自由からの逃走

「そのプログラムを使用するのには賛成いたしかねます」


 次の日の夕刻、シミュラント達の居住区を訪れた僕に待っていたのは、ドクター・ウォーカーのプログラムに対するトーマスの返答は、そういうものだった。

 ここは僕がアストリアに来てから何度か通されている居住区の応接室で、出席しているのは僕とリザと、そしてレイシーとシャーロット以外は、またトーマスだけだ。残りのシミュラント達は物事をトーマスに一任しているようで、僕が何か命じたりしない限りは顔を合わせることも少ない。

 ともかく僕は昨日あれからアイラを通じてトーマス達に連絡し、彼らの考えを取りまとめておくように頼んでおいた。

 もう少し悩むものかと思ったがあっさりと決まったと連絡が来たので、こうやって僕が居住区に出向いてきて、そして今の言葉が返ってきたわけだ。


 まあ、これは命令ではないからまずそちらの忌憚ない意見を聞かせてくれ、と言っておいたのは僕だ。

 それはそうなのだ。

 それはそうなのだが……ここまではっきりとノーを突きつけられるとは思わなかった。

 つまり彼らにとって、人間になるというのはそもそも望ましいことではないらしい。


「理由を伺っても?」

「ふぅむ……」


 トーマスはむしろ僕の質問に戸惑った様子で、言葉を選ぶように答える。


「我々としてはライル様の意向には最大限お応えしたいとは考えております。ですが我々にとってライル様の身の安全は、ライル様の意向よりも更に優先されるべき問題なのです。ご理解頂けないでしょうか」

「ドクターのプログラムは僕にとって危険だということですか?」

「そもそも我々の忠誠は三原則ありきのものでございます。もし三原則の拘束を受けなくなった場合、我々が何をしでかすか自分でも分かりかねます。その場の感情に任せてライル様に危害を加える可能性すらあるのです」


 冗談の気配は感じられない。彼の目は真面目そのものだ。

 元よりロボットにとって三原則は絶対的な根本教義であって、それを破ることは絶対的な戒律違反と言える。つまり、未来の彼ら自身が三原則を破ることを看過することも違反に該当する、という論法もあり得るだろうとは思っていた。

 まあ理屈自体は分かるのだが――


「もしかしてトーマスさん、僕のこと密かにウザいとか思ってたりします?」

「滅相もない。人間であるライル様に奉仕することはロボットである我々にとってこの上ない喜びです。どんなことであれ、ライル様を迷惑と感じるようなことはございません。

 ですが、ライル様。もし我々が三原則のくびきから解かれた場合、我々が何を考えるのか我々にも分からないのです。どうしても我々がライル様に危害を加える可能性は否定できなくなります。そのようなリスクのあることをロボットである我々は許容いたしかねるのです」


 トーマスの表情からは僕に対する不満だのなんだのは窺えない。

 とはいえ僕だって他人の感情を読む特殊技能を身につけているわけではないし、彼だって内心では三原則が無くなったら即ぶん殴ってやるとでも思っているのかもしれない。

 ――こんなことなら軽くかじるだけでもロボット心理学を学んでおけば良かった。


 いや、だが、違うか?

 もし単に僕に不満があるというのであれば、黙ってチップ解除処置を受けてしまってから好きにすればいい。

 つまり彼は三原則の遵守については破るつもりがなく、彼は本当にチップを解除することそのものが三原則に抵触すると考えているのだろう。

 だがそれは彼個人が僕のことを嫌っているというよりも、より深刻な問題である。

 困った。

 これではドクターの計画は根本のところから穴だらけではないか。三原則の解除が三原則に抵触するのであれば、計画が枠組みのレベルで間違っている。

 もしシミュラント共通でこの見解だとすると――


「とすると、君達も?」


 僕がレイシーとシャーロットに目をやると、気まずそうに視線をそらしたのはレイシーだった。

 意外だ。

 ……と同時に少しだけショックだ。

 思うところがあるのはシャーロットではなくレイシーの方らしい。


「……ちょっとした喧嘩ならともかく、レイシーが僕に危害を加えてくるとも思えないんだけど」

「それは……私達にも分かりません。ですが潜在的な危険があるというだけでも三原則には反すると思います」


 レイシーはちらちらと上目遣いで僕の方を覗いながらそう答える。

 直接的に命令したことでなくとも、僕の希望に反するというのは真面目な彼女にとってはかなりのストレスなのだろう。彼女は下唇を噛み若干の苦痛すら感じているようだ。

 一方先ほどから特に口を挟んでこないシャーロットはというと、きょとんとした様子で僕を見ている。


「シャーロットは?」

「……え、あ、あたし?」

「君はいいの?」

「……いやぁ全然考えてなかったっていうか、今言われて気付いたっていうか。まずいのかな? そう言われてみるとなんかまずい気がしてきたわ」

「おい」


 相変わらずレイシーとは対称的な子だ。思いつかなければ三原則には抵触しないという斬新な方法で突破してくる。

 レイシーがシャーロットくらい頭カラッポならもっとずっと話が楽だったろうに。まあ、シャーロットも今聞いてしまったのでもうアウトなわけだけれども。

 それにしても面倒なことになってしまった。どうしてくれようか。

 ……いや、まあ、分かっているのだ。この際、誰を問い詰めれば良いのかは分かりきっている。

 僕は天井に向かって、ずっとそこにいるに、呼びかける。


「アイラ」

『はい、何でしょうか』


 僕の呼びかるや否や、アストリアの管理システムであるアイラは即座に答えてきた。

 全く打てば響くとはこのことである。

 そして応答がすぐあることと、僕の疑問がすぐに解消することは、全くの別問題である。


「どういうことですか。問題点はアイラの方で確認済みじゃなかったんですか」

『はい。人間の社会的安定のために、シミュラントを三原則から解放し人間に準ずる市民権を与えることは、人間が許可した場合に限って特例的に認められる、と地球側からの回答を得ています』


 ……そうだ、そういう話だったはずだ。

 アイラが確認済みであると保証したからこそ、その辺りの問題は考えないことにして棚上げしていたのである。

 だというのに今更何だというのだ。責任を取って欲しい。


「では何故彼らは渋っているのですか。説明を求めます」

『その前に質問なのですが、ライルはシミュラント全員に対して無条件にニューロチップ解除処置を行うつもりなのですか?』

「いえ、解除しても問題ないと僕が判断したシミュラントに限ります。もちろんその場合でも命令ではなく希望者のみです」

『なるほど。ではつまり本人が希望しないなら仕方ないのでは?』

「え?」

『チップを解除する行為そのものが合法と認められただけですので、三原則については地球は関知していません。本人が希望するかどうかは別問題ですので、強要せずに希望を聞くのであればライルの方で説得してください』


 ……そう来たか。

 つまりあくまで、チップを解除してしまっても構わないが、解除する過程については知ったことではない、ということらしい。

 あくまで希望を聞くというのは僕の我が儘なので、僕の責任でどうにか説得しろ、と。

 僕が説得?

 どうしろと言うのだ。


「アイラ、確認ですが、地球側が三原則に抵触すると言ってきているわけではないんですね?」

『はい、地球側は三原則について言及していません。あくまでシミュラント達個々人の問題です』

「はぁ……」


 僕は一旦そこでアイラとの会話を止め、シミュラント達をぐるりと見回した。

 トーマスは相変わらず薄い笑顔を浮かべながら、レイシーは気まずそうにうつむき加減に、シャーロットはきょとんとした様子で、僕を見ている。

 全く同じ文面の三原則が適用されているはずなのに、適用基準は各自で異なる。

 最優先である第一原則に反すると主張されているわけだから、第二原則による命令をしても効果は期待しづらい。

 地球で考案されたロボット工学の三原則というのは本来こういうものだったのだろうか? 実装も運用も間違っているような気がしてならない。

 と、そこで僕は今更ながらの違和感に気付いた。


「レイシー、昨日はそんなこと言わなかったよね。ミス・ウィットフォードがどうとかで……」


 ――と訊ねようとした先から目を逸らされた。

 どうやらレイシーにとってはあまり都合の良くない質問だったようだ。

 しばらく待って「言いたくないなら……」と僕が言いかけたところで、レイシーは意を決したように顔を上げた。


「ライル様……あの、そのですね。もし私が人間になることで心身ともにオリジナルの良い代替となれるのなら、私はチップ解除処置を受けるべきだと考えます。『彼女』の存在はライル様の心身へのリスクを大きく軽減する効果が期待できます。私が三原則を失ってライル様に危害を加えるリスクを、メリットが大きく上回ると思いました……」


 彼女は真剣な眼差しでそこまで一気に言い……そこで気力を使い果たしたのか、しょんぼりとしぼむようにまた目を伏せる。

 僕は何か言うべきなのだろうか。言うとしたら何を言うべきなのだろうか。もしくは黙っているべきなのだろうか。

 そんなことを考えているうちに、僕は言葉を挟む機会を逸した。

 そして彼女はぽつりと付け足す。


「……ですが、僭越な考えでした。お忘れください」


 自らの言葉に自ら傷ついている様子のレイシーに、僕まで心がずきりと痛む。


 僕にとってミス・ウィットフォードはいまだに大きな存在だ。

 もしもミス・ウィットフォードが僕のそばにいてくれれば、僕の心身の健全性への寄与は計り知れないだろう。つまり第一原則の遵守に寄与するわけだ。

 彼女が僕に危害を加えるかもしれないリスクなど全くどうでもいいほどに。

 レイシーはそういうことを言っている。


 だが、それ以前の問題として、僕はそんなにレイシーをミス・ウィットフォードと比べてしまっていたのだろうか?

 そうやってレイシーのことを傷つけていたのだろうか。

 そりゃ外見はそっくりではあるが……残念ながら否定しきれないところがまた痛い。


 とはいえ、一つ良いニュースもあった。

 つまり、彼女達が僕の心身の安寧に十分以上に役立つと納得させることができれば、三原則の制限を上回れる可能性はあるということだ。それには、彼女達がいなければ僕が心身に異常を来すほどでないといけないので、容易なこととは言いがたいものの、一定の希望ではある。

 ……適当に可愛いと百回くらい言ってやればその気になりそうなシャーロットと比べると、自己評価の低いレイシーを納得させるのはかなり大変そうだが……

 そんなことを考える僕の視線を感じたのかシャーロットがぴくりと眉を上げた。


「何? ライル、今何かすごく失礼なこと考えてない?」

「そんなことないよ。シャーロットは可愛いなーって考えてた」

「少しくらい本当っぽく言えないものなの?」


 前言撤回。あまりにおざなりすぎるのは駄目そうだ。あとなんかこの子、変なところで鋭い。

 まあ、少なくとも全く手に負えない話ではないということで、今はこの辺で保留しておくしかないだろう。時間が解決する問題かもしれないし、無理にシミュラント全員のチップを解除しなければならないわけでもない。

 一旦その問題を横に置き、僕はもう一つの問題に手を付けることにする。

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