破滅の記録

 アストリアにおいて反地球主義、もしくはアストリア中心主義と呼ばれる思想が現れたのがいつなのか、今となっては分からない。

 だが恐らくはアストリアが地球を旅立ったその日その瞬間から、その萌芽はあったのだと考えられている。


 しかし政治的経済的に大きな発言力を持つようになったのがいつかと問われれば、間違いなくあのロケットエンジン爆発事故の時からであった。

 事故の原因がアストリア側の運用ミスではなく地球側の設計ミスであることが認められた後は、怒りと共にその動きは激化した。


 そんな時代に登場したのがアストリア最後の指導者として名を残すことになる男、ウィリアム・ホーキンスだ。

 四世代続く評議員の息子として生まれた彼は若い頃からアストリア中心主義に傾倒し、大学を卒業する頃にはそれをある種の教義というべき水準にまで昇華させていた。

 そのいささか過激な地球陰謀論と超自然主義ないし超宇宙主義的思想は、平時であれば狂人のたわごとと一蹴されていたであろう。だが彼には資産があった。自らの思想をアストリア中に十分広報できるだけの資産が。

 そして多くの人々が不安と怒りの矛先をどこかに向けたがっていたという土壌と、少なからぬ幸運、いや悪運も。

 彼が五十歳に差し掛かる頃には彼の支持者は評議会の半分近くを占めるようになっていた。


 彼の一派は地球との断交と親地球派の違法化という過激な主張を唱えたが、さすがにそのような意見が議会を通ることはなかった。正しく言うならば、一連の反地球法と呼ばれる法律はいくつか制定されたが、全住人の七割の賛成を要するアストリア基本法の変更には失敗した。

 アストリアは地球から十数光年離れていてもなお地球から定期的に送られてくる新しい技術情報を必要としていたし、地球と決別することで宇宙的意思だか何だかが何かも解決してくれるなどと本気で信じているものはそう多くなかったのだ。

 だがそれでも、反地球法は地球からの新たな情報の利用を大幅に制限することに成功した。

 何より重大だったのは、アストリア最大の庇護者であったアイラに対して、彼女こそが地球支配の象徴であるとして機能制限を掛けたことだ。そのことはただでさえエンジン事故で逼迫していた船内環境を更に悪化させた。

 日々悪化する船内環境について、ホーキンス派は悪化は地球派の駆逐が不完全であることが原因であるとして、反地球主義の完遂のために更なる清貧と忍耐を求め続けた。


 最初に不満を爆発させたのは貧困層だ。

 彼らは特に食糧事情悪化の影響を強く受けていたが、意外なことにその最も大きな不満は食糧問題ではなかった。貧困層が最も強い不満を訴えたのは、反地球法の一貫として制定された地球の映像文学音楽などの利用を制限するいわゆる文化純化政策だった。

 だが、まあ、ともかく彼らの不満が最初に爆発したのだ。

 それに対しホーキンス派はデモを親地球派の違法な暴動と位置づけ、法執行組織の動員のみならず、自警団と称する支持者の集団を私兵として使い制圧を試みた。

 この頃アイラの庇護を失ったアストリアの人々は、親地球派であれ反地球派であれほとんどが、アストリアという船がどの程度頑丈なのかもよく分かっていなかった。オカルトに傾倒し科学的知識に疎い反地球派のみならず、比較的科学者の多かったはずの親地球派ですらアイラがいなければ自分達の船のことをろくに把握していなかった。


 彼らの争いが重要かつ冗長度が低く余裕のない資源再生システムにダメージを与えるところまでエスカレートしたところで、重大な事件が起こった。

 ウィリアム・ホーキンスが暗殺されたのだ。

 親地球派の記録では、ホーキンスはアストリアの破局を回避するために秘密裏に親地球派との交渉を行っていた。そして反地球派内での内紛によって暗殺された可能性が高いとされている。だが、一方の反地球派は――当然のように――親地球派の仕業であると主張した。

 まあ今となっては真相は闇の中だし、今となってはどうでもいい。

 問題はホーキンスを失った反地球派が統率を失い、一部の特に狂信的な集団が完全な制御不能に陥ったことだ。

 彼らは自分達の信仰を貫くことで宇宙的意思だか何だかが全て解決してくれると本気で信じており、すなわちあらゆるヒトにもモノにも一切の手加減をする必要を認めず、実際容赦なかった。


 後知恵で考察するならば、アストリアが破滅する運命が決定づけられたのはこの時点だったのだろう。



 ドクター・ウォーカーから僕らに宛てた遺書の前半は、アストリアが破滅に至るまでについて解説したものだった。彼は親地球派であったためその立場での解説ではあったが、アイラから得た経緯説明と辻褄は合っている。

 まあ立場上はアイラだって一種の親地球派なのだが、どちらにしても僕は今更双方の細かい言い分には興味がない。

 僕は頼まれてもいない裁判官を気取るつもりはない。

 ともかくアストリアの人々は愚かにも自滅し、ドクター・ウォーカーは逃げ込んだあの部屋で水と食料が尽きて死んだということだ。

 僕にとって意味のある情報は、ドクターが管理を担当していたミス・ウィットフォードの足跡が掴めたことだ。

 少なくともドクターが最後に把握していた範囲においては、彼女はドクターの研究室に併設された冷凍睡眠ポッドでまだ眠らされていたらしい。だが研究室の安全性が担保できなかったため、ドクターはミス・ウィットフォードの解凍処理を開始するよう助手に命じたようだ。

 実際に彼女がその後どうなったのかは、ここからかなり離れたドクターの研究室まで行ってみないと分からない。


 前半は本当にただの解説と報告で、そもそも当時の予定で順調にいっていたとしても、僕らがアストリアに到達するのはドクターの死から最短で数十年も後だ。

 だからまあ、僕にとっては有用な情報はあったものの、ドクターは第三者である僕達エオースの乗員に単に愚痴を言いたかっただけなのかもしれない。



 遺書の後半部分は全く別の用件だった。


 ドクター・ウォーカーは極端に縮小されたアストリアの人間社会を回復するために、当初はクローン技術を利用できないかと検討していた。

 クローン技術は極めて法的制限が厳しく事実上の違法行為ではあったが、既に半ば無法地帯と化していたアストリアで、彼が地球時代からの法律を律儀に守らなければならない理由は特にない。もしも、彼が自分で機材を操作してクローンを作成できたのであれば、そうしただろう。

 だがそれはできなかった。

 そのような重要なプラントはアイラの管轄下にあり、アイラの助け無しにはクローンの作成は不可能で、そのアイラは反地球法による機能制限を受けていた上に、そもそもクローン人間作成のような違法な命令の一切を拒否した。


 だから、ドクターはその代わりとして、アイラに『人間に極めて近しいロボット』を開発させることにしたのだ。

 ロボット工学ではなくバイオテクノロジーを利用して作り出したものに、ロボット工学の三原則を強要するためのニューロチップを脳に埋め込む、という形で。

 彼が設計したそのロボットはシミュラントと名付けられた。


 ドクターはアストリアの人口が一定を下回ったらという条件で、シミュラントを実際に製造するようにアイラに命じた。アイラはこの命令であれば――もちろん実行するためにはまず反地球法による機能制限が解除される必要があったが――協力することを約束した。

 ドクターは遺書の中でその後どうなったのかをしきりに気にしていた。

 計画ではアストリアはぎりぎりで破滅を回避し、アストリアの修理もそれなりに順調に進んでいることになっている。

 人口は緩やかに回復しつつ、シミュラント達と協力して復興に取り組んでいる、そこに僕らのエオースがアストリアにたどり着く……はずだったのだろう。

 彼の望みは叶わなかった。彼があの部屋で死んだ後、さほど時を置かずにアストリアの人間は全滅したのだ。


 実現せずに終わった彼の計画は、だがそれだけではなかった。彼はアイラも含めてアストリアの誰にも知られずに計画していたことがもう一つあった。

 それは計画開始から少なくとも数十年経ってからでないと明らかにできないものだったため、僕達エオースの乗員を一種のタイムカプセルとして使った。


 彼はアイラを騙していた。

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