量子頭脳の宝物

 リトル・リザの白けきった反応もものともせず、シャーロットはご機嫌で続ける。


「レイシーの映像資料によると、地球ではご主人様に専属で仕える時にはメイド服ってのを着る風習らしいわ。でもあたしそんなの持ってなくて、どうしようかなって」


 どうやらリトル・リザが想定していた以上にこいつの故障の程度は深刻らしい。


「そんなもの、どこで使う、のですか」

「朝ですよー起きて下さいご主人様ーって言いながらカーテンをパシャーって開けたり……」

「この船の、どこに、カーテンが?」

「起きないとお目覚めのキスしちゃいますよーって言ってみたり……」

「起床時間には、私がアラームで起こす、のです」

「ご飯の時は給仕とか……」

「それも、私の仕事な、のです」

「……」

「……」


 空気が重い。

 そもそもシャーロットがメイドさんとやらの仕事と認識しているものは、全てリザの仕事だ。

 ライルの睡眠時間は就寝時間から起床時間まで完璧に管理されており、元々ライルの寝起きが良いこともあって、よほど体調が悪い時以外はアラームが鳴るだけでスパッと起きる。

 給仕なんてシャーロット達はライルと一緒に食べる一方ではないか。

 一瞬にして論破されたシャーロットは少しだけひるんだ様子を見せたものの、再び立ち直り腰に手を当て胸を張った。


「ふふん、あたしにはリザにはできないこともできるわ」

「……はぁ」

「ほら、あれよ。君が欲しい! ああ、いけませんわ旦那様! でももう我慢できないんだ! がばあ! あーれー! みたいな、夜のお世話っていうか……わー……」

「分かった、のです。望み通り、今すぐ分解槽に漬けてやる、のです」

「なんで⁉」


 ロボットであるリトル・リザには憐憫の感情といったものはないが、それでもシャーロットは短い間だったとはいえ同じ主に仕える同僚だったのだ。

 せめてもの情けである。やはり、故障により深刻な不祥事を起こす前に幕を引いてやろう。ライルは悲しむかもしれないが、なあに、悲しんで貰えるうちが華だ。本人が廃棄処分を望むのだからやむを得まい。

 ……とまぁ、冗談はともかくとして、だ。


「そもそも、シャーロット。しばらくの間、ライルさんに、性的なアプローチを仕掛けることは、禁止します、のです」

「ええっ⁉ 何で急に⁉ 横暴だわ!」


 まあ実際には、彼女がどんなアプローチを掛けてもライルには全く無視されるだろうという予感はしているが、そこはそれ、念のためである。


「この船は、出産にも育児にも、対応していない、のです」

「ふむふむ……?」

「本当に、分かっている、のですか?」


 雑に相づちを打つシャーロットに念のため聞き返す。

 シャーロットは頷くのをやめたかと思うと、今度はきょとんとした表情で首を傾げている。こいつは分かっていない顔だ。

 先に顔色を変えたのは隣で聞いていたレイシーの方だった。


「あの、リザ……。シミュラントには子供はできないと聞いていますが、つまり、ニューロチップを解除した場合は……」

「どうなるか、分からないので、おかしなことは、するなと、言っている、のです」


 ニューロチップの障害以来、シャーロットには一日二回の検査を受けさせているが、彼女の内分泌系は半ば滅茶苦茶になっていることが分かっている。そのため、基礎的なビタミン剤を除いては適切なサプリメント薬の処方にも苦慮している状態だ。

 検査ごとに計測値は改善しているため一時的なものとは推測されるものの、ことがことだけに万が一も許されない。

 と、そのあたりでようやくシャーロットが話に付いてこられたようで、ガバッと身を乗り出し立ち上がった。


「って、ええええええええ⁉ そういうこと⁉ そうよね! やだ、どうしよ。ライルって男の子と女の子どっちが欲しいかな。何人くらい欲しいかな。名前はどうしよう」

「するなと、言って、いるの、です」


 勝手に照れながらヘラヘラと笑顔を浮かべるシャーロットに、リトル・リザは指を突きつけながら繰り返す。

 ……やはりこの故障品は今すぐ生きたまま分解槽に投げ込むべきなのでは……?

