サミー

 その日、トーマスが居住区に戻ると、エレインが出迎えてくれた。

 よほど顔色が悪く見えたのか、彼女は気遣うようにこちらの顔をのぞき込んでくる。


「トーマス、どうかしましたの? ライル様からのお呼び出しと聞きましたが、それほど重要な案件だったのですか?」

「……先日の停電のせいでライル様がこちらに来ることをR・エリザベスに禁じられてしまったようでして」

「あら」


 エレインが口元に手を当てて驚く。

 彼女はトーマスと同時期に製造されたシミュラントで、大体同じタイミングで冷凍睡眠してきたため、いわば彼にとっては幼なじみにあたる。

 主観時間で三十年近くも共に過ごしている、トーマスにとっても最も信頼できる同僚の一人だ。


「ライル様がいらっしゃってから二度目の停電ですものね」

「ええ、本当に間が悪い。レイシーとシャーロットも本格的にあちらに住み込むことになるようです」

「それは寂しくなりますわね」


 レイシーもシャーロットも元よりライルにあてがうために作られたものだ。そういう意味ではライルの手元に行くのは本来の姿とも言えるが、ライルにアストリアへ定住して貰うというシミュラント達の目論見からは完全に逆行してしまっている。

 それどころか、どうも既に彼女達はニューロチップ解除を決断し、ライルと共にエオースで旅立つつもりでいるようにすら思える。

 この先のことを考えるとトーマスは暗澹たるものを感じずにはいられなかった。


「エレイン……」

「何かしら?」


 トーマスは幼なじみの名前を呼んでから、逡巡した。

 先ほどライルに言われたことは、別段口止めはされていない。話しても、構わないはずだが……

 嘆息する。

 彼女も遠からず知ることだ。それなら早めに覚悟を決められるようにしておいた方がいい。


「……ライル様が、私にニューロチップ解除処置を受けるよう命じられました」

「ライル様が? 第二原則を使ってですの?」

「ええ」


 そう。

 先ほどライルからエオースへの呼び出しを受け、そこで言われたのだ。

 ドクターのプログラムを入手後、最初にシャーロットのチップを解除し、続いてトーマスのチップを解除する。これは命令である、と。

 これまで二ヶ月近く、ライルは極めて寛容な独裁者であった。彼が第二原則による命令を下すのは、事実上エオースの修理に必要な範囲でR・アイラに対して行うものに限られていたのだ。

 その彼が突然方針を転換し、トーマスにはっきりと命令した。

 彼の初めての命令は三原則を根底から覆すものであった。


「しかも、ライル様が命令する理由は、解除処置が完了するまで言えないそうです」

「それは……困ったことですわね」

「ええ、ライル様は一体何をお考えなのか……」


 トーマスはトントンと自らの額を指先で叩きつつ眉をひそめる。

 エレインも同じように眉をひそめながら聞き返してくる。


「では私達全員をエオースに乗せて行く、というのは決定なのですか?」

「いえ、それがそうでもないようでして。我々がアストリアに残りたいのであれば、残っても構わないと。むしろそのつもりなら、手も貸して下さると」


 ……そうなのだ。

 ライルは何故かトーマス達を連れていくことには頓着せず、それどころかエオースの修理が順調なので、アストリアの設備を修理するためにプラントのキャパシティを多少回しても良いとまで言ってきた。

 もちろん願ってもない話だ。

 手始めに、市街地に遺棄されていた作業用ロボットが数機回収され、エオースで簡単な修理を受けているという。

 あれが使えるようになればアストリアのメンテナンスも随分しやすくなるだろう。特に問題になっている電力系の保守ができれば、アストリア自体の耐用年数もかなり延命できるに違いない。


「エレインは、どうしますか? ライル様とご一緒しますか?」

「どうって、トーマスが残るのであれば私も残りますわ。何か問題がありまして?」

「いえ、ありません。ありがとうございます」

「どういたしまして」


 エレインの微笑みに、トーマスはぎこちなく笑みを返す。

 だが、それだけではダメなのだ。

 この船にはライルが必要で、ライルにはこの船が必要だ。

 そのためにはこの船を十分に修理する必要があり、その手段は……ある。

 あるのだ。


「トーマス? どうしたのです?」

「いえ、何でもありません」


 トーマスは作り笑いを浮かべると、浮かんだ考えをそっとしまい込んだ。



「エレイン! 久しぶり!」

「あら、シャーロット。レイシーも一緒なのですね。どうしたのかしら」

「私物の整理とか。あとお届け物!」


 広場に出ると、久々に居住区に戻っていたらしいシャーロットが駆け寄ってきて、エレインにぴょんと抱きついていた。

 シャーロットはシミュラントの中では実年齢でも肉体年齢でも一番年下で、トーマス達にとっては年の離れた一番末の妹のような存在だ。

 そして、ライルをこの船につなぎ止めるために、壊れかけの製造システムを無理矢理動かして作られた最後のシミュラントであり、いわばトーマス達の希望を一身に受けて送り出された少女である。

 だが結果として、彼女は当初の目的を全くと言っていいほど達成できていない。


 シャーロットの後ろからはレイシーがついてきており、彼女はトーマスの姿に気付いてぺこりと頭を下げてくる。

 レイシーは実年齢では現存するシミュラントで最年長だが、製造されてからほとんどの期間を冷凍睡眠で過ごしており、肉体的にはシャーロットの次いで年少だ。

 彼女の元になったのはライルの思い人であったと目されている人間であり、元来は必ずしものために作られたものではないにしても、シャーロットと同じかそれ以上の効果が期待されてライルの元に遣られている。

 しかし彼女も今のところ成果は芳しくないようだ。


 そして、その二人の後ろには見慣れない奇妙な人影が立っている。

 ……これがシャーロットの言うお届け物なのだろうか?

 金属製の骨格を半透明の樹脂で肉付けしたような姿。白い目玉が樹脂製の顔筋の中でぎょろぎょろと動いているのが異様で印象的である。

 それは『ロボット』であった。

 かなり旧型の。恐らく市街地に遺棄されていたものの一つだろう。

 ついさっきライルから修理中と聞かされたものだが、既に動けるものが仕上がっていたとは。


「あー、そちらの……」


 トーマスはそう言いかけて戸惑った。

 そちらの……何だ? 人ではないし、モノでもない。

 トーマス自身も『ロボット』ではあるのだが、このようないかにもロボット然としたロボットとどう接していいのかよく分からない。

 とにかくどうにか、言葉を選ぶ。


「そちらの、方は?」

「あ、お手伝いロボットさんです。ライルが修理してくれたんですよ」


 シャーロットがまるで自分の手柄のように嬉しそうに答えた。

 修理したのはライルではなかろうし、もちろんシャーロットでもあるまいが、どうやら先ほどの推測で正しいようだ。ライルは随分手早くトーマス達のために遺棄ロボットの修理を手配してくれていたらしい。

 その、彼……でいいのだろうか、ロボット氏は、その樹脂製の顔をぎこちなく動かしてトーマスの方に笑顔……と思われる表情を向けた。


『初めまして、ご主人様。何なりとお申し付け下さい』

「ああ、ええ、そうですね。あなたは、その、アイラの遠隔操作ではなく……?」

『はい。私には量子頭脳が内蔵されているため、自律稼働することが可能です』


 彼は修理が完全でないのか、顔の右半分が引きつったように動かず、ついでに目玉も右目が動かないまま左目だけが動く有様だ。不気味である。

 だが、驚きだ。

 市街地にゴロゴロ転がっている遺棄ロボットにも、まだ無事な量子頭脳を持つものが残っていたのか。

 量子頭脳は極めてデリケートな代物で、三原則によるストレスのみならず、急激な電圧変化などによっても容易に破損する。例えば直接サージ電流でも流れた日には一発でおだぶつだし、逆に電源喪失にも弱い。

 あの事故でも修理不能なダメージを受けなかったというのは、かなりの幸運と言って良い。

 また彼を見事修理し再起動して見せたエオースの工業プラントの優秀さも特筆すべきものだ。


「そうですか。私はトーマス、こちらはエレイン」

『よろしくお願いします、トーマス』

「歓迎しますよ。ああ、何とお呼びすれば?」

『私には名前がないのです。トーマスが付けて下さいませんか? ライルからそのように言われました』


 ……はて、奇妙なことを言う。

 量子頭脳が内蔵された人格型ロボットには大抵人間と同じような名前が付けられる。

 そうでなくとも、何らかの識別番号なりあるはずだ。

 できたてほやほやの新品ならともかく、彼は元々何らかの作業用に使われていたロボットであろうに。


「どうして名前がないのです? 以前は何と呼ばれていたのですか?」

『以前はトミーと呼ばれていました。ですが、トーマス、あなたと紛らわしくありませんか? トーマスは時にトミーとも呼ばれると聞きます』

「……そうでしょうか」


 隣からエレインの小さく喉を鳴らすような笑い声が聞こえて、トーマスはややむっとしながら言う。

 実際のところトーマスのことをトミーと呼ぶものはいないので別段困るわけではないが、一応ライルなりの気遣いなのであろう。

 まあ良い。

 現存するシミュラントに使われていない適当な男性名を付けることにする。


「ではあなたの名前はサミーです」

『ありがとうございます。私は今からサミーです。力仕事から危険物の取り扱いまで存分にお任せ下さい』

「ええ、期待していますよ」


 正直言って、とても助かるのは間違いない。

 R・エリザベスと違いR・アイラは動かせるローバーをあまり持っていない。そして、シミュラントの身体能力はせいぜい人間並であり肉体労働にはあまり向かない。

 その点ロボット氏あらためR・サミーは明らかに作業用であり、しかも独立した量子頭脳まで持っていると来ている。

 アストリアにはこれまで手出し出来なかった故障箇所も少なくない。むしろ山ほどある。このR・サミーがいれば、不具合だらけの工業プラントも多少使えるようになるかもしれないし、そうなれば故障したまま放置されているローバーも再稼働できるようになるかもしれない。

 それで少しでもアストリアが復旧出来るかもしれないという未来予想図は――ロボットであるトーマスが考えるには奇妙な言葉ではあったが――実に夢のある話だった。

 そして小さく嘆息しつつ小声で付け足す。


「これでエオースとともにライル様がアストリアに残って下さるなら、何も言うことはないのですが……」


 それでも、人間であるライルなしには、アストリアが栄光ある日々を取り戻すことはないのだ。

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