秘密の計画
僕はゲストハウスのリビングルームにレイシーとシャーロットを呼び出し、ドクター・ウォーカーの遺書を開示した。
シミュラント達のまとめ役であるトーマスも呼ぶつもりだったのだが、信用できる者達だけで先に検討すべきとリザに反対された。それでもエオースではなくアストリアのゲストハウスを選んだのは、アイラにも聞かせる必要があったからだ。
シミュラントの二人はドクターの遺書に一通り目を通すと、僅かに色を失い黙り込んでいる。せっかくアップルパイも用意しておいたのだが、二人とも手を付けるどころではなくなってしまった。
まあそれは確かに彼女達にとって衝撃的な内容だったはずだ。そしてもちろんそのような反応になるだろうとは思っていた。
「さて、面倒なことになっちゃったな」
僕は努めて軽い口調で言いつつ二人の顔を見回し、そして少女の一人を見据えた。
その少女は不安げに自らの髪を弄っていたが、僕の視線に気付いたのか指を止める。
そして僕は口を開いた。
「シャーロット」
「……なんであたし」
「目をそらしたから」
僕の答えに、んぐ、とシャーロットが小さく呻く。
まあ僕も彼女が目を逸らしたからといって僕に何か悪意を持っているとは思っていない。単に僕を見つめるレイシーの表情がいっぱいいっぱいすぎて尋問しづらかっただけだ。
「シミュラントはアイラがマスターを必要としたから作られたって聞いた。でもドクター・ウォーカーの話だと、この船の人間社会を再建するためにドクターが作ったことになってるよね」
正しくはシミュラントを製造したのはアイラだが、基礎設計を行いアイラに製造を指示したのがドクターだ。アイラが実際に行動を開始するには反地球法が失効する必要があり、これは評議会による法改正ではなく人間の全滅という形で達成された。
僕が確認するとシャーロットは小さく頷く。
「それはどっちも本当じゃないかな? アイラは人間役をしてくれる存在が必要だったし、それからアイラは人間が孤独に対して弱いことも知ってた。ライルだって、あたし達みたいな可愛い女の子がいれば寂しくなかったでしょ?」
「……まあ、それなりにね」
「でもその先の話は知らなかったわ。本当よ。レイシーも知らなかったわよね」
シャーロットがちらっと隣のレイシーに視線をやると、彼女も頷いて返す。
人間社会を維持するにはある程度の数が必要だ。人間社会は最小二人から成立するといえばするが、人間社会が健全性を保てる実用上の最少人数が何人くらいかというと僕にはよく分からない。
だがともかく独りぼっちよりはマシなことは確かだし、僕がこのシミュラントの少女達の存在に救われているというのは否定しがたい。
「リザ、アイラを呼び出して。ドクターの遺書を彼女に見せて」
「……分かりましたです」
リザがそう答えるとアイラに先ほどのデータを送信する。
僕は、アイラとも、そしてシミュラント達のまとめ役であるトーマスとも、そろそろ腹を割って話す必要があるという認識は持ち始めていた。
リザはいまだにシミュラント達への不信感を隠そうともしないが、この状況下で僕らが関係をこじらせているような余裕はないはずだ。
十数秒ほどでアイラからの通信が入る。
『お呼びですか、ライル。先ほど頂いたドクター・ロジャー・ウォーカーの遺書は確認しました』
「こんにちは、アイラ。色々聞きたいことがあるんです」
『はい、どうぞ。何でもお聞き下さい』
アイラが僕に質問を促す。彼女は極めて従順だ。少なくとも表面的には。だが、聞けば何でも答えてくれるが、聞かないことを何でも教えてくれたりはしないことも分かっている。
さて何をどういう順序で訊ねていくべきだろうかと考えたが、あまり小細工をしても仕方ないと思い直し、真正面から訊ねることにする。
「アイラはドクターが隠していた計画についてどの程度知っていましたか?」
『お答えします。知らされてはいませんでしたが、想定していた内容ではありました。ドクターはエオースが到着する頃には状況が改善していると考えて、ライル達に遺書を託したようですね』
「そうみたいですね」
ドクターはある計画をアイラに隠していた。計画途中で命を落とすことになった彼は、数十年先の状況が改善した頃に到着するであろう僕らに言付けをしたのだ。
計画の内容と、その第二段階について。
彼は第二段階を開始するまでアイラに真意を知られるわけにはいかなかった。少なくとも彼はそう考えていた。
ただ、僕らをタイムカプセル代わりに使うというのは不確実な手段だったように思われる。時限式で公開したい情報だとしてももう少しましな隠し方があったのではないだろうか。
僕が口にしたその疑問にアイラが答える。
『彼の交友は研究関係に偏っていましたし、アストリアの社会情勢は親地球派である彼にとって良好とは言えませんでした。彼にとっては、研究室の同僚以外で何かを託せる一番ましな知り合いがライル達だったのではないでしょうか』
「なるほど、アイラは人間の心理の機微について僕らよりも詳しいようです』
『恐縮です』
若干の皮肉を込めたつもりだったがあっさりと流される。
僕は小さくため息をつくと続けた。
「アイラはどうして計画を止めようとしなかったんですか? 第二段階については気づいていたんでしょう?」
『可能性として検討しておく必要があると考えたため、地球に問い合わせて法的位置づけを決定して頂きました。初期製造を開始するまでの時間で地球からの回答を得ています』
「地球は何と?」
『アストリアの事情を鑑みてシミュラントへの第二段階処置の合法性を認めるとの判断が下りました』
「つまりドクターがアイラに隠していたこと自体がナンセンスだった?」
