侵入
エオースが停泊しているのも、僕のためのゲストハウスやシミュラント居住区などがあるのも、もしくはアイラの量子頭脳システムが置かれているのも、全て船首側だ。
そのため、船尾側の外殻に近い重力区画にあるドクターの研究室に行くためには、それなりの工夫が必要だった。
更に大きな問題があり、アストリアは人工重力の発生に遠心力を利用している。これはつまり、直径一〇〇〇メートルほどもある巨大な円筒が、ほんの一分そこらで一周という猛スピードの回転をしていることを意味する。
当初想定されたのは素直にいつもの船首側から船内を進むルートだったが、船内は大きく破損しており研究室までのルートは確立の目処が立っていない。
現在の開拓ペースでは下手すると数ヶ月単位になりかねないため、このプランAは破棄された。
次に検討されたのが、静止している船尾に連絡艇でランデブーし、そこから人工重力区まで降りるプランだった。
だが船尾側は電力が完全にダウンしており、つまりいつも僕らがアストリアとエオースを行き来するのに使っている加減速区が利用できない。
そのため無重量環境である『軸』区画から、人工重力区の『地面』に安全に降りることが難しく、またそこから研究室までの距離も長いことから、やはりこのプランBも破棄された。
続いて検討されたのは、高速で回転したままの側面に、接線方向から連絡艇の速度を合わせてランデブーし、側面のエアロックに強引に力業で固定するというプランだ。
これなら研究室に最も近いエアロックから侵入できるため、船内ルートの安全性も期待できる。
だが、このプランCはランデブーそのものの難度が高いとしてリザが反対して破棄された。
最終的に残ったのは、アストリア自体の回転を止めて船全体を無重量状態した上で、プランCと同様に側面からランデブーするプランDである。
これならばランデブーは容易だし、研究室の近くから侵入できるし、言うことなしである。
だが、当然ながら、辛うじて小康状態を保っているアストリアの回転を止めるなど、下手をすると負荷でアストリアそのものがバラバラになりかねず言語道断であるとして、アイラが猛反対してプランDも破棄された。
こうして全プランが破棄された。
まあ少なくとも一旦は。
では今どうして僕達は連絡艇に乗っているのか。
結論から言えば、プランCが一番マシであるとしてリザが説得される形になった。
高速で回転する円筒の表面にランデブーするというのは、かなりの高精度が要求される上に乱暴な話ではあったが、可能か不可能かで言えば可能である。
連絡艇をアストリアの外壁に係留する猶予時間がたった五秒しかないというえらく神業的な話ではあったが、これも最低三本のケーブルで係留出来ればあとはどうとでもなる。失敗したら即座にケーブルを切って離脱することもできる。
そんな形でアイラに言い負かされる形となったリザは、本当に渋々に――ロボットにそのような感情は存在しないはずだが外形的には全くそのように表現するしかない様子で――プランCを受け入れたのだ。
「あと二〇秒でランデブーなのです」
僕は連絡艇のエアロックでリザの予告を聞き、両手で手すりを強く握りながら身を縮めた。
ランデブーに成功しようと失敗しようと、それなりの衝撃は避けられない。既に僕もレイシーも完璧に船外服を着込んでおり、エアロックの空気も抜かれている。
僕らの身体を壁面に固定しているベルトは、計算上十分にその機能を果たすはずではあったが、それでも身がすくんでしまうのは人間の心理としか言いようがないだろう。
「三……二……一……ゼロ」
リザのカウントダウンがあり……
――ガツン――
衝撃と共に、僕らの身体は1Gで壁に押しつけられた。
恐れていたような不規則な衝撃はほとんどない。
ヘルメットのシールドを兼ねたディスプレイ上に、ケーブルが正常に接続されたことを示す緑の表示が次々と追加されていく。連絡艇が四本のケーブルで係留できた時点で、僕は少しだけ息を吐いた。やや遅れて合計八本のケーブル全てが緑表示になった。
「接続完了、なのです」
リザは実に素晴らしい腕前を発揮し、見事面倒なランデブーを成功させていた。
今この連絡艇は、アストリアの回転する外壁にケーブルで繋がれ、ちょうど外向きにぐるぐると振り回されるような状態になっている。
船外カメラにはアストリア側の気密扉が映し出されている。ローバーが並んで入れそうなくらい大型のものだ。
そのままケーブルをギリギリと巻き上げて、連絡艇がアストリアに押しつけるように固定される。
「とりあえず、ライルさんと、レイシーは、少し待ってて下さい、なのです」
僕らはいま外向きに遠心力が掛かっており、つまり連絡艇の側が下、アストリアの側が上、という状態にある。
つまり、これから『天井』のドアを開けてアストリアの船内まで『登る』必要がある。
まあ、僕やレイシー、もしくはリトル・リザのボディなどはいいのだ。ローテクだがいざとなればハシゴで登ってもいい。
実際、最初に上がったリザは器用にハシゴを登っていった。
問題はローバーをどうやって引き上げるかである。
といっても選択肢が大してあるわけでもない。リザが先行して船内にケーブルを固定し、そのケーブルをローバーが自分で巻き上げるように登ることになる。
傍から見ると巨大な蜘蛛が糸を登っているみたいな図だ。
ちらりと視線をやると、レイシーは無言のまま息を飲むようにエアロックの向こう側のアストリアを見上げている。念のため僕の端末から彼女の船外服にアクセスして確認してみたが、特に怪我などもないようだ。
彼女の視線の先ではリザの張ったケーブルを大型ローバーがよじ上っている。
この連絡艇のペイロードはそれなりにあるが、大型ローバーを何体も運べるほどでもない。今回は大型を一体、小型を四体、船外にぶら下げて連れてきている。
大型ローバーを引き上げるのには五分ほど掛かった。
一番面倒な大型ローバーさえ上がってしまえばあとは簡単で、小型ローバーについてはケーブルで繋いで大型ローバーがアストリア側から引き上げるだけで良い。
最終的に僕とレイシーが連絡艇のエアロックに残されたので、先にレイシーを上がらせ、最後に僕が上がる。
といっても船外服のベルトにケーブルを繋いだら、後は上からローバーに引き上げて貰うだけだ。
特に危なげもなくアストリア側に上がると僕は小さく息をついた。
「ライルさん、問題はない、ですか?」
「うん、大丈夫だよ」
僕はリザに答えながら侵入したアストリア船内を見回した。周囲は完全に停電しており真っ暗だ。例によってローバーの投光器だけが頼りである。
侵入に使ったエアロックの気密扉はちょうど『床』に当たり、開きっぱなしでは危険なので一旦閉鎖することにした。非人格型コンピュータに管理させているとはいえ連絡艇が一旦『無人』となるのは少々不安だが、やむを得ない。
……これで全ての用事を片付けていざ戻ってきて、エアロックを開けたら船がなかった、なんてことはないことを祈ろう。
「このあたりはあまり傷んでないな……」
「電力は、死んでいるような、のです」
投光器に照らされた通路を見る限り、これまで探索してきた船首側と比べるとむしろダメージは少ないように見える。
先ほどからリザがローバーを壁の端子に繋いで何やらやっているが、しばらくやってから諦めたように端子を外してしまった。
どうやら構造物としてはそれなりの健全性を保っているように見えるものの、電気的には完全にダメになっているらしい。
「反物質タンクを、さっさとパージしたのは、英断というべきか、なんというべきか、なのです」
「船尾側がこの調子じゃあね……」
アストリアのメインエンジンは当然ながら船尾側に取り付けられており、最も大きな反物質燃料タンクもそこに併設されていた。
この反物質とかいう気難しい危険物は大変なかんしゃく持ちであり、いつでも手近にある物質を片っ端からプラズマと光子の雲に変えてやろうとうずうずしている悪魔だ。
こいつを飼い慣らすには一瞬の隙もない強力な磁場の檻で、それこそ悪魔でも捕まえるような厳重さで封じておく必要がある。これはすなわち電力の供給が一瞬たりとも途絶えてはならないことを意味する。
アストリアの送電システムが破綻して燃料タンクが維持できなくなる前に、住人達が燃料タンクを
もっとも、船尾側の送電システムが破綻する原因となった暴動自体が、燃料タンクの喪失でメインエンジンが二度と使えなくなったことへの不満と対立に端を発しているのだから、なんともはや皮肉な話である。
だがまあ、電気系はともかく通路などへのダメージが少ないのは良いことだ。これなら事故前の地図がほとんどそのまま使えるだろう。
「んじゃ、行こうか」
「ライルさんは、うしろ、なのです」
言った先からリザが、大型ローバーのマニピュレーターを使って僕の船外服のベルトを掴む。
……いや、別に独断専行するつもりはなかったし、ただ掛け声を掛けたかっただけなのだが、つくづく僕はリザの信用を失っているらしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます