ニンゲン
初めて彼女達をエオースに招いたあの日、シャーロットがレイシーをゴムボールでノックアウトしたあの日だ。
僕が彼女に、エオースで共に行かないかという話を持ちかけたのは。
あれからその話はしていない。あの時はまだ彼女達が人間になれるなんて可能性は考慮もしていなかったし、単に友人として来ないかというだけのつもりだった。それにエオース修理のためにアストリアを犠牲にする必要がある、つまり彼女達がエオースに来ずにアストリアに残れば死ぬかもしれない、ということも話していない。
さてどう話したものだろうか。
いまだ怪訝な目でこちらを睨むシャーロットに、僕は少し考えてから付け足す。
「ええと、いや、つまりさ、エオースは部屋も多く余ってるし大体五十人くらいは搭乗できる容量があるんだ。それに対して、乗員は今や僕一人なわけで、目下新メンバー募集っていうか」
「あたしがエオースに乗ってどうするのよ。リザ任せで宇宙のずっと遠くまでただ飛んでいくだけでしょ?」
「そういうわけでもないけど……」
エオースのミッションにはいくつかの目標が定められている。
まずメイン推進システムである反物質ロケットエンジンの長期運用試験。それから冷凍睡眠装置の長期運用とそれに伴う人間の心身への影響の調査。そして最終的な目標は、地球側から指定された星系に居住区を設営し実際にそこで生活することだ。
その後は植民の準備をリザに任せつつ、人間は何百年と冷凍睡眠を繰り返して『後続』を待つことになる。
僕は壁面のディスプレイ上に、現時点での目的地となっているカナロア2048-18754と呼ばれる小さな赤色矮星を映し出した。
レイシーとシャーロットがそれをのぞき込み揃って首をかしげる。疑問の声を発したのはシャーロットだった。
「かなろあ? それが星の名前?」
「カナロアは海王星軌道上にある外宇宙観測システムだよ。そいつが星を見つけて2048年の18754番目にカタログされたってこと。正式名称は到着してから付けることになってるんだ。で、少なくとも四つの惑星があることが分かってる。僕らが目指すのは第二惑星だね」
「そんなとこであたしが役に立つの?」
「誰かがいてくれるだけでも心強いってのはあるんだけど……」
ここでレイシーの方をちらりと見ると彼女は無言で僕を見つめていた。ここまでは以前話したので彼女も知っているはずだ。
「……もしドクター・ウォーカーのプログラムで君達のニューロチップを解除したら、できることは大幅に増える」
「できること、ねぇ」
反芻するようにぽつんと呟いたシャーロットは、しばらく首をかしげていたかと思うと、怪訝そうな目で僕を見つめてくる。
何か隠しているだろう、一体どんないかがわしい魂胆で言っているのだ、とでも言いたげだ。
実に心外である……
彼女はそんな怪訝な目で僕を見ながら続ける。
「それってつまり、例えば、どういうの?」
「そりゃまあ、アイラにやってるみたいにリザにも君達が命令できるようになるし、現地での生体データも人間のものの方が望ましい。後続の移民船が来ることを想定するなら、先行して現地で実際に暮らしてみるのはとても有意義なんだよ」
「ふぅん……」
どうもあまり納得して貰えていない様子だ。
僕らのミッションは最終的には、件の星まで行って現地基地を設営し、後続の移民船が植民を開始するための基盤を築くことだ。それには実際に人間が生活可能であることを実証するというのも大きな要素として含まれている。それができないなら、危なっかしくて後続がやってくることなんてできない。
……というようなことを理解して貰えているのかどうか……
シャーロットは続けてちらりとレイシーの方を伺う。そのやや責めるような視線に、レイシーが狼狽したように目を逸らした。
「……何でしょうか、シャーロット」
「レイシーはどうするのよ。だって、その、色々あるじゃない。もう決めてるわけ?」
「それは……」
「ていうかライルと一緒に行くなんていつの間に話してたのよ。あたし、それ初耳だわ」
「それはただ、そういうことも可能だという話があっただけですから……」
ややふてくされた様子で詰め寄るシャーロットに、レイシーは困ったように言葉を濁す。シャーロットは自分が仲間はずれにされたと感じているのか少々ご立腹だ。
普段から姉妹のようが仲の良い二人だ。僕の知る限り、彼女達がお互いに隠し事をすることはあまりない。その例外は要するに僕が関わっている時くらい、ということだ。
ぎくしゃくとした居心地の悪い空気を感じ、僕は両手でまぁまぁと二人を制しつつ、訊ねる。
「どうしても嫌って言うなら無理にってわけじゃないんだけど、もしかして不安なことでもあったりするかな」