『表現の善し悪しはともかくそうなります。ですが、ドクターの立場で考えるならば、もし私に相談して反対されたら即座に計画は破綻するわけですから、隠そうとしたことも一概におかしな行動だったとは言えません』
「なるほど、アイラはドクターの良い理解者であるようです」
『恐縮です』
だから皮肉で言ったつもりなのだが。
ドクターが計画をアイラから隠すために仕込んだあれこれは、どうも最初から杞憂だったらしい。なんだか気の毒なことである。だが、結果として計画を第二段階を進められる人間が僕達しかいないというのは、なんと言って良いものやら。
……どうしたものだろうか……
僕が思案していると、アイラは逆に僕に対して質問を投げかけてきた。
『ライル、ドクターの残したプログラムと暗号鍵は研究室にあるそうですが、どうするおつもりですか?』
「もちろん回収します。研究室に物理メディアで隠すなんて面倒なことしてくれたものです。僕が直接行くとなると研究室までの道を確保しないといけませんし」
『回収したらどうするのですか? 誰に使うのですか?』
アイラの言葉を受けて、僕はレイシーとシャーロットを見回す。少女達はびくりと表情をこわばらせた。
問題はそこなのだ。
ドクターはシミュラント達がロボットという名の奴隷として人間に使役され続けることを、当面は争いを発生させないための必要悪であると考えていた。
一方で長期的な人道の面において、健全な状態であるとも考えていなかったようだ。彼はいつかそれを終わりにすべき時が来ると信じていた。
ドクターの表現を借りるなら、シミュラントと人間が対等のパートナーとしてともに歩む日が来ると。
だから彼はいくつかのものを設計しておいたのだ。三原則を強制するための量子回路を内蔵したニューロチップと、それを埋め込まれたシミュラント、そして一つのプログラム。
つまり『ニューロチップを停止させるプログラム』を。
シミュラント達の脳に埋め込まれたニューロチップとその量子回路は、彼らの自由意志を奪い三原則を強制する。また、各種生理機能もコントロール下に置かれる。これによってシミュラントは社会的にも生物学的にも人間ではなくロボットということになっている。
そのニューロチップを停止させるプログラムというのは、すなわち『シミュラントを人間にするプログラム』であることを意味しているのだ。
だがシミュラントに対してそのプログラムを起動し使用できるのは生来の人間に限られている。
『人間とは何者か』を定義できるのは人間だけだ。もし人間の手を介さずにシミュラントが勝手に三原則を失ったら、それはただの壊れたロボットになってしまう。
ドクターのプログラムを使用する決定を下せるのは、つまり今ここでは僕しかいないということになる。
「……迷ってるんです。その、つまり、シミュラント全員を解放すべきかを」
僕の言葉に、レイシーとシャーロットが驚いたように目を見開いたのが分かった。
シミュラントを人間にするというのにはいくつか乗り越えておくべき問題がある。
まず僕の安全を担保できなくなる。目の前の二人はともかく、今この場にいないトーマス達が僕のことをどう考えているかはよく分からない。極端なことを言うならば、三原則が解除された途端に僕に危害を加えてくるかもしれないのだ。
だがもし、彼らが三原則を解除してもなお僕に友好的であるならば、彼らは正式な人間になる。リザも認める正式な人間ということだ。そして、そのことには重要な意味がある。彼らをエオースの正規の補充要員として迎えるというのが現実味を帯びてくるのだ。
アイラからシミュラント達を取り上げてしまうのは可哀想な気もするが、もし全員がエオースに乗り込むのであればいっそアイラも量子頭脳システムごとエオースに積み込んでしまってもいい。少々かさばる旅の道連れだが、そのくらいの余分なペイロードはある。
となれば、やはりまずはまとめ役であるトーマスの意思を確認したいところだ。
「アイラ、トーマスさんと会って話がしたいです。都合をつけてくれますか」
『分かりました、ライル。連絡しておきます』
とりあえずそれでアイラとの通信は終了させた。
そこで僕は二人の少女達の不安げな視線のことを思い出す。
「ああ、レイシーもシャーロットも安心して。君達のことは信用してるから。トーマスさん達のことも何もかも上手く行くといいんだけど」
「ライル様……」
僕の言葉にも二人は何故か表情が晴れず、レイシーは小さな声で何か言おうとする。
しばらく言葉の先を待ったが彼女が結局何も言わずそのまま切り上げそうだったので、僕は続きを促した。
「どうしたの、レイシー」
「……ライル様は私達をどうしたいのでしょうか?」
「どうって?」
「私達が三原則に従わなくなるのは、ライル様のメリットになるのでしょうか?」
もちろん僕にとってメリットはある。逆に彼女達にとっては単純に行動の制約がなくなるだけなのだからデメリットは無いはずだ。
だがまあ、そうだ。そろそろ彼女達にも話しておくべきなのだろう。彼女達にも自分の身の振り方は考えてもらう必要はある。
「うーん、そうだね。レイシーには少し話してたんだけど、シャーロットに話すのは初めてかな」
「なに?」
水を向けられたシャーロットがぴょこんと顔を上げた。
はてどこから話そうかと迷ったが、もううだうだと考えても仕方ない。真っ正面から全部話してしまうことにする。
「シャーロット、僕と一緒にエオースに乗って冒険しない?」
「は?」
単刀直入すぎて『何言ってんだコイツ』みたいな目で見られた。
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