 いや、違う。

 そもそも最初からライルの守備範囲にないシャーロットは割とどうでもいい。

 問題児は……その隣で赤くなったり青くなったりしてる、こいつだ。

 警戒心全開でリトル・リザが睨むと、レイシーはその視線を真っ向から受け止めてきて――


「リザ、もしもライル様が……」

「あ?」

「……いえ、何でもないです……」


 ――何か言おうとしたので凄んだら引っ込んだ。

 何が言いたかったのかは予想が付かないでもないが、これ以上対人関係のトラブルは増やさないで欲しいのだ。こいつらが起こすトラブルでダメージを受けるのはライルなのである。

 とはいえ、まだ何か言いたそうにこちらを見つめてくる二人に、このままでは引き下がりそうにない気配を感じ、リトル・リザは少しだけ譲歩することにした。


「……目的の星系に到着したら、人間が植民するのに必要な機能を全部備えた、現地基地を設営する、のです」

「現地基地、ですか……」

「その後は、ライルさん次第、なのです」


 設営予定の現地基地は、後続の移民船を受け入れるのに必要な施設を全て備える必要がある。つまり赤ん坊から老人まで生活可能なコロニーだ。

 もちろんそれは、エオースの修理を完了させ、シミュラントに関する厄介ごとを全部片付け、アストリアを出発し、冷凍睡眠を繰り返しながら更に百年以上掛けて進み、目的の星系に到着し、現地基地を設営し……と気の遠くなるような未来の話である。

 しかし、それまで彼女達がライルに全面的に協力し、見事困難なミッションをやり遂げ、その上でライルが望むのであれば、ライルがどーーしてもと望むのであれば、まあ認めることもやぶさかではない。

 じろりと二人を見回す。


「ともかく、余計なことは、考えない、のです。これまでと、同じでいい、のです。変わらない、のです」


 そうやって釘を刺してもまたおバカなことを言ってくるかもしれないとは思ったが、案外二人とも真剣な表情でリトル・リザの話を聞いている。

 リトル・リザはふんと鼻をならして腰に手を当てる。

 これで多少なりと大人しくなってくれればいいのだが。



 その日のシミュレーション訓練を終えて部屋から出てきたライルは、すっと目の前に差し出されたトレイとその上に載せられたコップに目を丸くした。

 この船では口の開いたコップが使われることはほとんどない。液体をこぼすと面倒だし、無重量環境では飲むこと自体が難しいからだ。そのため普通はストローの付いたボトルが使われる。

 そこを敢えて今日はケイ酸塩ガラスのコップで持ってきた。

 ライルはトレイからコップを手に取ると、笑顔を浮かべる。


「ありがとう。どうしたの、リザ?」

「ちゃんと直してきた、のです」


 今日の服は袖が短く二の腕から先が大きく露出していて、そのため手首や肘といった部分もよく見せることができる。

 ひらひらとしたレースのついたスカートはやや丈が長いが、裾を軽くつまみ上げると膝まで出る。

 傷んだ関節部や人工筋肉は取り替えられ、動きは見違えるほどスムーズだ。人工皮膚も綺麗に再成形され、白磁のように滑らかでありながら毛穴の一つ一つまで精密に再現されている。

 流石に骨格から丸ごととはまではいかなかったものの、船の修理が半日近く遅延するほどの手間を掛けてオーバーホールしたのだ。

 本当は胴も見せるべきなのだろうが、こんなところで素っ裸になってもライルは困惑するだろう。見せるのは手足だけにしておく。

 リトル・リザはそのままくるりと滑らかに一回転するとぴたりと止まり、ライルを見上げて小さく首を傾げて見せる。


「どう、です?」

「うん、いい感じだね。今後も、プラントや資材は使っていいからちゃんとメンテするんだよ。僕は船長から君のことだって任されてるんだから」

「はい、なのです」


 ミッションの遂行を考えるならば、補助的な要素であるリトル・リザにリソースを費やすことは、本来望ましいことではない。だが、人間型のロボットがあまり見苦しい姿をしているのは、人間にとっては不快感を覚える状態である、ということも理解はしている。

 そんなわけで今日はなるべく見苦しくないようにと意識してきたのだ。


「そういえば珍しい服着てるね」

「はいです」


 来た……!

 もちろんライルも気付いていなかったわけもあるまいが、このまま言及されなければどうしようと不安になっていたところだった。

 なるべく可愛く見えるよう、ぴかぴかした金属製のトレイを胸元に抱えて、笑顔を作ってみせる。

 すると、ライルは少し遠くを見るように目を細めた。


「懐かしいなぁ。マリーナとユーリの作った奴だよね。まだあったんだ」

「もちろん、なのです。私の宝物、なのです」


 エオースが太陽系を旅立ってから、わりと最初の頃に二人が作ってくれたのだ。

 この『めいどふく』とかいう服は。

 乗員達にも大変可愛いと好評だったのだが、いかんせんこのひらひらのスカートは無重量環境では色々とんでもないことになるので、人工重力下でしか使えない。

 ましてや、人間であるマリーナとユーリが、リトル・リザのためにわざわざしてくれたものを、汚したり傷つけたりしたら大変だ。

 そんなわけで最近はなかなか披露する機会にも恵まれなかったのだが、たまにはいいだろう。

 修理した手足を見せやすいのもちょうど良かった。そう、ちょうど良かったのだ。


「事故で無くなっちゃったのかと思ってたよ。せっかくなんだからたまには着て見せてよ」

「はい、なのです」


 ……決してシャーロットの妄言に対抗意識が沸いたわけではない。

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