「それは……別に……」
レイシーは僕に視線を合わせようとせず呟くように答える。
だがそれだけでもう、何か不安がありそうだというのと、それを僕に言いたくないのだと言うことが、分かってしまった。
教条的なまでに三原則に忠実なこの少女は、自分の感情や都合といったものをとにかく排そうとする傾向がある。だがここしばらく共に過ごしていて分かったことだが、彼女は感情を持たないどころか人一倍感情豊かだ。
――いっそ第二原則による命令を使ってでも、一度思っていることは全部吐き出させた方がいいかもしれない。
いささか物騒なことが脳裏に浮かんだがそれは一旦横に置く。あれは結構、事故が怖い。
さて、シャーロットはどうだろうかと視線を向けると、彼女は少しだけつむじを曲げた様子で僕をにらみ返してきた。
「何よ」
「シャーロットも、不満とか心配事とかあるなら早めに言っておいてくれる方が助かるんだけど」
「だってあたしには分かんないもん」
彼女は両足をぶらぶらとさせながら答える。
「前に言ったでしょ、あたし達は生まれた時から脳にニューロチップが埋め込まれてる。でも、これが無くなったらどうなるかなんて、あたし達には分かんないわ」
「それは、まぁ……」
「たとえばさ。もしかすると、今こうやって話してるあたしの心はチップの中にいて、チップが止まったら今のあたしの心は消えてなくなっちゃうかもしれないわけじゃない? そうなったらあたしは誰になっちゃうんだろう? とか」
「いや、そんなことは……」
ない、はずだ。
もしシミュラントの精神の全てがチップの方に宿っていて生体脳が全く機能していないなら、チップを失うと――それまで全く使われていなかった――赤ん坊同然の生体脳だけが取り残されてしまう。そうなると下手をすると生命維持にも支障を来しかねない。
だがそんな状態に陥るのはドクター・ウォーカーがチップ解除プログラムを用意した趣旨に反するように思われる。
彼の口ぶりからすると、あくまで三原則による制約を解除するだけで、シミュラントの精神に危害を加えるようなニュアンスは見られなかった。
……とはいえ、シャーロットの懸念をあり得ないと切って捨てることもできないのも、また事実だ。
彼女は不満げに続ける。
「なんだかさ、ライルはロボットのあたし達があんまり要らないみたい。そりゃあたし達は人間じゃないし、そのくせアイラやリザみたいに出来が良いわけでもないわ。消えちゃったからってライルの仕事が困るわけじゃないかもしれない、けど……」
「そんなことはないよ。二人のおかげで船の修理は進んでるし、僕も寂しい思いをせずに済んでる。要らないなんてとんでもないよ」
シャーロットが唇を尖らせてすねているがどの程度本気かはよく分からない。
僕が彼女達に救われているというのは本当だ。今や誰がいても構わないというわけでもない。僕は彼女達にそばにいて欲しいのだ。
だから、プログラムの実行ボタンを一つ押しただけで、目の前にいる少女達の人格がこの世から永遠に失われてしまうなんて、そんなおぞましいことは考えたくもない。
僕としては彼女達に感謝しているということをことあるごとに言っているつもりなのだが、彼女達にはどうも不安があるようだ。特にシャーロットは僕がちょくちょく言ってやらないと納得しないところがある。
「僕は二人にこれからもそばにいて欲しいと思ってるよ」
「……ほんと? じゃあライルはあたしのこと好き?」
「もちろん」
――友達としてだけど、というのは言葉に出さずにこっそり付け足しておく。
それに気付いてか気付かないでかシャーロットははにかんだような笑顔を浮かべるが、いつもと違ってそれだけでは引き下がってくれなかった。
なんだかめんどくさいのだが……
彼女はぐいと身を乗り出すようにして続ける。
「じゃあ、あたしが人間になったら、愛してるよ、お嫁さんになって欲しい、このままアストリアで幸せに暮らそう、って言ってくれる?」
「僕はアストリアに残る気ないから言わない」
「ちぇー……」
僕が即答すると、彼女はちょっとふてくされた様子で、だが気分を害した様子でもなく少し唇を尖らせた。
実のところ彼女がこのような態度を取るときは、さほど怒っていないし、のっぴきならない不満があるというわけでもないことが多い。僕もこの一ヶ月でようやく彼女の扱い方が分かってきた。
シャーロットは小さく鼻息をならすと、今度はぷいとレイシーの方に向き直る。
「レイシーは決めてるの?」
「私は……だって、それは……」
レイシーはシャーロットから逃げるように視線を彷徨わせるが、僕と目が合って、そこで止まった。
彼女の懸念もシャーロットと同じものなのだろうか?
