連絡艇

 駄々をこねるシャーロットを置いてくるのが一番面倒だった。


 小型の宇宙船が、ゆっくりとエオースを離れる。

 この連絡艇ランチと呼ばれる宇宙船は、小型の割には、そして名前の割には、かなり高性能かつ多機能なものである。

 文字通り人間を乗せて運ぶこともあれば、大型のマニピュレーターアームを装着することで船体の修理などを行うのにも使われる。

 とはいえ今日の用途は完全に人員運搬用だ。


 乗員は僕とリトル・リザ、そしてレイシーの三人。詰め込めば軽く十人くらいは乗れる船なのだが、不安要素を減らすために同行させるシミュラントは一人に絞り、レイシーということになった。

 いや本当は、その場でニューロチップの解除処置ができるよう、シャーロットを連れて行こうと思っていたのだ。そうしなかった、もしくは出来なかったのは、要するにリザが許可しなかったからである。先日の事故でシャーロットの信用は地に落ちている上に、そもそもリザは彼女のニューロチップの健全性を全く信じていない。


 当然連れて行って貰えるつもりで好奇心で目をキラキラさせていたシャーロットに、君は留守番だと告げる役目は、何とも心苦しかった……。

 というか、あの役目は僕がやらなければならないものだったのか?


 連絡艇の操船はリザが行っている。

 僕も訓練は一通りこなしてあるが、僕が操船しなければならない状況になったら、その時点で九割方詰んでいると言っても良い。

 それでも僕に訓練が求められたのは、人間が乗船する時は少なくとも一人は手動で操船出来なければならない、という法規制があるというのに尽きるのだが、このご時世ではその有効性も疑わしい。

 無駄な訓練をさせられた気がしてならない。


 さて、行き先はドクター・ウォーカーの研究室。

 探すのはまずシミュラントのニューロチップを解除するためのプログラム。これはドクターの施したプロテクトにより、人間である僕がいないと回収できない。僕はそのために今日ここにいると言っても良い。

 それからミス・ウィットフォードの足跡を追うこと。彼女のための冷凍睡眠システムはドクターの研究室に併設されていたという。

 ドクターはミス・ウィットフォードの解凍処理を助手に命じていたというところまでは分かっているが、その後どうなったのかが分からない。

 可能であれば、彼女を見つけて……回収したい。


「レイシーは本当に大丈夫?」

「何がでしょう?」

「その……ミス・ウィットフォードのこと、とか」


 今日の調査は、ミス・ウィットフォードの捜索が目的に含まれている。

 それはつまり、を回収する、ということだ。

 ドクター・ウォーカーの遺体を発見した時は不測の事態ではあったが、今回は違う。はっきりと明確な意思を持って、人間の遺体を捜索し可能であれば回収するつもりだ。

 そのために、今回の同行にあたってレイシーは事前に、人間の遺体に直面した時のための慣熟訓練を受けてもらっている。

 彼女が受けたのは最も初歩的なプロトコルではあるが、人間が負傷したり死んだりする映像を、しかも徐々に過激になっていくものを延々見せられたりという、ロボットでなくとも過酷な代物である。

 ……いやもちろん無理矢理受けさせたのではなく、彼女には同行しないという選択肢もあったし、僕はそちらを勧めたのだ。

 だが、レイシーは、今回の調査に同行することを強く希望した。


「慣熟訓練を受けたのは知ってるけど、ミス・ウィットフォードは、君の……オリジナルだ。もし彼女の、その……遺体に、君が鉢合わせたらどうなるのか、僕はそれを危惧してる」


 三原則ストレスに対する慣熟訓練は、リザのような量子頭脳を使ったロボットに対しては十分に実績ある技術ではあるが、シミュラントのニューロチップにどの程度効果があるのかは実はよく分かっていない。慣熟訓練を施したシミュラントに、本物の人間の遺体を見せてみるような実験なんてものは、実際には行われていないからだ。

 ましてやミス・ウィットフォードとレイシーは極めてにある。

 本当に鉢合わせてしまった時に何が起こるか、正直なところ全く想像が付かない。


 だが、僕の言葉にレイシーは小さく首を横に振る。


「私はオリジナルの遺体と向き合う覚悟は出来ています。断言できるわけではないのですが、多分、問題ないと思います。むしろ……」

「……むしろ?」

「ライル様は大丈夫なのですか……? オリジナルは、ライル様の……特別な方だと……」

「……うーん……」


 彼女が聞き返してきた内容に、僕は少しだけ悩む。

 僕にとってミス・ウィットフォードは、なんというか、二百年来の憧れの少女だ。

 そして、多少のうぬぼれが許されるのであれば、彼女から僕への心証も、まあそんなに悪い方ではなかったのではないかと思う。

 なるほど、そんな彼女の死をこれから確認しようというのだ。しかも、それはまるで眠るかのように美しい姿とは行かない状態だろう。

 だが、その割には、不思議なほどに僕は落ち着いていた。


「……ライル様?」

「思ってたより大丈夫そうかな」


 僕の中ではミス・ウィットフォードの存在は今でも大きく、もし彼女の死を確認したら平静で居られるとは限らない。いや、その時になってみれば、きっと僕はみっともなく取り乱すに違いない。

 でもそれで二度と立ち直れないほどかというと、そんな気もあまりしなかった。

 僕にとってミス・ウィットフォードの位置づけも、この二ヶ月ほどで変わりつつあるのかもしれない。


 と、そこで唐突に、僅かな横向きの加速度を感じた。

 リザが連絡艇の方向を変えたようだ。それに合わせるように、リザはちらりと視線だけこちらに向けながら言う。


「レイシー。到着までもう少し、時間があるですが、お前はのろまなので、今のうちに、船外服に着替える、のです」

「あ……はい……」


 リザに促されてレイシーが連絡艇後部の更衣室に向かった。

 着替えるといっても後はヘルメットを被ってバックパックを付けるだけなのだが、確かにレイシーはこういうことをさせるとちょっと鈍いというか、割と時間がかかる方である。

 そうやってレイシーを追い出したリザが、まだ何やら言いたげに僕の方を見ている。


「リザ、どうかした?」

「ライルさんは、本当に大丈夫なの、ですか?」

「……何が?」

「プログラムだけ、回収したら、ここで待っていてもいい、のです」


 リザ、いや既にエオースから離れているため制御を任されたリトル・リザが、たどたどしい口調で、しかしはっきりと僕に告げる。

 ドクターのプログラムを回収するのに僕は必要だが、ミス・ウィットフォードの捜索に僕が必要なわけではない。

 というよりも、はっきり言って邪魔だろう。

 先日の負傷以来、リザは僕の身の安全に対してかなり神経質になっている。これまで自由だったエオースとアストリアの行き来も、はっきりと制限してくるようになった。

 どうやら僕は彼女からの信用をかなり損なってしまったらしい。

 それでも絶対にダメだと言ってこないあたり、相変わらず僕は甘やかされているなとも思うわけだが。


 彼女が危惧していることも分からないではない。

 今向かっているのはエオースが係留されていてアイラの管理もある程度行き届いているのとはほぼ反対側、アストリアの機能が失われて以降はどうなっているのかもよく分からない部分にあたる。

 危険性という意味ではこれまでで最も危険な場所と言える。

 ローバーに先行させるとしても限度がある。しかも、今日付いてきているのはシャーロットではなくレイシーで、彼女は慎重な代わりにいざという時の瞬発力に欠ける。

 僕はしばらく考えて、自らのわがままにいくらかの譲歩が必要であることを認めた。


「リザ、ドクターの研究室までは行く。それから冷凍睡眠システムは自分の目で見ておきたい。そこから先はリザが危険だと判断したら大人しく従う。どうかな?」


 僕としてはかなり譲歩したつもりだったのだが、リトル・リザの作り物の瞳は感情を映さないままじっと僕を見つめている。

 彼女はこうしているうちに僕が折れるのを待っているのかもしれない。

 無言の交渉が続き、そして最終的に折れたのはリザの方だった。


「分かった、のです」


 船外カメラを映し出したディスプレイにアストリアの巨大な船体が大写しになった。

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