで人間の生き死にに関わるとは考えられない」

「では少し、待ってください、なのです」


 リザはローバーのケーブルを外し、ドアの隅のカバーを開くと隠されていたレバーをぐいと引き出した。

 宇宙船のこの手のドアには必ず物理的に強制開閉するための仕組みが用意されている。偏執的なまでに電子制御が行き届いた現代にあってもなお、非常時において最後の最後にものを言うのは原始的かつ物理的な腕力なのである。

 停電時のみならず人工知能の反逆といった事態をも想定されており、人間の主導権への妄執とすらしばしば言われる仕組みであったが、非常時には実に有用であることも確かだ。

 実際、アストリアに来てからこの強制開閉レバーの助けを借りた回数は数知れない。


 ガチャリ、という音は、まあ、もちろん真空なのでしなかった。

 リザが力一杯レバーを回すと、音もなくドアが開く。


「げ……」


 ドアの中をちらりと覗き見て反射的に僕は呻く。

 そこには人型の何かが一目見て分かるくらい大量に転がっていた。

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