僕だって彼女達に危害を加えたいわけではない。ドクターのプログラムを回収したとしても、実際に使うかどうかはリザとアイラに安全性をチェックさせた上で判断するつもりだ。
「レイシー? 君も不安があるなら言ってくれていいんだよ。というか言って欲しい。僕だって君が嫌がるのを無理強いしたいとは思ってないんだ」
「あの、ライル様、私の身は構わないのです。ですが……」
レイシーの言葉は僕には少し意外だった。どうやら彼女が渋っているのはシャーロットとはまた別の理由らしい。
彼女は少し困ったようにそのグレーの瞳で上目遣いに僕の方を覗っていたが、しばらくして観念したように口を開いた。
「ライル様、私はミス・レイシー・ウィットフォードの身代わりとして作られました。もしチップを除去して人間になれるとして、私は彼女になれるのでしょうか。もしも……」
「ちょっと待って。僕は君をミス・ウィットフォードの代わりとは思ってない。外見と声がすごく似てるだけの別人だと思ってるよ」
一体何を言い出すのだろうか。
この一ヶ月ほど彼女達と過ごしていて嫌と言うほど理解したのだが、レイシーはミス・ウィットフォードではない。似ても似つかないと言っても良いほどだ。
ミス・ウィットフォードは一見大人しそうに見えるし口調もおっとりとしていたが、あれで結構頑固というか自分の好き嫌いを全面的に出す少女だった。地球文化に対する並々ならぬ興味を示す一方で、つまらないと思ったものは容赦なくつまらないと言ってきた。
ここだけの話、あまりにはっきり言ってくるので僕の方がちょっと傷つくことも少なくなく、でも僕にとってはそのことが笑顔の時の彼女をたまらなく魅力的に感じさせていたのだ。
レイシーは違う。正反対と言ってもいいほどだ。彼女が自分の好みを表に出すことはほとんどない。ミス・ウィットフォードのフリをするために地球文化について勉強してはいたようだが、具体的な好き嫌いを僕はほとんど知らない。地球や人間のことを盲目的に肯定しているとすら言える。
ただ、ほとんど笑顔を浮かべることのない彼女が、時々気を緩めて油断したように微笑むのを見つけるのは、ちょっとした宝探し気分ではある。
「まあ正直言うと名前がややこしいとか、もうちょっと言いたいことははっきり言って欲しいとか、あるにはあるけどさ。レイシーはレイシーのままでいいんだよ。映像にまんまと騙された僕が言うのもなんだけど、君がミス・ウィットフォードの真似事をするのって実は結構無理があると思う」
「でも、それは……いえ……少し、考える時間をください」
レイシーの表情は晴れない。
……何か言い方を間違えただろうか?
僕は少しでも気が楽になるように言ったつもりだったのだが、彼女は逆に沈んだ様子でうつむいてしまった。
悩みがあるなら僕にどんどん言ってくれていいのに。僕はそんなに当てにならないのだろうか。
「あのさ、レイシー。僕は新しい星で一緒にフットボールができるような仲間が欲しいんだ」
僕のその言葉に、レイシーは答えなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます